1810話 最期の言葉
しゃくりをあげるユナリアスの絶望の泣き声を聞きながら、テミスは己を蝕む激情に必死で抗っていた。
名前も知らない誰かを救うなんて、馬鹿げた事だと理解している。
けれど今この身に纏っている純白の制服が、まるでフリーディアの意思を代弁するかのように重くのしかかって来る気がした。
「ノルは……この子は、変わった子だったんだ。冒険者将校として華々しい活躍をする事もできたはずなのに、それを固辞してまで後方の私の元へ来て……」
「っ……!!」
そうしている間に、泣き喚く事を辞めたユナリアスは、止めどなく涙を流しながらもゆっくりと女騎士へと手を伸ばすと、短い黒髪を撫でながら弱々しく語り始める。
「フォローダの町が好きだと言ってくれた。のどかで平和なこの町で、楽しく暮らしていきたいと……。自身の力だけを寄る辺に生きてきた彼女が、自分の故郷だとまで言ってくれたっ……!!」
「そう……か……」
ユナリアスの語る涙ながらの思い出話に、テミスは重々しく相槌を返す。
それはユナリアスにとって、大切な友の死を受け入れるための大切な儀式でもあるのだろう。
だが、テミスにとって予想外だったのは、この女騎士が冒険者将校だったという事だ。
彼女たちが如何にして絆を紡ぎ、深い仲に至ったのかはテミスにはわからない。
けれどその姿はまるで、かつてフリーディアの誘いを断って魔王領へと旅立った自分が取り得たもう一つの道のようで。
その思いがまた、強固に固めていた筈のテミスの心をグラグラと揺り動かした。
「すまない……私が……私が弱いばかりに……こんなッ……!!」
友の身体に触れ、また込み上げてくるものがあったのだろう。
再び嗚咽をあげ始めたユナリアスは、言葉を詰まらせながら女騎士へ語り掛けると、己が体を蝕んでいるであろう苦痛を無視して深々と頭を垂れた時だった。
「……リ……アス」
「ッ……!!! ノル? ノルッ!? 目を……覚ましたのか……!?」
呼びかけるユナリアスの声に呼応したかのように、それまで苦し気に目を瞑っていた女騎士はゆっくりと目を開くと、弱々しい声で言葉を紡いだ。
瞬間。
がばりと顔をあげたユナリアスは表情を輝かせたものの、すぐにその生気に乏しい顔に唇を噛み締め、震える声で言葉を返した。
「ん……無事……だね……? 戦況……は……?」
「あぁ……大丈夫だよ。ノルが守ってくれたお陰で、私はこの通りさ! 戦況も、つい先ほど白翼騎士団の者と合流する事が出来た。もう安心さ!」
「そ……か……。良か……たぁ……」
苦し気に言葉を紡ぐ女騎士に、ユナリアスは見るのすら痛々しい程に健気な笑みを浮かべると、必死で語り掛ける。
けれど、そんなユナリアスの努力も虚しく、女騎士は安心しきったように微笑むと、ゆっくりと瞼を落とす。
「ッ……!? ノル!? ノル!! 目を瞑っては駄目だ!! テミス殿! 頼むッ!! すぐに手当てをッ――!!」
「ふふ……駄目……だよ? ワガママ……言って、困らせ、たら……。私は……もう、駄目……みたいだから」
「ノルッ……!! 諦めるなッ!! 頼む……そんな……寂しい事を……言わないで……!!」
「うん……うん……。あの……テミスさん……でしたか?」
だが、ユナリアスが縋り付くと、ゆっくりと閉ざされていった目はすんでの所で留まり、今にも消えてしまいそうな声で言葉が紡がれた。
しかし、今わの際の友と言葉を交わして、一度固めた覚悟が崩れ去ってしまったのだろう。ユナリアスはポロポロと大粒の涙を流しながら、弱々しい呼吸を繰り返す女騎士に縋り続ける。
そんなユナリアスに、女騎士は柔らかな微笑みを浮かべて頷いた後、傍らに立ち続けるテミスへと視線を向けて語り掛けた。
「何だ?」
「どうか……ユナリアス、をお願いします。私が、居なくなったら、きっと……凄く悲しむから」
「っ~~~~!!!! ぅぅ……ぁぁ……あ……あ……っっ!!」
「…………」
女騎士の言葉に、テミスはぶっきらぼうに言葉を返したものの、堪え切れず泣き出し始めたユナリアスの傍らで頷く事が出来ずにいた。
自らが死に瀕している事を自覚して尚、最期まで友のために言葉を紡ぎ続ける。
それがいかに難しく、苦しみの伴う事なのか。そして死に逝く友を見送る身を裂くほどの悲しみも、テミスはよく知っていた。
その気高さ、優しさは、紛れもなく貴き善人のみが持つ事が出来るもので。
「ユ……ナ……。…………。ごめ……ね……?」
「ッ……!! ノル!! 駄目だ!! 待って……嫌だ!! ノルッ!!」
「っ~~~!!! チィッ……!!」
けれど、揺れ動くテミスの心が答えを出す間も無く。
僅かに開かれていた女騎士の目は遂に閉ざされ、辛うじてうわ言のように紡がれていた言葉が途切れる。
とうとう訪れてしまったその時に、取り乱したユナリアスは泣き喚きながら女騎士の身体に縋り付いた。
――刹那。
テミスは鋭く一つ舌打ちをすると、思考が追い付くよりも素早く、その手を閃かせたのだった。




