1809話 希望砕く宣告
今にも震え出してしまいそうな声を堪えながら、テミスは砂を噛み締めるかのような思いに身を焦がされていた。
助かる筈のない命。今目の前で弱々しく息づいている命は、あと数時間と持つことなく息絶えるのだろう。
たとえここが戦場で無かったのだとしても、ロンヴァルディアの医療技術がどれ程の水準に在るのかはわからないが、少なくともテミスの見立てでは、彼女の命はもう魔族の魔法を用いたとしても繋ぐ事は不可能だった。
「っ……テミス……殿……」
「……すまない。ユナリアス。彼女は――」
「――待ってくれっ!! ッ……ぐぅッ……!!」
残酷な宣告を告げるべく口を開いたテミスの言葉を、ユナリアスは遮るように叫びをあげて立ち上がると、直後にうめき声を漏らしながら腹の傷を押さえて蹲る。
ユナリアスとこの瀕死の彼女が、浅からぬ仲であるのはテミスとて容易に理解できた。
そうでなければ、このような逼迫した戦況の中で、足手まといにしかならない瀕死の人間一人を担いで戦ってなど居ないだろう。
だが……だからこそ、告げなくてはならない。
消えかけている彼女の命の灯が、本当に消え失せてしまう前に。
今わの際といえども、せめて最期の別れくらいは交わす事が出来るように。
「ユナリアス。聞いてくれ」
「言わないでくれッ!! 頼むッ……!! 彼女は……ノルは私を庇ってその傷を受けたんだッ!!」
「っ……」
「お願いだ……お願いします……! 何とか……何とか治してやってくれッ……!! 聞けば魔族領には、普通ならば死んでしまうような大怪我でも治す事が出来る秘術があるのだろう? どうか頼む……! どんな対価でも必ず支払うッ!! だからッ……!!」
「…………」
冷静に諭すべくテミスが喋りかけるも、ユナリアスはまるで駄々を捏ねる子供のように激しく首を横に振るうと、テミスの服の裾を掴んで懇願した。
そこには先ほどまでの理知的な佇まいなど微塵もなく、必死で涙を堪えて希望に縋るその様子に、テミスの心がズキリと痛みを発する。
しかし、僅かに生じた沈黙を否やと捉えたのだろう。
ユナリアスは目尻からぽろりと大粒の涙を零すと、嗚咽を漏らしながら再び言葉を紡ぎ始める。
「何でもするッ……! どのような宝も差し出そう、もしも貴女が望むのなら全てを棄てて貴女の元で奴隷の如く仕えても構わないッ!! だからッ……!!!」
「……。ハァ……ひとまず落ち着け。お前の気持ちは十分に理解した。だが、できもしない事を語るのは感心せんぞ」
「できもしない事など、私は誓って何一つッ……!!」
「落ち着けと言った。お前はファントとロンヴァルディアをまた争わせる気なのか? お前は公爵家の一人娘。そんな人間を攫って仕えさせてみろ。父親がどのような手段に打って出るかなど火を見るよりも明らかだ」
「そんな事はさせないッ!! お父様も必ず納得させてみせる!! あなた達には決して迷惑をかけはしないッ!!」
「不可能だ。我々が今、この場に居るのがその証明だ。あの男ならば、道理を打ち据えてでも押し通してくる」
ぼろぼろと涙を流しながら懇願に懇願を重ねるユナリアスに、テミスは淡々と否を突き付け続けた。
大切な友人の死だ。加えて自身を守って受けた傷であるのならば、受け入れがたい気持ちはよく理解できる。
だが、泣いて喚いた所で事実が都合よく捻じ曲がる訳もなく、都合の良い奇跡が起きることもあり得ない。
故にテミスは、全てをかなぐり捨てて縋り付くユナリアスに、根気良く言葉を重ねた。
「そもそもだ。彼女は魔族の治癒魔法を使っても助けられん。……それほどまでに、彼女の傷は深く……時間が経ち過ぎている」
「っ……! 嘘だ……そんな……。だって……だって……ッ!!」
「嘘ではない。治癒魔法を用いれば、確かに傷は塞がるだろう。だが、それでも彼女は死ぬ。彼女には、失った体力を戻すための力すら、もう残っていないんだよ……」
「ぅぁ……ぁ……ぁぁぁ……っ~~~~!!!」
テミスはユナリアスが抱いた偽りの希望を一つづつ摘み取るかのように、丁寧に事実を語り聞かせる。
その事実は、いくらユナリアスが必死で否定しようとしても、ゆっくりと彼女の希望を打ち砕いていって。
聡い彼女が残酷な現実に辿り着き、絶望の嗚咽を漏らすのにはさほど時間はかからなかった。
「ッ……!!! せめて……心穏やかに逝ける……ように……」
絶望に打ちひしがれるユナリアスを前に、テミスは食いしばった歯の隙間から零すように告げると、血が滲む程固く掌を握り締める。
本当の事を言えば、テミスには彼女を助ける術がない訳では無かった。
だが、あの自称女神に与えられた能力を用いる事は、この世の理を捻じ曲げるに等しい行為で。
重ねて理由をつけるのなら、多少気が合うのだとしてもユナリアスとはつい先ほど知り合ったばかりで、傷を負った女騎士に至っては言葉すら交わした事もない見ず知らずの他人だ。
決して救えぬ命をも救う事が出来ると知れてしまえば、厄災を招く未来しか無い。
安易な感情で力を振るえば、そのつけは必ず自分に返ってくる。誰も彼をも救う事などできはしないのだから。
テミスは胸の内で必死にそう自らへと言い聞かせながら、さらに深く掌に爪を食い込ませたのだった。




