1806話 騎士ユナリアス
差し伸べられた手を前に、テミスの胸中に真っ先に浮かんだ感情は困惑だった。
フリーディアの学友なのだから、彼女もまた頭の中に花畑でも広がっているかのような、救いようのない馬鹿なのだろうという先入観もある。
だが何よりも、彼女の父親であるノラシアスの選択。
ロンヴァルディアの領地を治める領主として、彼はテミスの干渉に目を瞑る事を選んだ。
だからこそ、娘であるユナリアスも父親と同じように、今のロンヴァルディアを守る事を良しとする人物なのだと、テミスは思っていたのだが……。
「……なんというか、意外だな。正直に言って驚いている」
「フフ……フリーディアの考えとは似ても似つかないからか? それとも、お父様だろうか?」
「クス……どちらもだ。問答無用で敵兵を斬り殺した事にも驚いているし、私に重ねて名を問うたことにも驚いている。だが……良いのか? 私がこの手を取ってしまえば、お前達は大きな借りを作ることになる」
「ご期待に沿えなくて申し訳ないけれど、生憎私は現実主義でね。今の私達に何人もの捕虜を抱える余裕はないし、逃がしてしまえば貴女という存在が居るという情報が敵に渡ってしまう。更に言うのなら、受けた恩を面子の為に見て見ぬふりをしては、善き縁を逃してしまうからね」
差し伸べられた手に視線を向けてテミスが問いかけると、ユナリアスはふんわりと穏やかな笑みを浮かべて答えを返した。
その言葉は、彼女がただ家柄に恵まれただけの少女ではなく、己の意志を確かに持った一人の人間である何よりの証明だった。
「解った。ならば名乗ろう。私の名はテミス。黒銀騎団のテミスだ。今は白翼騎士団の一員として動いているが、フリーディアの部下という訳ではない」
「了解したよ。テミス殿。お噂はかねがね。実は、あちらの子が名を呼ぶ前に、この黒い大剣と白銀の髪を見てピンときたんだ。是非とも一度お会いしたいと思っていたよ」
「参ったね……。どうせ禄でもない噂なのだという事だけはわかるが……。参考までに聞きたいのだが、何故私のような者と手を取り合う気になったんだ?」
「あはは……否定はしないよ。でも、私は自分の目で見たものを一番に信じる事にしているんだ。他人がいかに悪辣だと謳おうと、私の目には貴女がそんな悪人には見えなくてね」
名乗りと共に、不敵な笑みを浮かべながら、テミスはユナリアスの手を握ってゆっくりと立ち上がる。
けれど、ユナリアスはそんなテミスに臆することなく、軽い冗談すら交えながら穏やかな笑みを浮かべて応じてみせた。
フリーディアから聞いていた話では、一体どんな堅物が出てくるのやらと心配していたテミスだったが、実際に言葉を交わしてみれば何の事は無く、テミスはまさにユナリアスの言う通り、人の噂など当てにならないものだと苦笑いを浮かべる。
「柔軟な思考を持っているようで助かる。出来ればこのままコーヒーでも片手に歓談と洒落込みたい所だが、今は話を戻そう。こちらの状況はどうなっている?」
「現実的なだけさ。お茶会はいつか必ずしよう。フリーディアも交えてね。こちらの状況は見ての通り、酷い有様さ。籠城している最中に、白翼騎士団が来たというから打って出たんだけれど返り討ちに遭ってね。部隊は散り散りだ」
「なるほど。了解した。……というか、話の腰を折ってすまないが、戦っている時と随分と雰囲気が違うな?」
歓談を交えながら情報を交換するユナリアスは、浅いため息まじりに肩を竦めてみせたりと実に感情豊かに現状を語ってみせた。
その所作は、戦闘の最中に凛と声を張り上げていた人物と同じだとは思えないほどに穏やかで、ユナリアスの人柄に絆されたかのように、テミスは堪らず質問を投げかけてしまう。
「はは……皆にもよく言われるよ。流石の私でも、戦いの時くらいは気を張っているからね。けれど、こちらが素の私なんだ。これから共に戦う者として、慣れてくれると嬉しいな」
だが、ともすれば無粋な質問と捉えられかねないテミスの問いにも、ユナリアスは恥ずかしそうにはにかみながら頬を掻いて答えを返してみせる。
その短い会話だけで、テミスは自身がユナリアスに抱いていたイメージが、全くの妄想であったと思い知った。
「覚えておく。さて、これからの事なのだが――」
「――っ」
「……っ!? どうした!?」
故に、謝罪の意味をも込めてテミスが頷きを返し、話を先に進めようとした時だった。
突如目の前に立っていたユナリアスがぐらりと大きく姿勢を崩し、倒れ込みこそせずに踏み止まったものの、脇腹を抑えて苦し気に表情を歪めてみせる。
すかさずテミスが、姿勢を崩したユナリアスの元へ駆け寄って肩を支えると、遅れて事態を理解したらしい背後の蒼鱗騎士団の騎士達が駆け出した。
「……すまない。少し無理をし過ぎたみたいだ。実は私も万全では無くてね、この甲冑も借りた物なんだ」
そんな蒼鱗騎士団の騎士達を掌で制しながら、ユナリアスは嫌な汗を額に滲ませつつも気丈に微笑みを浮かべてみせたのだった。




