1803話 歪な挟撃
取り囲まれた蒼鱗騎士団の面々への包囲をじりじりと狭めていく兵達を前に、テミスは床に這いつくばるほど低い姿勢を取ると、短く息を吐いて壁の陰から飛び出した。
最初の数歩は迅さよりも気配を消す事に重点を置いて足音を極力殺して進み、態勢が整った頃合いを見計らって、ギアを引き上げていくかのように徐々に速度を増していく。
それは同時に、標的たちとの距離を縮めることを意味しており、薄暗い室内のうえに人垣越しとはいえ、身を隠す場所にも乏しいこの場所では、そろそろこちらを向いた蒼鱗騎士団の者たちがテミスの存在に気付く頃合いだった。
「…………」
だが、テミスは獲物を狙って疾駆する肉食獣が如く、速度を緩める事は無く、大剣を低く構えて態勢を低く保ったまま、一直線に敵兵士たちの背後へと忍び寄る。
「……っ! 近寄るなッ!! 貴様等ッ!! 我々はロンヴァルディアが誇り高き蒼鱗騎士団だぞッ!! 衆兵を以て寡兵を制するとは恥を知れッ!!」
すると、テミスが蒼鱗騎士団を取り囲む兵士たちの背まで、あと二十メートル前後の距離にまで迫った時。
半円を作って剣を構えていた一人の女騎士が、ガチャリと鎧を打ち鳴らして高らかに叫びをあげる。
「フハッ……!! ハハハ……! 今更何を知れたことを……。なぁ、騎士様よぉ……俺達は戦争しているんだぜ? 敵を数で制するのは当り前の事だろぉがッ!! なぁッ!?」
「あぁ……全くだ。お前達が魔族連中を相手にやってる事と同じ事だろ? いんや……今はやっていた……だったか」
「クッ……!! せめて名を名乗らんかッ!! 戦場に身を置く者として、最低限の矜持だぞッ!!」
「おいおい。止せよ。お前達だって、名乗りをあげる事すらせずに俺達の仲間を切り刻んでくれたじゃァねぇか。それに安心しな、アンタは別に殺そうって訳じゃねぇ。俺達は優しいからな」
だが凛と響いた怒声も、すぐに周囲を取り囲む兵士たちの嗜虐的な笑い声に圧されて消えるも、げらげらと部屋の中に木霊する兵士たちの笑い声は、背後に潜むテミスの足音を掻き消すには十分だった。
尤も、この時点でテミスは叫びをあげた女騎士の言葉が、彼女たちを包囲する兵達へと向けられたものではなく、背後から忍び寄る自身へ向けられたものだと理解していたのだが。
察するに、最初の叫びは自身へ包囲する敵兵の注意を引き付けるのと同時に、自分達の所属を明らかにするのが主な目的。
続いて発せられたのはテミスへ向けられた、お前は自分達の敵か、それとも味方なのかという問いなのだろう。
けれど、それに応えてしまっては奇襲の効果が薄れてしまうのは必定。
最低でも初撃で五名は斬り払わんと狙っているテミスとしては、蒼鱗騎士団の女騎士の問いかけに答える理由は無かった。
「ッ……!! えぇいッ……!!」
「……! チッ……」
彼女たちに突き付けられたのは、いうなれば自分達の未来を左右する一つの選択肢だ。
絶体絶命の窮地。そこへ突如として現れた、正体不明の乱入者をどう裁定するのか。
窮地を脱する賭けとして身を委ねて守りに徹するも良し、あくまでも不確定要素は敵であると断じてテミスの存在を報せ、囮に使われるも良し。
ここまで近付いてしまえば、一瞬の隙さえあればどうにでもなる。
そう考えていたテミスだったが、女騎士は一向に答えを返さないテミスに業を煮やしたのか。それとも、何か別の意図があっての事なのか。
苛立ちめいた声を一つ漏らすと、あろう事か剣を構え直して突撃の体制を取る。
それはテミスの考え得る限りで、最悪の選択だった。
テミスの扱う武器がフリーディアのような剣であったならば、急ごしらえの連携とはいえ挟撃の形に持ち込めはしただろう。
だが、生憎テミスの手に握られている武器は大剣。
それも、下段に構えている所為であちら側からは認識できないからこそ起きた齟齬なのだろうが、このまま踏み込んでこられてしまえば、最悪の場合まとめて敵ごと斬り払ってしまう可能性もある。
だからこそ。
「お前達は敵右翼を叩けッ!!」
「……ッ!!!」
「なッ……!!!?」
間合いへと踏み込む直前。
テミスは敵の分断を画策して中央へと定めていた狙いを、自身の左方……敵の左翼へと切り替えると同時に、前方の女騎士へ向けて指示を発した。
その時初めて、敵兵たちはテミスの存在に気が付いて身を翻すものの、その頃には既に彼等の身体は大剣の間合いの内側へと踏み込んでいる。
「カァッ……!!!」
「セェァッ!!!」
一瞬の静寂の後。
前後から響いた裂帛の気合が重なり、二つの剣閃が兵士たちの壁を薙ぐ。
真正面から斬りかかった女騎士の斬撃は、防御に転じた兵士の剣に阻まれて甲高い金属音を奏でるに留まったものの、背後から襲い掛かったテミスの大剣は、圧倒的な破壊力を以て狙い通り五名の敵兵をまとめて斬り払った。
「――ッ!!」
「――――」
刹那。
吹き上がった血飛沫越しに、斜めに斬り上げる形で斬撃を放ったテミスと、第二撃を放たんと剣に力を込めた女騎士の視線が静かに交叉したのだった。




