1789話 差し伸べられた希望
陥落寸前の城塞。
既に補給を断たれてからかなりの時間が経ち、物資も尽きかけている。
敵の砲撃を受ける度に崩壊する砦と、増え行く負傷者。最早自分たちに勝機など一欠けらも無く、許された選択はその負け方のみ。
そんな絶望の戦場の只中で尚、ユナリアスは折れる事無く指揮を執り続けていた。
「動ける者は中央に集めろ!! 戦えない者は地下へ!! 魔導障壁の部分展開! 準備を急げ!! タイミングはこちらで指示する!!」
傷付き倒れた者を捨て置き、最後の決戦に備えて態勢を整える。
それがこの砦の指揮官として、ユナリアスが選択した命の使い方だった。
非情であることは理解している。共に飯を喰らい、笑い合った仲間を、救援を喜び感謝を告げられた友軍を見棄てる事は、ユナリアスにとっても己が身を斬るが如き耐え難い苦痛を伴った。
けれど。
たとえこの地で命果てようとも。一秒でも多く敵をこの地に繋ぎ止め。一人でも多くの敵兵を道連れにする。
この決死の決意こそ、フォローダを護る希望を繋ぐのだと信じて、ユナリアスは砲撃の音が響く中で声を張り上げ続けた。
「――ッ!! お嬢様ッ!! 食糧庫に被弾ッ!! 備蓄がッ……!!」
「構うなッ!! 元より大した物は残っていないッ!! 火消しを急げ!」
「報告ッ!!! 非戦闘員の避難完了!! あとはユナリアス様だけです!!」
「隠し扉を閉鎖。決して違和感を悟らせるな」
「ユナリアス様ッ!!!」
「返事はッ……!!!!」
「ッ~~~~!!!!! 了解……ッ!!」
ユナリアスの元には連絡の兵が途絶える事無く出入りし、砦の現状を事細かに報せてくる。
砦は既に機能の大半を失い、残るはこの瞬間まで温存し続けた虎の子の魔石が少しばかり。
それも戦況を左右する程の数は無く、最奥区画を僅かに守る事が出来るのみ。
ひたひたと背中に歩み寄って来る死の足音を間近に聞きながらも、ユナリアスはただ必死で祈っていた。
最早、今のパラディウム砦は湖上から見ても半壊が確認できるほど激しく傷付いている。
このまま艦砲射撃が続けられれば、ユナリアス達に反攻の機会はなく、ただ為す術もなく嬲り殺される事しかできない。
だが、自分達が敵の砲撃によって吹き飛ぶ前に。
奴等がパラディウム砦を奪うべく再上陸を敢行してくれたら。
その時こそ、死に華を咲かせる時ッ……!!
「ッ……!!」
固く食いしばった口元を覆い隠すように組んだ手にすら力が籠り、ユナリアスはまるで祈りを捧げているかのような格好で静かに淀んだ目を瞑る。
頼む。頼むッ。頼むッ……!!
欲を出せ。損耗を恐れろ。もう十分撃っただろう? 乗り込んで来い。
視界を覆ったユナリアスの胸中は、祈りとも呪いとも言えない想いで満たされており、重圧と恐怖に耐え忍びながら、その時を待ち続けていた。
既にこちらは、幾度も敵の上陸部隊を退けている。
もしかしたら、今度は徹底的に蹂躙をしてからしか侵攻して来ないかもしれない。
否。奴等としてもこのパラディウム砦の重要性は理解している。欲しくて欲しくてたまらない要所の筈だ。その証拠に、一度目の侵攻は港を制圧されてすぐ、たった一度の砲撃も無いまま始められた。
「……まだか………。ッ……!! まだなのかッ……!!!」
焦がれる思いで侵攻の報せを待つユナリアスが、堪らずに呟きを漏らした時だった。
「伝令ッ……!! 敵部隊の上陸を確認ッ!! 侵攻してきますッ……!!」
「ッ……!!! 来たかッ……!!!」
気付けば絶え間なく続いていた重く響く砲撃の音は止んでおり、伝令の兵の絶叫が決戦と時を報せる。
この指令室を含む中央区画に砲撃が飛んでこなかったのは運が良かった。
お陰で、残った魔石は拠点防衛用の兵器へ割り振る事ができ、更に敵に深く食らい付く事が出来るだろう。
「総員展開ッ!! 最後の決戦だ!! 奴等を全員生きて返すな!! 一人でも多く、フォローダへと降りかかる火の粉をこの地で叩き潰すのだッ!!」
傍らに携えた剣を手に取り、ユナリアスは号令と共に自身も最後の戦いへ加わるべく、勢い良く立ち上がる。
最後の一兵となろうとも戦い続ける総力戦。決死の覚悟を固めたユナリアスが、指令室を後にしようとした瞬間。
「報告ッ……!!! 敵艦隊に動きありッ!! ゆ……友軍ですッ……!!!」
「何だとッ……!!? まさか……お父様……ッ……!? ッ……!! 何故ッ……!!」
更にもう一人。伝令の兵が指令室へと駆け込んでくると、困惑と喜びが混ざった声で高らかに報告をする。
その報せは、ユナリアスが予想だにしていなかったもので。
胸の内に沸いた僅かな希望は、悔しさと不甲斐なさで即座に塗り潰された。
敵の艦隊は途方もなく頑強だ。個々の性能で劣るこちらの艦隊では、正面からの攻め戦に勝ち目はない。
自身の存在が、聡明な父親の判断を誤らせ、敗北を誘ってしまった。
真っ黒な溝泥にも似た絶望に耐え切れず、ユナリアスの膝がガクガクと揺らぎはじめる。
だが……。
「いえッ……それが……。友軍と思しき艦艇はフォローダの船ではありません……。それに……」
「ッ……!? 待て。艦艇と言ったか!? 確認できた友軍の数は!?」
「……一隻のみ……ですッ!! しかし、船には白翼騎士団の旗と、見慣れぬ旗がもう一つ掲げられており……」
「ッ~~~~!!!!! フリーディアッ……!? あの馬鹿ッ……!!!」
続けられた報告に違和感を覚えたユナリアスが鋭い声で問い質すと、伝令の兵はしどろもどろになりながらも、辛うじて言葉を返した。
それは、本来ならばあり得ない無謀な突撃で。けれど、確認されたという騎士団を率いる彼女ならば、無謀を押し切ってでもやりかねない事を、ユナリアスは良く知っている。
故に、なのだろう。
ユナリアスは己の足を捕らえていた絶望を断ち切ると、怒りの咆哮と共に石畳へ拳を叩き付けると、その瞳に燃えるような光を宿して立ち上がる。
そんなユナリアスの決意を称えるかの如く、湖上から一筋の強い光が迸ったのだった。




