1785話 無謀な要求
良く日に焼けた肌を持つ好青年。
こうして酒場の中で相対して尚、一見して『ロロン』の印象は変わらなかった。
だがテミスは、今この目の前に居る青年は『ロロン』としてではなく、『ロロニア』として相対しているのだと瞬時に理解する。
何故なら。
姿形こそ変わりないとはいえ、その身に纏っている気迫はまるで別物で。
ただ相対しているだけであるにも関わらず、緊張感がビリビリと肌を焦がしていた。
「クス……随分と探したぞ。ロロン。あまりにも不義理ではないか? あのような厄介事を押し付けるだけ押し付けて、自分は顔の一つも見せずにとんずらとは」
「それに関しちゃ悪かったよ。アンタがあそこまでデタラメに強ぇぇなんて思わなかったんだ。出ていこうにもこいつ等が許してくれなくてな」
「あの程度で底を知った気になって貰っては困る。酒に溺れ、剣を手放すような間抜け共など、私でなくともどうにかなるさ」
「おぉ……怖えぇ怖えぇ……。それで? 何の用だい? 俺を探していたみてぇだが」
ピンと張り詰めた空気が酒場の中を満たし、周囲を囲む者達が固唾を飲んで見守っている只中で、テミスとロロンは互いに不敵な笑みを絶やす事無く言葉を交わす。
テミスの周囲を取り囲む者達の中には、既に携えた武器に手を番えている者や、前傾姿勢を取って襲撃の構えを見せている者も居た。
しかし、テミスはそれを知覚しながらも黙殺し、眼前の『ロロン』へ意識を集中させる。
「ホゥ……? 私は湖族の頭であるロロニアを探しているのだが? お前はロロンではなかったのか?」
「チッ……それはお互い様だろうが。ったく、よく考えてみりゃ、白翼騎士団の連中が一人であんなところをほっつき歩いている訳ゃねぇ。確かにアンタは名乗りはしなかったけれどな。黒剣の死神テミスさんよ?」
「…………」
「なッ……!?」
クスリと薄い笑みを浮かべて皮肉を叩き付けたテミスに、ロロン改めロロニアは、所在無さげに持ち上げた手でガリガリと頭を掻きながら言葉を返した。
瞬間。
周囲で話を聞いていた者達の間に動揺が走り、ざわざわと言葉を交わす声が漏れ聞こえ始める。
「確かに……私の名はテミスだが……。今は白翼騎士団に属しているというのは嘘ではない。尤も、フリーディアの奴の指揮に従うとは限らんがな」
「やれやれ。団長サンには同情するぜ。そういうのは属してるって言わねぇんだよ。というか、世間話をしに来たんだったら帰ってくれねぇか? 悪ぃが今はちと立て込んでいるんだ」
「…………。なるほど。確かに聞いた通りの大した男だ。ならば、小細工は抜きで行こう」
周囲に集うロロニアの配下の者達の間に走った衝撃は少しづつ和らぎ、小声で交わされていた言葉も次第に消えた。
けれど、その瞬間を待っていたかのように、ロロニアは牽制を続けるテミスにため息を吐いてみせると、低い声で問いを放つ。
無論。
その意を汲み取ることができないテミスではなく。
テミスは問いと共に放たれた威圧をものともせず、クスリと不敵に口角を吊り上げると、静かにロロニアの目を見据えて口を開いた。
「我々に船を出して貰いたい」
「目的は?」
「威力偵察及びパラティウム砦の救援。可能ならば奪還まで行いたい」
「お断りだ。冗談にしたって出来が悪いぜ。ウチには四隻しか船はねぇ。整備は欠かしちゃいねぇが、一対一だって最新の戦艦とやり合うには厳しい。死にに行くのは御免だ」
「死にに行く気など毛頭ない。それに元々、お前達を戦力としてなど数えちゃいないさ。船は一隻で結構。戦闘は全てこちらで引き受ける。お前達はただ、我々をパラディウム砦のある島まで運んでくれればそれで良い」
「テメェッ……!!! 言ってくれるじゃねぇか……!!」
ロロニアの目を見据えたテミスは、そのまま歯に絹を着せぬ物言いで朗々と告げると、鼻を鳴らしながら肩をすくめてみせる。
この世界における水上戦闘を実際に見た事は無くとも、魔法という理外の技術が組み込まれている時点で、魔力量が圧倒的に優れる魔族が乗艦しているというだけで、途方もないアドバンテージになるのは間違い無い。
加えて、乗艦するのはそんじょそこらの木っ端魔族ではなく、黒銀騎団の精鋭たちなのだ。
敗北を喫する要素など何一つない。そうテミスは確信していた。
「ふざけんな。馬鹿馬鹿しい……と言いてぇところだが、その目。どうやら洒落や冗談で言ってる訳じゃなさそうだ」
「当然だ。後こちらから提示できる利点と言えば……そうだな。敵の船は最新型だったか、幾らか鹵獲できたらお前達にも回してやるように公爵へ口添えしてやる。それなりの功績は必要だろうがな」
「っ~~~!!! 言ったな? いいぜその賭け、乗ってやる。一隻なら船を出してやるよ」
挑発を重ねるテミスに、ロロニアは怒りに表情を歪めながらも、辛うじて震える言葉を返す。
だがそれも、全てはテミスの計算の上で。
誇りをこれでもかというほど逆撫でした直後、テミスは垂涎であろう『餌』を目の前につるしてやる。
すると、ロロニアはバシリと拳を掌に叩き付け、爛々と闘志に目を輝かせながらテミスの要請を呑んだのだった。




