1784話 無頼を訪ねて
夜が開けたばかりのフォローダの町の郊外は、穏やかな波の音が木霊する静謐な空気に包まれていた。
目を凝らせば、水平線上に艦艇の姿を認めることはできるも、町の中心から外れたこの場所では、警鐘の音に叩き起こされた人々の浮足立つ雰囲気も届かず、寂しさの同居した安寧が包み込んでいる。
そんな中を、テミスは一人高らかに軍靴の音を響かせながら、つい昨日の夜に訪れた酒場の戸を潜った。
「邪魔をするぞ」
「……っ! アンタは……! もう朝だ。来てもらって悪ぃが店仕舞いだよ」
ぶっきらぼうな挨拶と共に、テミスが返答を待つことなく店の中へ立ち入ると、そこには日に焼けた肌を持つ船乗りらしき者たちが一様に肩を並べており、ピリリと張り詰めた緊張感すら漂っていた。
おそらくは、警鐘の音を聞きつけて隠れ家でもあるこの店に集っていた所なのだろう。
店内は如何にも部外者であるテミスを警戒し、歓迎していない雰囲気に満たされていた。
だが、代表して口を開いた店主の言葉を黙殺したテミスは、不敵な微笑みを浮かべたままさらに店の奥へ向けて歩を進める。
「ッ……! 聞こえなかったのかよォッ!! ここはお前みたいなガキが来る場所じゃあねぇんだ!! さっさと帰――」
「――止せ。怪我をしたくなければ下がれ。道を開けるんだ」
「なにィッ……? おいおい勘弁してくれよ! アンタほどの男がさぁ!! こんな小娘如きに……いででででっ!!」
その行く手を阻むように、ひときわ若い男がテミスの前へと立ちはだかるが、店の奥からのそりと歩み出てきた見覚えのある屈強な男の手によって、テミスの歩みに沿って左右へと別れる人垣の中へと吸収された。
「アンタ馬鹿でしょ! 何絡んでるのよ!! 知らないの? ごろつきの騎士連中を一瞬で伸しちまった白翼の騎士様の話!!」
「そりゃ……知ってるけどよ……。って……えぇ……っ!? まさか、アレ?」
「見りゃわかるでしょ!! どう見たってただ者じゃないわよ!! あの人!! アタシの勘がそう言ってる!!」
「フッ……」
ちょうど男が吸い込まれていった辺りを通り過ぎる時。
テミスは人垣の中からなにやら言い争う男女の声を耳にすると、クスリと静かに笑みを浮かべて歩み続け、カウンターの前へと辿り着く。
「……何の用だい? 飯や酒は出せねぇんだが」
「必要無い。ひとまずお前達の頭を出せ」
「待ってくれ。その様子じゃ、俺達の事も知っているんだろう? なら、用件だけでも先に聞かせちゃくれねぇか?」
テミスの纏うただならぬ雰囲気から、彼等もテミスがただ食事をしに訪れた訳ではないと察しているのだろう。
店主の男の目を見据えて、ただ一言用件を告げるテミスに、傍らへと進み出た見覚えのある屈強な男が、静かな声で問いかけた。
「三下に用はない。ロロン……いや、本当の名はロロニアだったか?」
謙って尋ねた屈強な男の言葉を一蹴すると、テミスはギラリと鋭い視線を男へ返しながら、静かな声で問いを重ねた。
ユナリアスから聞かされた彼等の頭目である男は、特徴を鑑みるにテミスをこの酒場へと誘ったあの青年だった。
考えてみれば、あの夜も見ていると言っておきながら、騒動が終わった後も一切顔を見せる事は無かったし、案内をしたくせに酒場の中まで付いて来なかった点など、後から考えれば合点のいく所は幾らでもあった
「そいつは……あんまりってやつじゃねぇか? これでも俺達は公爵直々に免状を渡されているまっとうな湖族だ。幾らアンタとはいえ、一介の騎士風情が気軽に合えるようなお人じゃ――っ!!!」
「ッ……!!」
「――悪いが、問答をしている時間は無くてな。面会に格が足りんというのならば、幾らでも積み上げてやっても構わんが、少々事情が複雑なものでな」
取りつく島もないテミスの不遜な言動に、屈強な男は眉を顰めて食い下がる。
だが次の瞬間。その言葉すら咎めるように、瞬く間に抜き放たれたテミスの白刃が、屈強な男の首筋に添えられた。
そして、周囲に集う屈強な男の仲間達が殺気立つ前で、テミスはそのまま背伸びをして屈強な男の耳元へ口を寄せると、挑発するかのように囁いてみせた。
これはテミスにとって、一種の賭けのようなものだった。
ここで揉めてしまえば元も子もない。けれどこの先を考えれば、場の主導権を握る事は必須。
ならば、無頼に生きる者達の習性を利用して、このような乱暴な手段へと打って出たのだが……。
「ッ……!!! やるならばやれ。だがその時は、お前の望みが叶うと思うな? 我々の命を賭してでも、お頭は護ってみせるッ!!」
「チッ……」
しかし、テミスの思惑は外れ、屈強な男は強い覚悟の光を宿した瞳でテミスを見据えると、テミスの脅迫に屈する事無く、芯のある力強い言葉を返した。
こうなってしまえば最早仕方が無い。
多少予定外ではあるものの、正体を明かして取り次がせる他はしかないか……。
腹立たし気な舌打ちと共に、テミスがそう心を定めた時だった。
「はいはいそこまで。十分だぜ。だがこれでアンタも解っただろ? その手の策は嫌いじゃねえが、俺達には通じねえよ」
「ッ……!」
屈強な男と向かい合うテミスの背後。
ちょうどカウンターの隣の席辺りから突如として制止の声が響く。
つい先ほどまで、自身の背後からは人の気配すら感じなかったが故に、小さく息を呑んだテミスが視線を向けると、そこにはロロンと名乗った青年が不敵な笑みを浮かべてテミスを見上げていたのだった。




