1780話 法の中の無法者
その日の夜。
いくらフリーディアが言葉を重ねようとも、飄々とした態度を崩さなかったテミスは、共に報告の為に執務室のフォローダ公爵の前で肩を並べていた。
だが、事前の取り決めにより、全ての報告は白翼騎士団を率いるフリーディアが担っており、テミスの役目はただ当事者としてその隣で立っているだけだった。
「フム……それで、下手人たちの容態は?」
「それが……その……。死者は出ていませんが怪我が酷く、二度と剣を握る事も叶わぬ者も出て来るかと……」
「フッ……」
「ッ……!!!」
フリーディアの報告には随所に涙ぐましいまでの努力の跡が見られ、事実を歪める事無く正確に伝えながらも、テミスの行動に正当性を見出す事に重きを置かれていた。
その見事なまでの塩梅に、テミスが密かに息を漏らして微笑むと、傍らでそれを鋭敏に察知したフリーディアが、公爵から隠れた位置でテミスの脇腹を小突く。
しかしそれでも、ノラシアスの渋い表情が晴れる事は無く、ふてぶてしいまでの平静を見せ得るテミスを傍らに置きながら、フリーディアは内心で滝のような冷や汗を流していた。
公爵の地位に在るだけあって、ノラシアスはロンヴァルディア本国でもかなりの絶大な力を持つ大貴族だ。
その権力はたかだか一介の騎士の処遇など、指先一つでいかようにも動かす事ができるほどで。
今回の一件で少なくない損失を被る事になるノラシアスが、この事態を引き起こしたテミスを快く思うはずも無い。
「フゥム……」
「あのッ……! おじ様ッ……!! いえ……ノラシアス公爵ッ!! 取った手段こそ些か強引ではあったものの、正しき道を歩んだ結果であると……申し添えさせていただきたく思いますッ!!」
「……っ!」
「正しき道……か……」
唸るように喉を鳴らし、ノラシアスはフリーディアが合わせて提出した報告書に目を落とすと、眉を顰めてコツコツと指で机をたたく。
だが、いくらフリーディアが庇おうともノラシアスの心証が芳しくない事は、一目見ただけでも明らかで。
更に言葉を重ねようとでもしているかのように、姿勢が前のめりになるフリーディアを隣で眺めながら、テミスは密かに別の道を探り始める。
ここで白翼騎士団の立場が悪くなれば、ヴェネルティ連合の侵略からこの町を守るという、本来の目的にまで支障が出かねない。
ならば、ここは無理を通すことなく方針を切り替え、表向きは今回の騒動に責任を問う形で更迭させ、自身は裏側から先頭に干渉すべきか……。
そう考えたテミスが、静かに口を開きかけた時だった。
「正直、肝の冷える思いだよ。なにせ我々は戦をしているのだ。戦力はいくらあっても事欠かない。だがよもや……よりによって連中にまで手を出しているとは……。これは偶然か……はたまた必然か……。本当に……感謝する」
「えっ……」
「…………」
小さなため息とともに書類を置いたノラシアスは席を立つと、深慮を思わせる声色で言葉を紡ぎながらフリーディア達の前に進み出て、深々と頭を下げる。
その行動は、さしものフリーディアとて予想外のものであったようで。表情こそ隠し通してはいるものの、堪え切れなかった驚きが唇から零れ落ちていた。
それに関してはテミスも同様で、叱責される事はあったとしても、頭を下げてまで感謝される事などあり得ないと考えていたテミスは、ピクリと肩を跳ねさせて静かに思考を凍り付かせた。
「……君が訪れたという件の酒場。あそこはとある湖族の根城の一つでな。あぁ、湖族とはいっても正式な私掠免状。言うなれば、ヴェネルティの船を襲う許可を持つ一味なんだ」
「えっ……!? だったらなぜ、彼等は抵抗せずに従うような真似を……?」
「免状持ちだからこそ、であろうな。今回、彼女が捕らえた連中は武力だけではなく、権力をもちらつかせていたという。免状を与えているとはいえ、彼等もまた湖族……荒くれ者である事に変わりはない。だからこそ、いざという時に備えて、こちらはいつでも免状を破棄し、拠点へ兵を差し向ける事ができる仕組みになっているからね」
「なるほど……。彼等がおじ様の旗下を名乗っている以上、逆らうことはできなかったという訳ね……」
「で……あろうな。しかし、彼等は精強で優秀な湖族団。もしもこの町に愛想を尽かされて敵に回られれば、その被害は計り知れなかったに違いない」
ノラシアスは彼の酒場に関する詳しい説明を終えると、愁いを帯びた表情で息を吐いてから、にっこりと笑顔を浮かべてテミス達へと顔を向ける。
そこには若干の疲れこそ覗いてはいたものの、テミス達に対するいら立ちや怒りは微塵も含まれてはいなかった。
「戦力が集うのならば、ある程度は致し方が無いと考えてはいたが、やはり娘の言う通りか……。この一件を教訓に、対策を取ることを約束するよ。無論、君たちには最大限の感謝を。ありがとう」
ゆったりとした口調でそう言葉を紡いだ後、ノラシアスは穏やかに微笑みながらテミスとフリーディアのそれぞれに目を合わせてから、改めて深く頭を下げたのだった。




