1779話 責務の在処
数十分後。
テミスの使いを名乗る青年に連れられたフリーディアたちが酒場に到着すると、そこに広がっていたのは野戦病院もかくやという程の地獄絵図だった。
床に横たわる男たちは皆、着崩れた騎士らしき制服を赤く染め、苦し気なうめき声をあげている。
だというのに。怪我人である騎士達には最低限の手当てしか施されておらず、店の客らしき屈強な男たちも、給仕らしき女たちも彼等の事など視界にすら入っていないかのように、カウンターの側に集まって楽し気に談笑していた。
その中心で笑っているのは、見紛うはずも無く白翼騎士団の制服を身に着けたテミスその人で。
テミスの姿を見咎めた瞬間。フリーディアはクラリと意識が遠のきかけるのを感じながらも、大股で血に汚れた店の中を横切って荒々しく口を開いた。
「テミス!! これは一体どういう事!? 説明をしてくれるかしら?」
「もむ……んむ……っ……。見てわからんのか? 食事中だ。相変わらず無粋な奴だな」
「ッ……!! また頬張ろうとしないッ!!」
ちょうどその時、テミスは報酬の食事である焼き魚を頬張っており、気炎を上げるフリーディアを手で制しながら咀嚼した後、再びフォークをカウンターの上に置かれた皿へと伸ばす。
だが、テミスが次の一口を得る前に、叫び声と共にフリーディアの手が閃くと、カウンターの上から焼き魚の乗った皿を攫って行った。
結果。
何も無いカウンターの上へと伸ばされたテミスの手は、名残惜し気に数秒空を掻いた後、コトリと軽い音を奏でてカウンターの上へと置かれた。
「何をするんだ。冷める前に食べてしまいたいのだが?」
「あ・と・に・し・な・さ・いッ!! ……っていうか貴女、よくもまぁこの惨状を目の前にしてご飯なんて食べられるわね!?」
「気にしなければどうという事は無い。所詮ただのゴミに過ぎんからな」
「なッ……!?」
「…………」
だが、澄ました表情で言葉を返すテミスに、フリーディアは言葉を強めて言い含めた後、チラリと凄惨な状態になっている背後へと視線を向ける。
尤も、フリーディアの意見にはテミスの周囲に集まっていた者達も同意らしく、言葉に出しこそしなかったものの、何とも言い難い苦笑いを浮かべていた。
「兎も角。説明が先。貴女が理由もなくこんな事をするとは思えないけれど、見たところ彼等は救援に来た騎士のようだし……。ノラシアスおじ――コホン。フォローダ公爵に報告もしなくちゃいけないわ」
「フゥン……。お前の目には、アレらが騎士に映るか。そしてフォローダ公爵に報告をするという事はつまり、被害の補填は公爵に請求すればいいらしい」
「ッ……! 待って。その言い方……すっごく嫌な予感がするのだけれど……」
「馬鹿が。安易にべらべらと喋りやがって。こいつ等はな、まともに金も払わずに飲み食いを楽しんだ上に、そこの女たちに乱暴狼藉まで働いていたんだ。あろう事か、ご立派な騎士様の権力を笠に着てな」
「なんですって……!!?」
深いため息と共にテミスが事の顛末を語った瞬間、フリーディアは信じられないとばかりに大きく息を呑んだ後、顔色を変えて背後で悶え苦しむ騎士達に視線を向けた。
とはいえ、テミスもフリーディアを諫めはしたものの、彼女が公爵の名を出すように仕向けたのは計算の内で。
どうせこの騎士共の飼い主が相手では、今回の被害の穴埋めを請求しようにも、煙に巻かれるのが関の山だろう。
だからこそ、勝手に押しかけてきた連中とはいえ、この町を治める者の責務として民を守る事ができなかった公爵に肩代わりさせる事で、公爵を諫めると同時に、この騎士共の飼い主への間接的な制裁を加えたのだ。
「心配せずとも、一人として殺しちゃいないさ。まぁ、全員利き腕は潰しておいたから、ロンヴァルディアの技術では二度と剣を振る事は叶わんだろうがな」
「……やり過ぎよ。彼等だって職を失ってしまったら、このさき生きていく術が無いわ」
「知った事か。物乞いでも何でもやればいい。少なくともこいつらは、武力と権力を以て悪を成したのだ。ならばそれらを取り上げるのは道理だろう」
事情を把握したフリーディアは、テミスに呆れたような視線を向けながらため息を吐くと、そのまま諫めるように説教を始めた。
しかし、テミスは鼻を鳴らしてフリーディアの諫言を一周すると、手を伸ばして奪われた皿を取り返す。
「これでも、お前に気を使って誰一人殺す事無く場を収めたのだ。寧ろ感謝して欲しいくらいだがな」
「ハァ……貴女にしてはそうね……えぇ……認めますとも。誰も命を落としていないのは奇跡に近いと。でも……あぁ……おじ様になんて報告したらいいのかしら……」
「ククッ……!! あれやこれやと気を回して大変だな。ありのままを報告してやれば良いものを。部下の失態の責任を取るのが上の役目だ」
「だからって、救援に来た私達が悩みの種を増やしてどうするのよ……。貴女はもう……本当に……首に縄でもつけておくべきだったかしら……」
皿を取り返したテミスが、再び魚を頬張りながら楽し気に告げる傍らで、頭を抱えたフリーディアは深いため息を零したのだった。




