1775話 飛んで火に入る虫が如く
酒と食事が出てくるのを待っている間の短い時間は、テミスにとってこの酒場の現状を知るには十分過ぎるほどだった。
傍らで酒を傾ける屈強な男が壁となっても、この席に辿り着くまでの間に騎士らしき男たちに姿を晒していた所為か、男たちの声が止む事は無かった。
彼等はしきりに自分達の席へ来いと誘ってみたり、子供をあやすような口調で怖くないと宣った直後、品の無い笑い声をあげたりと、普段白翼騎士団の面々を見ているテミスからしてみれば、到底同じ『騎士』という括りに存在する人間には思えず、胸の内に湧き出た怒りと呆れが深いため息となって零れる。
「……悪ぃな。普段はこんな店じゃねぇんだけどよ。今は時期が悪ぃんだ」
「ホゥ……? それは知らなかった。なるほど確かに。喧しくて煩わしい当たり、温かくなると増える虫に似ている」
「ブハッ……!!!」
そんなあまりの喧しさを見かねたのか、テミスの壁となって守っている男の一人が、酒を傾けながらぶっきらぼうに口を開いた。
尤もテミスとしては、ロロンに宣言してしまったものの、白翼騎士団の制服に袖を通している以上は自ら喧嘩を吹っかける訳にもいかず、向こうが仕掛けてくるのを待っていたのだが。
しかし、折角気を使って喋りかけてくれた男の好意を無駄にする訳にも行かず、テミスが鼻で笑いながら皮肉を口走ると、堪えかねた男が盛大に酒を噴き出した。
「ゴホッ……! ゴホッ……!! 良い冗談だ。連中が居なけりゃ、俺も腹を抱えて大笑いしていたに違げぇねぇ」
「冗談……? 私は正直に本心で言ったつもりだが? フム……我ながら上手い例えだと思ったのだがな……」
「あ~……嬢ちゃんの気が強ぇのはよぉーくわかった。こんな所まで一人で来ちまう辺り、腕っぷしも相当なんだろうさ。だからこそだ。喧嘩を買うのなら相手を選べ。奴等は俺達みたいなゴロツキとは違うんだ」
「……その口ぶりだと、連中が何処のどいつか知っているように聞こえるが?」
「あぁ……知っているさ。公爵様ン所に押しかけてきた連中だよ。あれでいて騎士様だってんだから質が悪りぃ。歯向かったら即牢屋行き。下手すりゃ、斬られて湖に浮かぶ羽目になるし、なまじ勝っても次の日にゃ倍の数で殺しに来やがる」
「フゥン……。まさに虫じゃないか。それも特別に質の悪い害虫だ」
テミスはカウンターへと身を預けたまま男と言葉を交わすと、僅かに身を捩って飽きもせずに囃し立て続けている騎士達を窺い見た。
だが何度見ても、そこにへばりついているのは、おおよそ戦いの場に身を置く者とは思えない所作の者達ばかりで。
腰に佩びているはずの己が剣を放り出している者も居れば、玩具代わりに女の股座に挟んでいる馬鹿までいる始末。
「嬢ちゃん! あんま連中を見るんじゃねぇ! 気付かれたら庇い切れねぇぞ! 今の話は嘘じゃねぇんだ。俺等の連れも何人やられたか……ッ!!」
「そこいらのごろつきよりも質が悪い。夜道を歩いていたら突然後ろからバッサリいかれた奴もいる」
「……十秒。いや……五秒も要らんな」
ゆらゆらと身体を揺らしながら背後へ視線を向けるテミスに、両脇を固める屈強な男は焦りを見せて言葉を重ねる。
けれど、テミスは両脇の男の事は意識の端に留めているだけで、騎士らしき男たちの強さを推し量ると、早々に一人一太刀どころか、一つのテーブルにつき一太刀で済む程度の雑魚だと結論付けていた。
とはいえ厄介なのは、連中が傍らに女を侍らせている事で。
彼女たちに被害が及ばぬようにする為には、少しばかり工夫をする必要があった。
「お待ちどお。さ、早い所食べて帰んな」
ならば、如何にして相手に仕掛けさせるべきか……。
そう思考を巡らせていると、低い声と共に良い香りを漂わせた食事がテミスの前へと差し出される。
その時だった。
「……ッ!!」
「おぉいッ……!! さっきから俺達が喋りかけてやってるってのに、無視するたぁいい度胸じゃねぇか? あぁッ……?」
ガシャンッ!!! と。
酒の入った小瓶がテミスの頭上を通過し、カウンターの向こう側の壁に叩き付けられて砕け散った。
しかし、被害はそれだけには留まらず、周囲に飛散した瓶の破片と中身の酒が、今しがた出されたばかりのテミスの食事の上へと降りかかる。
「ッ……!! 止めろッ!! 他の客に絡むんじゃねぇ!!」
「うるせえ!! 引っ込んでな!! さっきから邪魔なんだよ!! おい女。俺達はフォローダ公爵家付きの騎士だ! 引っ立てられたくなけりゃサッサと言う事を聞け」
「…………」
堪え切れなくなったらしい騎士らしきの男の一人が、酒に呑まれて怪しくなった呂律で喚きながら立ち上がると、威嚇をするかのように足音高くテミスの方へと歩み寄った。
だが、テミスが応ずるよりも早く、傍らの屈強な男が立ち上がって諫めるも、不規則な足音が止まる事は無かった。
そして。
「邪魔すんならテメェも引っ立てるぞ? それともここで斬ってやろうか?」
「クッ……!!」
「そういう訳だ。ま、お前にとっても光栄な話だろ? オラ、震えてないでサッサと――ッ!?」
屈強な男を恫喝しながらテミスの背後まで歩み寄った騎士らしき男は、遂にカウンターを向いたままのテミスの左肩へと手をかける。
だがその刹那。
まるでゴミでも払うかの如く動かされたテミスの手が、バシリと音を立てて騎士らしきの男の手を叩き払ったのだった。




