1761話 火元を求めて
いくらファントの地で情報をかき集めようとも、現地の者達が肌で感じるそれより確かなものは無い。
故にこの、大量の流民の存在が何を意味するのか。テミスはそれをよく理解していた。
住み慣れた町を棄て、慣れ親しんだ生活を投げ打ってまで、かつての敵地へと逃れる。
そのような明日をも知れぬ生活に身を投ずるなど、生半可な覚悟でできる事ではない。
否。それほど過酷な選択を迫られる程度には、彼等の背を押す何かがあったのだと考えるべきだ。
「ッ……!! もはや猶予はない……が……ッ……!!!」
結果。
事態を重く見たテミスが選択したのは、選抜部隊を用いての強硬的な偵察だった。
戦争を止めたとはいえ、ファントよりも東側の土地はロンヴァルディアの領地だ。
当然その境を超えるにはロンヴァルディアの許可が必要となるし、ファントの戦力である黒銀騎団を動かすとなれば、相応のリスクも伴う。
しかしそれを加味して尚、テミスは情報の収集を最優先とし、ロンヴァルディアへ向けて斥候部隊を放ったのだ。
だが……。
「…………」
日が傾き始めた頃、進発した部隊からもたらされた情報に芳しいものは無く、イゼルの町をはじめとするファント近郊の町に大きな動きは見られなかった。
それに加えて、魔王領であるプルガルドに隣接する地であるテプローの町を治める冒険者将校、ケンシンへと使いを出してみたものの、確たる情報を得ることはできなかった。
ただケンシンからの言伝には、何やらロンヴァルディア本国の方が慌ただしいという。
勿論、ロンヴァルディアの町までの偵察任務はかなりの時間がかかるし、殆ど人間しか居ないロンヴァルディア領の奥地へと旗下の魔族たちを送り込むのは、自殺行為に等しい。
「……参ったな。どうしたものか」
ロンヴァルディアで何かが起きているのはほぼ間違い無い。
それが我々ファントへ累を及ぼすものであるのか否か。それを知らずして現状を放置するのは、怠慢以外の何物でもないだろう。
とはいえ、元々フリーディアの旗下であった白翼騎士団の連中を使えば、相手が相手であるだけに反目の危険は十分にある。
なにせ、全員が全員フリーディアに心酔している異常者共とはいえ、ロンヴァルディアに家族を残してこちらへ来ている者も少なくはない、逃れ得ぬしがらみだって当然存在するだろう。
「マグヌス。意見はあるか? この状況をどう見る?」
「難しいご質問ですな……フゥム……」
思考が堂々巡りを始めたテミスは、ぐしゃりと前髪を掻き上げてため息を吐くと、コーヒーを淹れるべく準備を始めていたマグヌスに視線を向けて、静かな声で問いかけた。
すると作業の手を止めたマグヌスは、顎に手を当てて考え込む素振りを見せながら作戦卓の傍らまで歩むと、視線を彷徨わせたままゆっくりと口を開く。
「戦の気配がするのは確実でしょうな……。ですがそれが暴政に対する反抗なのか、それとも国を挙げての宣戦布告であるのかはわかりません。ですがあくまでもこれは私見になりますが、本国の統制を振り切った冒険者将校の暴走の可能性もあるかと」
「あぁ……いつぞやのカズトのように……か……。懐かしいな」
「はい。あの頃の私は、よもやこうなるなどとは想像すらしておりませんでしたが……いやはや、随分と昔に感じるものです」
「クク……慌ただしい日々が続いたからな……。お前にはよく働いて貰っているよ」
「……! 勿体無いお言葉です」
テミスは穏やかな声でそう告げると、マグヌスの胸の内で提示した可能性を吟味しながら目を細めた。
確かに現状では、今の平和に緩んだ何処ぞの冒険者将校が、功名心か欲望に駆られたのか、侵略を侵略を企んでいるという可能性は一理ある。
その目的が魔王領であれファントであれ、ロンヴァルディア本国としてはこちらに知られる前に内々に処理したい事であろうし、それならばケンシンの寄越した情報とも合致はする。
だが……。
「……それだけで、これ程の流民が発生するだろうか?」
テミスは胸の内に引っ掛かった疑問を呟くと、執務机の天板を指でトントンとリズムよく叩き始めた。
無理な徴兵に傭兵の囲い入れなど、流民の発生を前提として考えれば、理由は幾らでもつけることはできる。
とはいえ、そんな派手な動きを見せれば当然こちら側でも異変は察知できるだろうし、斥候を放ってなお何も掴めない現状とは、僅かに食い違っているようにも思えた。
「テミス様。ライゼルに任を与えてみてはいかがでしょう? 彼の者ならば、実力は十分でしょうし、何よりフリーディア殿以外に縛るものはありません」
「……ライゼルの単独任務か」
考え込むテミスに、マグヌスは姿勢を正して意見具申をすると、テミスの相槌に深く頷いてみせる。
確かに人間であるライゼルならば、問題無くロンヴァルディアの町まで潜り込めるだろうし、何より黒銀騎団は兎も角、フリーディアを裏切る可能性は限りなく低い。
問題は、奴がフリーディアを介さずに発した命令を素直に受け入れるかだが……。
「よし。ひとまずそれで行ってみるか。もしも拒絶されたら、後でフリーディアの奴に改めて――」
八方ふさがりの今、マグヌスの案が最善手だろう。
そう判断したテミスが、パシリと手を叩いて命令を発しかけた時だった。
「――テミスッッ!!!!」
「……っ!?」
突如。
執務室の扉が爆発したかと思うほどの音を立てて開くと、顔を青ざめさせたフリーディアが部屋の中へと、脱兎の如き勢いで飛び込んできたのだった。




