1760話 真実の尻尾
翌日。
ファントの黒銀騎団執務室には、フリーディアからの緊急呼集を受けたテミスと副官二人、そしてカルヴァスが厳しい表情で額を突き合わせていた。
しかし、緊迫した部屋の中の空気になじめぬ者が二人。
夜警終わりに、執務室の隣の部屋を自室へと戻ろうとしたところを捕まったサキュドと、朝イチで睡眠から叩きだされたテミスだけは、ただその胸中で己が不幸を呪いながら、刻一刻と傾いていく自身の機嫌を表現しているのだ。
だが、目の下に濃い隈を作ったフリーディアがテミスたちの纏う雰囲気を省みる事は無く、深刻な表情を浮かべてこの場に集った面々の顔を見渡してから、静かな声で口を開く。
「事態は私たちが思っていたよりも深刻だったわ。見て」
虚空に視線を彷徨わせるテミスとサキュドを黙殺し、フリーディアは綴られてすらいない紙束をバサリと音を立てて作戦卓の上へ置いた。
けれど、その言葉に従って書類へと視線を向けたのはマグヌス一人のみで。
書類の制作に携わったが故に内容を知っているフリーディアとカルヴァスは兎も角、テミスとサキュドは未だに夢と現の狭間を行き来している。
「……まぁ良いわ。きっと、その眠気もすぐ醒めるから」
「何かのリストのようですな……書かれているのは名前と職業、出身地? これだけではまだ、何を仰りたいのかかわかりかねますが……」
「でしょうね。それは――っ……!!」
「フリーディア様ッ!?」
「……ありがとうカルヴァス。大丈夫。少し、説明を任せてもいいかしら?」
「ハッ……!」
そんなテミス達へチラリと視線を向けた後、フリーディアは唇を吊り上げて微笑みを浮かべると、唯一きちんと話を聞いているマグヌスへ視線を向けた。
その視線の先で、マグヌスは提示された書類を数枚だけ手に取って捲りながら、唸るように言葉を返す。
フリーディア達の用意した書類は急遽かき集めたもので、形式に沿ってわかり易くまとめている余裕はなかった。
何故なら、調べを進めて行けば行くほどに、問題の深刻さは加速度的に増していき、フリーディア自身が簡易的な形式を以て報せる事を優先すべきだと判断したためだ。
しかし、肝心のフリーディアも説明をしようと口を開きかけた直後、グラリと大きく体を傾がせると、目頭を押さえて作戦卓に掌をついた。
瞬間。弾かれたような勢いでカルヴァスがその肩を支えるが、すぐにそれを辞したフリーディアは額に掌を当てたままカルヴァスに説明を引き継いだ。
「そこに記載されている者達は、簡易宿泊所の営業を始めて以来、留まり続けている者のリストです」
「……? そこに何の問題が? 盛況なようで何よりだと思いますが」
「ふふ……本来ならね。さ、ここだけはあなた達も聞きなさい。ホラッ……!」
「……!」
「――っ!」
事務的な口調でフリーディアの説明を引き継いだカルヴァスが、簡潔に書類に記載された内容を伝えると、マグヌスは怪訝な表情を浮かべてゆっくりと首を傾げる。
事実。マグヌスの言う通り、簡易宿泊所が大盛況であるのは黒銀騎団にとってもファントの町にとっても喜ばしい事なのだ。
だがフリーディアは、遂に本題に入ったと言わんばかりに会心の笑みを浮かべ、バシリと掌で力強く作戦卓を叩いて音を立てる。
その音が執務室の内に響くと同時に、夢現を彷徨っていたテミスとサキュドがビクリと肩を跳ねさせ、まるで非難するかのようにとろんとした眼差しをフリーディアへと向けた。
瞬間。
「簡易宿泊所の利用者。その六割ほどが人間領……つまり、ロンヴァルディアより東側から流れてきた流民なのよ」
「…………。へぇ……」
「…………っ。ッ……!? 六割だとッ!?」
「ひぅッ!?」
自身へと意識が向いた好機を逃さず、ひと際大きな声でフリーディアが告げると、寝惚けていた二人の反応が大きく分かれる。
ただ話を聞かされているだけのサキュドは、一瞬だけ薄く目を開いたものの、曖昧な相槌と共に再び夢の世界へ向けて歩みを進めていく。
一方でテミスは、大きく反応こそ遅れたものの、緩んで焦点の合っていなかった瞳を見開き、驚愕の表情を浮かべて声を上げた。
その声に反応してようやく、夢の世界へと誘われていたサキュドもパチリと目を見開いた。
「ふふ。おはようテミス。その反応が見れただけでも、夜を徹した甲斐があったというものだわ? ねぇ、カルヴァス」
「……ですな。ちなみに補足いたしますと、六割の中には流民の中でも新たに冒険者稼業を始めた者達は含めておりません。ギルドへ押しかけ、交渉の末に協力を取り付けたので情報に間違いは無いかと」
「どう考えてもおかしい。異常な数だ。いくら生活水準に大きな差があるとはいえ、あちら側のこちら側への忌避感は相当なもののはず……!! 商機に聡い商人でもない限り、わざわざ訪れるはずが無いッ!!」
意識を覚醒させたテミスは、皮肉交じりに微笑むフリーディアの言葉に反論する暇もなく、作戦卓の上に残っていた書類を引っ掴むと、ブツブツと呟きながら高速でその内容に目を通していく。
そこには、とても一昼夜でかき集めたとは思えないほどの情報量が記されており、時折乱れている字がフリーディア達の苦労を感じさせた。
「それを押してでも、連中の足をファントに向けさせる何かがある……? マグヌス! 斥候部隊を急編する!」
「ハッ……!」
「フリーディア。後は我々で引き継ぐからお前達は少し休め。だが悪いが、何かあったら遠慮なく叩き起こすぞ?」
「ん……。後は任せるわ」
「ッ……! テミス様。サキュドは……」
一通り書類に目を通したテミスが声を上げると、即応じたマグヌスがビシリと姿勢を正して返事を返す。
同時に、テミスは疲弊しきったフリーディアとカルヴァスへ視線を向けると柔らかな微笑みを浮かべて退室を促した。
だが、そこにサキュドは含まれておらず、それに気付いたマグヌスは踵を返すと、声を潜めてテミスへと進言する。
「あぁ……サキュドは夜警だったか。すまない、サキュドも休んでくれ」
「……あぃ」
それを受けたテミスは、苦笑いを浮かべてサキュドにも休息を促すと、三人はフラフラと覚束ない足取りでテミス達に背を向けた。
そんなフリーディア達の背を見送る間も無く、テミスは自身の席へと飛び込むと、部隊の編成を始めるべく、机の引き出しの中から書類の束を引き摺り出したのだった。




