1756話 当てなき休暇
日々の職務に鍛練、そしてマーサの宿屋での給仕など、ファントに平和が訪れたといっても、テミスの日常は多忙を極めていた。
特に、近頃始めた新たな剣術の鍛練では、未知の剣術を習得するための協力者であるフリーディアの所為で、過酷極まるものと化している。
とはいえ、その厳しさは彼女自身の気質故のものであり、自らに厳しく在り続けた為、努力をするという点においての基準が、他者と比べて壊れているだけなのだが……。
そんなフリーディアに付き合わせている上に、それなりの成果が出始めている手前、テミスは心の底から後悔をしつつも投げ出す訳にもいかず、渋々ながらも毎日稽古を積み重ねている。
だが、ヒトという生物は休日無くしては生きることができないもので。
喧々囂々と気炎を上げるフリーディアを宥めて賺して辛うじて説き伏せたテミスは、勝ち取った丸一日の休みを、存分に堪能していた。
「ふぅ……ユヅルの店にも顔を出す事ができたし、久々に武具を見る事もできた。やはり休日というのはこう……何もかもが自由でなくてはな」
晴天の空を仰ぎ見ながらそう嘯いてから、テミスは大きく伸びをすると、人で賑わうファントの大通りを一望した。
ここ最近は、何かと理由を付けてフリーディアが付き纏ってきたり、護衛と称したシズクが片時も傍を離れなかったりと、本当の意味で一人の時間を過ごす事が殆ど無くなっていたように思う。
一応、このファントを治めているという立場上、いついかなる時も護衛が付いているのは仕方のない事ではあるのだが、戦う力を完全に取り戻した今だからこそ、こうして一人で過ごす事も出来るようになった。
「さ……て……。昼を少し過ぎたところ……か……。予定を組んでいたのは、携帯用のナイフを一振り買うのと、ユヅルの店で昼食を済ませる所までだったからな……どうしたものか」
ぶらぶらと当てどなく町の中を歩きながら、テミスは上機嫌にひとりごちる。
フリーディアは今頃、マグヌスと一緒に執務室で書類と奮闘している頃だろうか? 今日はサキュドにも書類仕事を手伝うように伝えてあるが……どうせヤツの事だ、上手い事二人に押し付けて、何処かで部下でも捕まえて槍を振るっているに違いない。
「フム……」
そんな事を考えながら歩いていたせいか、テミスの足は自然とシズク達の拠点である獣王の館へと向いており、立派な拵えの門の前でピタリと足を止めた。
近頃は昼と夜の仕事と自分の訓練にかかりきりで、ヤヤやシズクとはあまり顔を合わせてはいない。
ゲルベットへの旅を手伝わせた礼も兼ねて、獣王の館に顔を出しても良いのだが……。
「せっかくの休みに夕方まで鍛練か……」
幾度となく潜り抜けた門を前に、テミスは苦笑いを浮かべて呟きを零した。
別に、シズク達と共に鍛練をするのが嫌な訳ではない。
無尽蔵とも思える体力を持つヤヤの素早く無軌道な動きは、鍛練とはいえこちらも参考になるし、目覚ましく成長していくシズクを見ているのは楽しくもある。
けれど、彼女たちの元を訪れてしまえば、このまま夕方……否、下手をすれば日が暮れた後まで、身体を動かし続けることになってしまう。
それは休みと呼ぶには少々、今のテミスの心は緩み過ぎていて。
「……またの機会だな」
シズク達との交流は、仕事と称してフリーディアに書類仕事を押し付ける大義名分の一つでもある。
だからこそ、休みに仕事をする訳にはいかないな……。と、テミスが僅かにちくりと痛む心に自ら言い訳を並べながら、獣王の館に背を向けた時だった。
「あら……? これはこれは、テミス様じゃないか。こんにちは!」
「っ……! あぁ、こんにちは。奇遇だな」
丁度出てきたらしいシズクの部下に声を掛けられ、テミスは僅かに肩を跳ねさせた後、ぎこちない笑みを浮かべながら背後を振り返る。
このままではまずい。何とかしてシズク達を呼ばれる前にここを立ち去らねば……!
ニコニコと明るい笑顔を浮かべるシズクの部下を前に、テミスは内心の焦りをひた隠しにしながら思考を急速に回転させ始める。
「今日も二人と鍛練です? それとも、何かヤヤ様かシズクちゃんに御用ですか?」
「ン……いや、私は偶然ここを通りかかっただけなんだが……」
「本当ですか? あぁ~良かったぁ……。実はヤヤ様とシズクちゃん、今日は外出していまして。ギルドの依頼を受けての狩りだって言ってましたので、戻りは夕方過ぎなんです」
「そうだったのか……。意外……と言ったら失礼だが、二人がギルドの依頼を受けているとは知らなかった」
「あははぁ~……。ヤヤ様、シズクちゃんからテミスさんのコト聞いたみたいで、それ以来自分もSランクになるって言ってご執心なんです。シズクちゃんは責任をもってヤヤ様のおも……じゃなくて教導係なんですよ。あ、コレ私が言ったって内緒でお願いしますね?」
「クス……了解した。では、今日私はここに居なかった……という事にしておこうか」
「こう言っては失礼かもですけれど、それが良いかもです。テミス様が居たって知ったら、二人とも絶対に面ど……ゴホン、がっかりするから……」
「ふ……では、我々の平穏の為にも、この辺りで私はお暇するとしよう。では、またな」
けれど、話を聞く限りどうやら小細工を弄する必要はなかったらしく、所々で本心が零れ落ちているシズクの部下に笑いかける。
そして、テミスは簡単な別れの挨拶と共に片手をあげて身を翻すと、シズクの部下の見送りの声をその背に受けながら、次なる目的地を求めて再びファントの町を歩き始めたのだった。




