1755話 先人の教え
一時間後。
キッチリと全ての仕事を終わらせたフリーディアと、待ちくたびれた様子のテミスは、木剣を手に裏庭で向かい合っていた。
二人とも普段は真剣を用いての鍛練の時であっても、防具を身に付けることは少ないのだが、今日に限っては揃って訓練用の革鎧を着用している。
「……わざわざこんなものまで用意しているなんて」
「クク……鍛練でまたイルンジュの所へ逆戻りなどしたくはないだろう?」
「それはそうだけれど……。だったら、いつも通り寸止めの方が良いんじゃないの?」
「悪いがまだ模索中でな。手加減をしてやれるほどの余裕が無いんだ。なにせ、戦場で見ただけの剣術を再現しようというのだ、やはり相応の難易度は在って然るべきだろう」
「っ……! ふふっ……」
呆れたように呟いたフリーディアに、テミスは手にした木剣で空を薙ぎながら答えを返すと、機敏な動きを以て地面を叩く寸前でビタリとその切っ先を止める。
だが、少なくない皮肉の籠められた言葉であったにもかかわらず、フリーディアは何故か一瞬だけ大きく目を見開いた後、とても嬉し気に頬をほころばせた。
「……なんだよ?」
「ううん。それなら、力になれるかなって。彼の剣を身に付けたいのでしょう? だったら――」
「――確かに、直接打ち合っていたのはお前だからな。ならば今日は鎧もある事だ。遠慮なく、打ち据えさせて貰おうか」
「もぅ……そうじゃなくて!! 紛いなりにも、貴女の剣……月光斬を身に着けたのは誰だと思っているの? すっっっっっごく大変だったんだからね?」
「っ……!!」
穏やかに告げるフリーディアに、テミスは敢えて好戦的な微笑みを浮かべて応ずる。
だが、普段ならば売られた喧嘩を言い値で買い取るはずのフリーディアはテミスの挑発に応ずる事は無く、何故か自らの携えた木剣を逆手に持ち替えると、腰に手を当てて力説した。
――確かに、言われてみればそうだ。
そのフリーディアの言葉に、テミスは自分でも驚くほどに得心すると、半身に構えていた木剣を下ろして向き直る。
完璧に再現できているとは言い難いとはいえ、フリーディアはただ戦場でまみえた情報だけを以て、月光斬を模倣してみせたのだ。
ならば、亮の亮の剣術を模倣せんと苦戦している今、経験者であるフリーディアの手を借りる事が出来るのはこの上なく力強い。
「なるほど。技を盗むのは得意技……という訳か。ならば一つ、ここは素直に先人へ教えを乞うとするか」
「厭な言い方ね。仕留め切れずに盗まれる方が悪いのよ。剣術でも体術でも、習得は模倣から始まるんだから」
「クク……仕留めるときたか物騒な奴め。ならば常に敵に情けをかけるお前の剣は、盗られたい放題という訳だが?」
「問題無いわ。たとえテミス、貴女が今の私の剣術を完全に習得できたとしても負ける気がしないもの」
「ッ……! 言ってくれる。大した自身だな」
「当然でしょう? だからこそ、毎日鍛練を絶やさない事が大切なの。たとえ同じ技、同じ剣であっても、私が走り続けてさえいれば、私を真似た誰かに追い付かれる事は無いわ」
自身の技を盗まれた意趣返し……というには些か子供じみた対抗心を燃やしたテミスが皮肉を重ねるが、フリーディアは欠片ほども動ずることなく凛と胸を張って言い放つ。
それはテミスからしてみれば、才に恵まれた者のみが吐く事の許される、妄言にも似た傲慢な暴論ではあったものの、事実一日たりとも鍛練を欠かす事のないフリーディアを知っているからこそ、どこか腑に落ちる部分もあった。
「…………やれやれ。大した奴だよ。本当。それで? まず私はどうすれば良いんだ? 先生? それとも、師匠とお呼びした方が良いか?」
「っ~~~~!!!! 何よ急に、気持ち悪い。背中がぞわぞわするからやめてよね。それに、彼の剣をモノにするのだもの。師匠というのなら彼の方じゃない? 私はただ……そうね。貴女が技を盗むのに手を貸す共犯者……かしら?」
だからこそ。テミスは軽口の詫びの意味も込めてそう告げたものの、それを聞いたフリーディアはピクリと肩を震わせた後、眉根に深々と皺をよせ、口をへの字に曲げて苦言を呈する。
しかし、少なからず真意は伝わっていたらしく、フリーディアはすぐに表情を緩めて手にした木剣をクルリと回すと、悪戯っぽく微笑んで見せた。
「フッ……ならば頼もうか。共犯者殿。まずは何をするべきだ? これまで、奴の動きを真似て素振りをしてきたのだが、どうにも上手く馴染まなくてな」
「任せなさい。そのまま動きを真似ても馴染まないのは当たり前だわ? 貴女と彼じゃ体格が違い過ぎるもの。がむしゃらに剣を振っても意味が無いわ。だから、まずは型の確認から……どんな構えからどんな攻撃へ移ったかを思い出して、構えの役割を予想するの」
「フム……? 確か……こう……だったか……? あとは……」
そんなフリーディアに、テミスは早速とばかりに行き詰りつつあった現状を明かした。
素振りで光明が見えなかったからこそ、打ち合いの中で習得を試みたのだが、どうやらそれもフリーディアからすれば間違いらしい。
自身の説明を聞いた途端に、自らもいくつか構えながら説明を始めるフリーディアの言葉に従って、テミスは鍛練を始めたのだった。




