1752話 敗北と勝利
人型の燐光が屋敷の中へと消えて行ったあと。
テミスたちとファントを包み込む燐光は徐々にその光を弱めながら虚空へと消えていった。
儚さすら覚えるその光景が完全に消え去るまで、ものの五分とかかることはなく、ファントの町は元の姿を取り戻した。
中央広場に残されたのは唖然と佇む兵達と、満身創痍のテミス達。そして腹を切った姿勢のまま動かなくなった亮の遺体だけだった。
「…………」
「今のは……幻? でも……」
何が起こる訳でも無く過ぎ去った不思議な時間に、フリーディアは戸惑いながら周囲を確認した後、チラリと亮の遺体へ視線を向ける。
確かに、妙な話ではあった。
亮の目的は元居た世界への帰還。術式は確かに発動していたし、たとえ不完全な発動であったのだとしても、全く異なる術式である幻覚がまろび出てくるのはつじつまが合わない。
ならば、考えられる可能性は一つ。
そもそも、亮が教えられたというこの術式自体がただ巨大な幻を見せるだけの偽物だったのだ。
思えば、亮は自身で呪い……魔法の類は不得手だと言っていた。
だとするならば、魔法の素人である亮に対して、世界を渡る魔法であると偽り、幻影を映し出す術式を教え込むのは容易であっただろう。
とはいえ、恐らくは亮自身であっただろうあの燐光の人影を鑑みるに、希望的な観測をするのならば、心だけでも無事に帰還する事ができたと考えることはできなくもない。
なにはともあれ、結果として残ったのは無事なファントと亮の遺体なのだ。
あれ程まで強く帰郷を望んでいた亮を騙した何処ぞの術師への怒りや、結果はどうあれフリーディアとの二人がかりで亮に敗北を喫した悔しさはあれど、ファントを守るという最低限の目的だけは辛うじて達成できたらしい。
「あぁ……畜生……」
「ちょッ!? テミスッ!?」
これからのファントには、辻斬りが姿を現す事は無く、元通りの平穏な町へと戻っていくことだろう。
そう確信したテミスは、抑えようのない安堵に微笑を浮かべると、その場で崩れるように倒れ込んだ。
そして、同時に込み上げてきた敗北の辛酸に、噛み締めるように呟きを零す。
結局、亮には一度たりとも勝つことはできなかった。
フリーディアと力を合わせて、辛うじて掠らせることが出来たあの月光斬を一本と数えるのならば、一矢を報いることができたと言えなくもないが……。
「…………。ん……? 待て。月光……斬……?」
「……ッ!?」
安堵に霞み行く頭でそこまで思考を巡らせた時。
テミスは強烈な危機感とともにがばりと体を起こすと、ガタガタと全身を震わせ始めた。
隣では、事態をまるで把握していないフリーディアが困惑の表情でテミスを見つめていたが、既にテミスにはそんな事を気にかけている余裕はなかった。
「ッ~~~!!!!」
その事実に気が付いた途端、テミスは自身の身体を蝕んでいた痛みなど吹き飛び、全身から嫌な汗が吹き出るのを自覚する。
そう。ここはファントの町の中心に位置する広場なのだ。
勿論周囲には家屋や店々が立ち並び、広場一体こそ事実上の封鎖してはいるものの、今回は町の住民に避難などさせてはいない。
そんな場所で、全力全霊の月光斬など放てば、如何なる悲劇が訪れるかなど想像に難くなく、テミスはギシギシと軋む音でも聞こえてきそうな程ぎこちの無い動きで、恐る恐る自らが月光斬を放った方向へと視線を向けた。
「っ……!!」
そこには、テミスが危惧したような惨禍が広がっている事は無く、石畳にガンブレードを突き立てて膝を付くレオンと、周囲に散ったカードの中心で伸びているライゼル。そして、その後ろで大の字になって寝そべっているサキュドが並んでいた。
「お前達……まさか……」
「……? テミス。貴女さっきから変よ? とにかくこれ、勝ったってことで良いのよね? なら、さっさと勝鬨でもあげなさいな」
「うるさい。勝手にやってろ。…………。はは……」
驚きと安堵に目を見開いたテミスの傍らでは、周囲の困惑を代表してフリーディアが苦言を呈するが、テミスはすげなくそれをあしらうと、この戦いで一番の功労者たちへと笑顔を向ける。
弾いたのか、それとも守ったのかはわからないが、サキュド達は見事、テミスの放った月光斬からファントの町を護り抜いてみせたのだ。
「あぁ……」
これでもう、何も案ずる事は無いだろう。
二度の驚きを経て噴き出した安堵に胸を撫で下ろしながら、テミスは満足気に息を漏らして石畳の上に背を預けると、フリーディアが周囲の者達と共に勝鬨をあげる声を聞きながら、静かに目を瞑ったのだった。




