1746話 裁きの光剣
「『賢座に君臨せし裁きの王よ。我が願い奉るは愚かなる罪人への裁き――」
フリーディアが前進の構えを取ったのを確認すると、テミスは静かに呪文を紡ぎ始めた。
無論。長い詠唱を必要とするこの魔法はこちらの世界に存在する代物ではなく、彼の世界で物語の一幕にて描かれていた、裁きの光を放つ魔法なのだが。
衆目の中で、これほど派手な魔法を使うのはテミスにとっては悪手でしかない。だが、亮を相手に隙を作るなどと言う離れ業をやってのけるには、それなりの魔法を引っ張り出してくる必要があった。
「――誅伐を。誅滅を。誅戮を。罪から産まれし罰は罪の元へ、光の剣となりて降り注がん――」
朗々と響き渡るテミスの詠唱が進むにつれ、その頭上にゆっくりと幾本もの剣を模った光が並び始める。
最初は一本、二本……四本……と徐々に数を増やしていった光の剣はすぐに膨大な数へと膨れ上がり、太陽の如き輝きへと成長した。
しかし、テミスがこうして脅威足り得るであろう魔法を展開しているにもかかわらず、亮は軍刀を構えたまま微動だにする事は無く、その目は静かに眼前のフリーディアへと注がれていた。
――舐められたものだ。
そんな亮を睨み付けると、テミスは詠唱を紡ぐ口を動かし続けたまま、皮肉気に口角を吊り上げて、胸の内で呟きを漏らす。
確かにこの魔法は、威力と手数こそ途方もないものの、裁きの力を秘めた108本の光の剣を放つだけという単純なものだ。
故に、威力と物量を以て圧し切ったり、足止めには最適なものの、敵味方が入り乱れる乱戦の中では、正確に狙い撃つなどという芸当は不可能なこの魔法は適さない。
だからこそ亮には、この魔法の正確な効力こそ暴かれてはいないものの、この魔法かフリーディア、そのどちらが本命かを推し量っているのだろう。
「――ッ!! 正しき天秤が示す導きに従い悪を滅ぼせッ!! ジャッジメント・セイヴァー!!!」
その意図を理解して尚、テミスは詠唱の最後の一節を高らかに紡ぎあげた。
フリーディアの注文は足止めだが、この一撃で終わらせてみせる。そんな気概を込めて完成させられたテミスの魔法は、一拍の沈黙を経た後、流れるような動きで亮へと向けて次々と射出される。
「……フンッ!! ッァア!!」
しかし、気合一閃。
亮は鋭く軍刀を振るうと、雨霰が如く自身へと降り注ぐ光の剣を次々と凌いでいく。
否。凌ぐどころか、弾き、砕き、打ち据え、叩き折り、ただの一振りたりともその身に傷を付けられていない所を見ると、未だ幾ばくかの余裕すら感じられる。
「チィッ……!! だがッ……!!」
全方位からの飽和攻撃すら凌いで見せる亮に、テミスは忌々し気に舌打ちを漏らすが、その頬は未だ不敵な笑みを形作っていた。
何故なら、この魔法はテミスの狙いである亮の撃破には至らなかったものの、フリーディアの注文である足止めの役割は完璧に果たしているからである。
既に、テミスの眼前で構えていたフリーディアの姿は無く、亮の軍刀が届く距離のすぐ外側を、飛来する光の剣が如き超速度で駆け回っている。
「ッ……!!! ゴハッ……!! ガハッ……!!!」
百八本あった光の剣も残すところ数十本となった時。
テミスは激しく咳き込むと共に、大きな血の塊を吐き出した。
長い詠唱を紡ぐためにはどう足掻こうと肺に負担がかかる。傷付いたテミスの肺でそのような真似をするのは、己が傷口を抉るのと同義で。
寧ろ呼吸困難に陥ったり、意識を失わずに済んだだけでも僥倖と言えるだろう。
しかし、膝を付かないまでも最早今のテミスに次の呪文を紡ぐ事は難しく、ここから先は実質フリーディアと亮の一騎打ちとなる。
つまり、この残り数本にまで減った光の剣が尽きた瞬間こそ、勝敗が決する時だった。
そして、その時はすぐに訪れて。
「チェリィヤァッ……!!」
放たれた最後の一振りを、亮は一際気合の籠った斬撃を以て打ち据え、弾かれた光の剣は澄んだ音を奏でながら宙を舞うと、背を丸めて咳き込むテミスの頭上を通過して、その背後にドズリと刃を埋めた。
次の瞬間。
訪れた空白はまるで時間が制止したかのごとき一瞬で。
周囲に散らばる降り砕かれた光の剣と、その中心で軍刀を振り抜き残心する亮、そして亮の背後から猛然と斬りかかるフリーディアは、まるで一枚の絵画のように、食い入るように戦闘を見据えるテミスの目に映ったのだった。




