163話 信仰するセイギ
「フフ……この程度で狼狽えるとはアナタらしくない」
もう一人のライゼルが微笑を浮かべながら進み出ると、片手の先に挟んでいたカードをテミスに向けその図柄を掲げて見せた。
「月のカード。意味は幻想・欺き・隠れた敵……貴女がこうして斬り込んできてくれたからこそ、使えたカードです」
「誘い込まれた……と言う訳か……」
「いいえ?」
じりじりと腰を落とすテミスがそう呟くと、ライゼルは事も無げに言い放った。
「これは唯の一案に過ぎません。来ないのならばそれで良し。別のプランを取るだけですからね」
「面倒な奴め……」
「おっと!」
テミスがそう息を吐いた瞬間。ライゼルの傍らに着弾した光の矢が石を砕き、その破片がライゼルの顔へと弾け飛んだ。――この一瞬を逃す手はない。
「――っ!!」
ライゼルが体を傾けて石礫を躱した先に、テミスは回り込むように飛び込んだ。そして、大剣を巻き込むように捻った腰を戻してライゼルを薙ぎ払う。
「ライゼル様ッ!」
「大丈夫だよ。視えているからね」
「ハッ……」
バギィィンッ! と。重量感のある金属音が響き渡り、辺りの空気をその余波が震撼させる。テミスの薙いだ大剣は、光り輝くカードによって受け止められていた。
「何故……ファントを攻めるッ! ドロシーはお前を裏切った……お前がファントを墜とした所でッ……餌は貰えんのだぞッ!!」
ギャリィ! バギィッ! と。激しく刃を交えながら、テミスが咆哮する。例えライゼルが私を打ち倒したとしても、奴が守る南方とファントを同時に守る事はできない。つまり、ライゼルがファントを手中に収める事は無いのだ。
「餌……ねぇ……」
「解っているのだろう! 貴様が必死になって人間軍に奉仕したとしても、連中はお前の事を使い勝手の良い駒と思うだけだ!」
「えぇ……そうでしょうね」
ライゼルがテミスの剣の表面を滑らせるようにして受け流すと、それを切っ掛けに二人は示し合わせたように同時に距離をとった。
「……それでも」
「……」
そして、ライゼルは軽く俯くと、空中のライゼルと同じようにカードを一気に展開させて叫びをあげた。
「それでも! 私はお前を斃さなくてはならないのだ!」
「話にならんな。傷を負わされたのがそんなに気に食わないか? それを言うのであれば、私への負債の方が多いと思うがね」
「……そうかっ……解らないかッ……!」
ぎしりっ。と。ライゼルが苦痛を堪えるかのように呟くと、その歯が固く噛み締められた。そして、その隙間から漏れ出るような声でボソリと口を動かすと、ライゼルはテミスを睨み付けて咆哮した。
「仲間の死など、お前には何の価値も無いと言う事かッ!!」
同時に。その怒りに呼応するかのようにライゼルの背負ったカードが光を放つと、白く輝く光線が甲高い音と共に射出される。
「フン…………コンコルドの錯誤か。下らんな」
「なっ……にっ……?」
しかし、テミスはその光線を半歩動くだけで躱すと、ライゼルの怒りを一言で切って捨てた。
「それはただの錯誤だ。ライゼル。ドロシーを退けた時点でお前達は退くべきだった。戦って得るものが何もない以上、いかに損害を小さく抑えるかを見るべきだ」
「馬鹿を言うな! そんな事をすれば……お前達の殺された兵達は――」
「――無駄死に。だな。それを言うなれば、ファントを攻めなければその数も減らせただろうに」
ライゼルの言葉尻を喰って会話を断ち切ると、テミスは周囲に目を向けた。それを追って、ライゼル達もまた未だに魔法弾の降り注ぐあたりへと視線を向ける。
その先は……。宙に浮いたライゼルが守るこの小さな一帯の外は、まさに地獄そのものだった。
サキュドの魔法に身を焼かれ、その炎を何とか消そうと悲鳴と共に地面を転がる者。シャーロットの光の矢に頭を射抜かれ、崩れ落ちている者。そして、それを盾に死の雨を躱そうと試みたのか、剣山のように矢の突き立ったその死体の下には、一人の小柄な兵士が盾を貫いた矢に射貫かれて死んでいる。
「ならその想いを……命を蔑ろにしろと言うのかッ!」
「仲間の死を想うからこそ、お前を斃さなければならないんだッ!」
怨恨の炎を目に宿したライゼルが叫びを上げると、武器を失った女弓兵は血を吐くような悲鳴と共に、空になった手を握り締めてテミスを睨み付けた。
「やれやれ……信仰の違いだな」
テミスは深いため息と共に首を振ると、血払いをするかのように剣を振ってライゼルを睨み返すと小さく言葉を続けた。
「憎しみを果たすよりも生き残り、失った者の事を覚え続ける事……それこそが一番の弔いだと思うがな……」
「黙れェッ!! 殺したお前が何を言うッ!」
ライゼルの怒りの慟哭と共にテミスが前へと踏み込む。刹那。激しい衝撃と共に土煙が舞い上がったのだった。