1731話 黒に抗え
ファントの町で再び辻斬り事件が起き始めたのは、閉ざした門を開いてから二日目の事だった。
当然、テミスたち黒銀騎団とて何の対策も講じていなかった訳ではなく、直接相対したテミスやシズクの報告をもとに制作された、絵姿付きの手配書を各所に配布した上で、町を出入りする者を余さず見聞する為に人員も増強していた。
それだけの警備を敷いていたにもかかわらず、町の内側で辻斬りが起こった事に、最初はテミス達も模倣犯を疑ったのだが、イルンジュの所へ運び込まれた被害者の鋭利な傷と証言から、亮は既に町の中へ潜り込んでいると言わざるを得なかった。
「ッ……!!! クソッ……!!! これ程の対策を施して尚掻い潜られるかッ……!」
ズドン! と。
テミスは苛立ちと悔しさを拳に込めて執務机へと叩き付けると、固く噛み締めた歯の隙間から言葉を漏らす。
亮の標的がテミスでなくこの町そのものである以上、町への侵入を拒むのが一番の対策だった。
「どこから入り込んだというのだ!! ええい忌々しいッ!! 馬車の底にでも張り付いていたのかッ!?」
「まさかそんな虫みたいな……。それに、馬車の底はテミスがどうしてもって言うから、見分項目に入れたじゃない」
「だったらどうやってッ……!! ッ~~~!! すまん。今はそんな事を言っている場合では無いな。早急に対策を打たねば……」
「警護に当たらせるのなら、カルヴァス達が適任だわ。他の部隊と上手く連携できれば、昼と夜で交代させれば何とか休息も取れると思うの」
言うが早いか、フリーディアは自身の席から立ち上がると、自身の案を書き記した書類の束をテミスに差し出して朗らかに告げる。
そこには、それぞれの隊員の特色や相性に合わせた分隊編成や、担当地域、交代時間などが緻密に記されていて。
ざっとテミスがこの場で軽く目を通しただけでも、それなりに高い完成度を誇っているのが読み取れた。
だが。
「フム……だが、このやり方では前の二の舞ではないか?」
「そうかしら? これなら皆きちんと休息は取れるし、以前のように消耗する事は無いと思うけれど……。あぁ、でも全軍をあげて警備に当たっているから、外から別の脅威が迫った時には脆いわね」
「いや、そうではなくてだな」
「……? 他に何かあったかしら?」
「…………。ハァ……サキュド。マグヌス。読んでみろ。お前達の感想も聞きたい」
眉を顰めたテミスの苦言に、フリーディアは心底不思議そうに首を傾げてみせる。
どうやら、この表情から察するに本気でわかっていないらしく、テミスは僅かに眩暈を覚えると、溜息と共に書類をそのまま副官達の方へ突き出した。
「拝見します。…………。フゥム? おぉ……よくぞここまで緻密な計画を……! 私には、特に問題点は見当たらないかと存じますが……」
「……うへぇ。マグヌス、アンタ本気で言ってるの? アタシはイヤよこんなの。冗談じゃないわ!」
書類を受け取り、それぞれに目を通したサキュドとマグヌスの反応は真逆のもので。
何度も頷きながら読み込んだマグヌスは、笑顔すら浮かべながらフリーディアの案を賞賛し、逆にサキュドは書類を読み進めれば読み進めるほどに表情を曇らせ、最後には吐き捨てるように言い放った。
尤もテミスとしては、今回ばかりは流石にサキュドだけではなく、マグヌスにもフリーディアの案の問題点を理解してもらいたかったところではあるのだが……。
「どうやら、結論は出たみたいね?」
それを見たフリーディアは、何処か得意気な笑みを浮かべて胸を張ると、話は決まったとばかりにテミスへ視線を送る。
だが、テミスは呆れかえったような視線を二人へ注ぐばかりで、再び深いため息を吐いてから静かに口を開いた。
「何を勝ち誇っているのかは知らんが、この案は通さんぞフリーディア。論外だ」
「なッ……!? どうしてッ!?」
「こんな命令を旗下に出したら刺されても文句は言えんぞ。フリーディア、お前は今の状況がいつまで続くと想定している?」
「いつまでって……それは当然犯人を、リョウ……? を捕まえるまででしょう」
「あぁそうだ。だが、兵を二分したこの配置では、お前から報告を受けた以前の配置より防衛力が劣るのは確かだ」
「えぇ。そうね。でもその分、維持する事は出来ると思うけれど?」
「つまりお前は、兵達に一日の休みも無く働き続けろと言うのだなッ!? 持つわけがないだろこの大馬鹿者がッ!!」
反論するフリーディアに、テミスは苛立ちを込めてバシリと執務机を平手で叩くと、未だ悪気すらないフリーディアに己が非道を理解させるべく語気を荒げた。
「休息と休日を混同するな!! 兵は機か……道具ではないのだ!! 心と体の両方を休める必要がある!! その為に休暇は必須!! 限定的なものならば兎も角、長期的な作戦において休暇を潰す事は兵を潰す事だと心得ろ!!」
そう。フリーディアの提出した案には一日たりとも休暇は無く、適切に配置こそされてはいたものの、黒銀騎団の全員が任ぜられていたのだ。
つまり、現代社会も真っ青な年休ゼロ日の悍ましき超ブラック労働を、この女は平然とした顔で提出してきたという訳だ。
「今は有事よ!? テミス。貴女の言いたい事はわかるけれど、今は休暇なんて作っている暇は無いわ?」
「わかっていないッ!!! 断じてだ!! 中途半端……故に最悪なのだ! お前の案は!!」
「流石テミス様!! さぁさこの女にもっと言って…………。ゑ……?」
サキュドの声援を受けながら吠えたテミスは、鼻息荒くフリーディアから受け取った書類を机の上に広げると、案を修正すべく荒々しくペンを掴みあげたのだった。




