1726話 帰るべき場所
マーサの宿屋へと向かう帰り道。
普段ならば酔っ払いや夜を楽しむ人々で大賑わいな街路も、町を封鎖したが故なのか道行く人々はまばらで。
それでも、そういった楽しみを辞められない者達もいるらしく、明かりの灯る店々はそれなりの繁盛を見せていた。
「それでね? テミス。テミスが強いのはこの間のお祭りでよぉくわかったけれど、こんなにも怪我ばっかりして帰ってくるのはやっぱりよくないと思うの」
「それは同感だよ。私とて痛いのは御免だし、治るまで色々と生活が不便になる」
「なら逃げてよッ!! …………って言っても無駄なんだろうね。解ってる……つもりだよ。うん。なんでそんな怪我をしたのかは私にはわからないけれど、自分の身が危なくなったくらいじゃ絶対にテミスは逃げない」
「っ……。そうでもないさ。今回は馬車を旋回させている暇が無かったからな。逃げる暇もなかった」
「なぁんて口では言うんだけどねぇ……。ウチのテミスさんは。いざ危なくなったら絶対に逃げないって私は知っているのですよ」
「それは私の……姉……さ……コホン。姉だからか?」
「そ。姉さんだからです! 妹の事はわかるの!」
「っ~~~~!!」
その道すがら、テミスとアリーシャは肩を並べてのんびりと歩きながら、緩やかな雰囲気で言葉を交わしていた。
話題こそ、テミスの無茶を咎めるようなものではあったものの、時折アリーシャが感情を抑えきれずに本心を零す以外は、叱るというよりも聞き分けの無い子供に言い聞かせるような様子だった。
そんな雰囲気に絆された所為か、テミスの張り詰めていた気は緩んでいき、肩から力が抜ける。
すると思わず零してしまった言葉尻を、にっこりと満開の花のような笑顔を浮かべたアリーシャに取られ、テミスは顔を赤く染めてそっぽを向いた。
「でも。心配なのはホントだよ。このままこんなコト続けてたら、いつかテミスが帰ってこなくなっちゃうんじゃないかって。怖くなるの」
「そうならないよう努力するよ。いっそ腕や足の一つでも落してくれば、アリーシャを心配させずに済むかもしれないな」
「テミス。それ、本気で言っているなら怒るよ?」
「……ごめん。冗談だ」
「ん。腕も足も無事じゃなきゃダメだからね? じゃないと一緒にお仕事、出来なくなっちゃう」
喉を鳴らして皮肉気に告げた冗談に、アリーシャは眉を吊り上げて声のトーンを落とすと、テミスの顔を覗き込んで問いかける。
その気迫は、戦場を駆けるテミスですらもたじろがせるほどのもので。
テミスが己の失言を素直に謝罪すると、アリーシャは再び笑顔を浮かべて至極当然な口調で言葉を返した。
「っ……! そうか……そうだな……」
けれど、テミスは胸の中に染み入っていくアリーシャの言葉を噛み締めるように、ゆっくりと返事を繰り返した。
そうだ。
片腕でも失えば、客に食事を運ぶことは難しくなる。
片足でも失えば、義足を使えば歩く事は出来るだろうが、マーサの宿屋のように繁盛している店では、その速度に追い付く事はできないだろう。
つまり腕や足を失うという事は、この穏やかで温かな時を失うという事で。
「ッ……!!!!」
それを自覚した途端、テミスは背筋を刺し貫くような恐怖が貫くと同時に、胸に刻まれた傷の痛みが増したように思えた。
「っ……! あぁ……そう……か……」
「……? どしたの? もしかして辛い? 少し休む?」
不意に足を止めて呟きを漏らしたテミスに、数歩先んじたアリーシャは即座に踵を返すと、テミスの肩を掴んで問いかける。
その声色には、大きな思い遣りと一抹の不安が混ざっていて。
「いや……大丈夫だ。気が付いたんだ。あの男が何を失い、何に焦がれ、藻掻いているかを」
身を寄せるアリーシャに微笑みを返しながら、テミスはゆっくりと言葉を紡ぎながら止めていた足を再び動かした。
柴山亮。あの男が御国と呼ぶかつての日本に置いてきたもの。
それはまさに、今この場に……目の前に在る温もりで。
もしも、亮が失ってしまった大切なものを取り戻さんと足掻いているのならば、彼の内に秘めた激情は、悲願は、少しだけ理解できるような気がした。
「その人って、テミスを怪我させた人の事だよね? 私としては、どんな理由があってもテミスを傷付けた事、許せないけどなぁ……!! 引っ叩いてやりたい!」
「ハハ……引っ叩くか。アリーシャらしいな」
「そう! 思いっ切りグーで殴ってやるんだから! それでしっかりとテミスに謝らせてから、ウチで働いてもらうの! それから、何か困っているなら、テミスも一緒にどうすればいいかを考える!」
「プッ……! クククッ……!! 良い案だな。それは面白そうだ」
可愛らしく作った握り拳で空を薙いだ後、アリーシャは得意気に胸を張ってそう宣言した。
同時にテミスは、自身の脳裏に浮かんできた、仏経面を引っ提げた亮が、あの鋼鉄のような堅苦しい口調で給仕をしている姿に笑いを零す。
そんな、甘くて優しい未来が訪れる事は無い。
能天気なフリーディアならば兎も角、これは戦いに身を置く者ならば誰にでもわかる常識だ。
そう知りながらも、テミスは未だ脳裏に残る給仕をする亮の幻想に笑いながら言葉を零した。
「でしょう? あ、そうだ! テミス聞いて! 私、たまにだけれど厨房でお母さんの手伝いをしても良いって言われたんだ! 料理の作り方とかも教えて貰ってるの!」
「なんだとッ……!! 凄いじゃないか!! 今度是非、アリーシャの作ったご飯も食べさせてくれ」
「うん! 味見、よろしくねッ!!」
「ふっ……任せろ。いくら作っても平らげてやる」
――だが、だからこそ。譲ってやる訳にはいかんのだがな。
そして、華やかな話題へと移り変わっていく傍らで、テミスは明るい笑顔で声を弾ませながら、密かに胸の内で呟いたのだった。




