1725話 温かな迎え
「それではフリーディア、兵達の休息は手はず通りに。サキュド。無理はするなよ?」
イルンジュから治療を受け終えたテミスは、執務室へと帰還したフリーディア達へそう告げると、静かに席を立った。
窓の外はもうとっぷりと日が暮れており、ファントの町は普段よりも落ち着いた賑わいを見せている。
「……いつもの大賑わいなファントの夜も悪くはないが、こんな程よい静けさを併せ持った夜も良いものだな」
「えぇ。これが物騒な事件の所為じゃなければ、私も諸手を挙げて賛成する所なのだけれど……」
「クス……。そうだな。失言だった。シズク達には良く礼を伝えておいてくれ」
「了解よ。正直、町を閉鎖したとしても限界なんてとっくに超えていたから、ギルファーの力を借りる事が出来るのは助かるわ」
「変な所でお前は義理堅いというか、頭が固いというか……。そこまで抜き差しならない状況ならば、応援要請くらいしてみれば良いものを。アレでも一応友好国なのだぞ?」
「そうはいかないわ。個人間の話なら兎も角、正式な協力要請ともなれば、それはギルファーという国家への借りになる。そこまで話が大きくなると、私が傍付きとして預かっている権限で判断できる範疇を超えているもの」
「フッ……その頭の固さは、お前の短所だが、紛れもなく長所でもあるな」
傷を庇いながらゆっくりと身体を動かしたテミスは、フリーディアと言葉を交わし永田部屋を横切って大剣を手に取ると、僅かに逡巡してから小脇へと抱えた。
テミス個人的には、背負った方が動きやすいし荷物にならないのだが、背負った際に胸を横切る剣帯が傷に障るのだ。
「クスッ……。何よそれ。まぁいいわ。こちらの事は任せて貰って構わないから、今日は早く帰ってあげなさい。さもないとあの子、また黒銀騎団に入る~なんて言い出しかねない剣幕だったわよ?」
「っ……! そうしよう。どうせこの傷だ。隠しようが無いからな……。せいぜい怒られてくるさ」
「そうしなさい。ホラ……! さっさと行った行った! アリーシャちゃんを待たせているんだから」
「……フリーディア。お前、私がアリーシャに叱られるのを楽しんでいないか?」
「いいえ? 別に? ……それよりも。帰り道は気を付けなさいよね。貴女が護衛は要らないって言うからつけないけれど、本当なら――」
「――わかったわかった。何かあったら助けを求めるし、無理に応戦もしないとも。じゃあな」
微笑みを浮かべたフリーディアが、溜息と共に一度決着をつけた話を蒸し返し始める前に、テミスは半ば強引にその言葉を断ち切って執務室を後にした。
扉を閉めた後、背後から何やらくぐもった叫び声が聞こえてきたが、テミスは構わず黙殺して階下へと足を運んだ。
そこには、先程フリーディアが言っていた通り、アリーシャが迎えに来ていて。
テミスの姿を見付けた途端、大きな目に涙を溜めて駆け寄ってくる。
「アリーシャ。わざわざ迎えに来てもらってすまな――」
「――っ!! テミスッ……!!」
「ッ……!!」
だが、後ろめたい気持ちが先行したテミスが口ごもりながら告げかけると、アリーシャはそのままテミスを抱きしめると、肩口に顔を埋めて名を呼んだ。
幸いにも、アリーシャが顔を埋めたのは傷を受けた箇所とは逆だったため、大きな痛みが走る事は無かったのだが。
それでも、抱き留められた衝撃は多少傷に響き、テミスは密かに固く歯を食いしばると、胸の内に痛みを屠り去った。
「心配したッ!! テミスが酷い傷だって……悪い人にやられちゃったんだって言う人もいて……!!」
「……すまない」
「ねぇ、もう大丈夫なんだよね? 歩いているもんね? 痛い所は無い?」
「あぁ。問題無い。ありがとう」
「っ……はぁぁ……良かったぁ……。あ、でも怪我をしたのは本当なんでしょ? 荷物、持ってあげる! きゃっ!?」
「いや、これは……あっ……!! とと……」
言うが早いか、アリーシャはするりと抱きしめていたテミスから身体を離すと、手に携えていた大剣ごと荷物を取り上げてしまう。
しかし、テミスの剣は相応の魔力を持たない者にとっては、持ち上げる事すら困難なほどの重量を誇るブラックアダマンタイトで出来ていて。
剣がテミスの手から離れた瞬間。大剣が本来の重さへと戻ると、驚いたアリーシャは小さな悲鳴をあげながらぐらりと体勢を崩す。
けれど。
即座に手を伸ばしたテミスが、剣と共にアリーシャを支えて事なきを得た。
「大丈夫か? 私の剣は少しばかり気分屋でな。私が手放すと重くなってしまうんだ。だから持ってくれるのなら、こっちだけ頼む」
「……むぅ。でも、仕方ないわね。わかったわ。じゃあ、帰りましょ! お母さんたちが夜ご飯を作って待っているんだから! お説教は、歩きながらね!!」
「お手柔らかに頼む」
咄嗟にアリーシャの身体を支えたテミスは、穏やかな微笑みを浮かべながらそう告げると、大剣の柄にぶら下げていた荷物袋をアリーシャへと差し出した。
すると、アリーシャは僅かに頬を膨らませてみせたものの、すぐににっこりと笑顔を浮かべて頷くと、荷物袋を受け取ると同時に手を握って歩き出す。
そんなアリーシャに手を引かれて、テミスは黒銀騎団の詰め所を後にしたのだった。




