1724話 良薬のスゝメ
テミスが帰還すると、ファントの町は蜂の巣をつついたかのような大騒ぎに陥った。
第一に、血塗れのまま黒銀騎団の詰め所へ戻ったテミスを迎えたのはサキュドとマグヌスだったが、テミスの惨状を見た瞬間に逸ったサキュドが殺気を撒き散らしながら飛び出していき、それを追ってシズクとフリーディアが駆け出して行った。
次に、マグヌスがイルンシュへ迎えの馬車を向かわせるように指示を出したのだが、それを遮ったテミスは、自身の乗っていた馬車に伝令を乗せて向かわせたのだ。
当然。馬車の内は所々ではあるもののテミスの血で汚れており、騒ぎは病院の付近を忠臣に伝播し始める。
それに加えて、テミスによって迅速に町の門を閉ざせと命令が下り、ファントの町に住む人々の間では、テミスですら敗北を喫したほどの強敵との防衛戦が始まるとまで囁かれ始めていた。
「……以上が現況の報告になります」
「了解だ。ハァ……急ぐ必要があったとはいえ、少しやり過ぎた気がしないでも無いな」
執務室の椅子に腰かけたテミスは、上半身に病衣を羽織って前をはだけながら呼び寄せたイルンジュに治療を受けている格好のまま、告げられた報告に溜息を漏らす。
報告の為に眼前に立つマグヌスは、ピシリと背筋を伸ばして姿勢を正してこそいたものの、視線だけは手元の書類へと向けられたり、明後日の方向へと向けられたりとせわしなく泳ぎ続けていた。
「それで、サキュドの奴は?」
「は。フリーディア殿とシズク殿によって、門を飛び出す寸前に無事捕まえることができたようで、今は落ち着きを取り戻してこちらへと向かっています」
「フッ……そうか。あまり責めてやるなよ。感情に任せた独断専行は咎めるべきだが、原因が原因だからな」
「心得ております。この身体が十全であったならば、私もサキュドに続いていたでしょうからな」
「良く言う。お前はサキュドを諫める役だろう?」
「我等にとっては、それ程までに衝撃だったという事です。どうか……ご自愛ください」
「あぁ。考えて――ッ~~~~!!! 痛ゥゥッ……!?」
「テミス様ッ!?」
悠然と微笑みさえ浮かべながら、マグヌスと言葉を交わしていたテミスだったが、突如として襲った痛みにビクリと身体を跳ねさせると、堪え切れずに悲鳴を漏らす。
それに即応したマグヌスは反射的にテミスへと視線を向けるが、即座に再び視線を外した。
何故なら。
テミスを襲った痛みの元凶は、イルンジュの手によって塗りこめられた軟膏であり、痛みでテミスが身体を動かしたせいで、病衣がその役割を失っていた所為だった。
「ッ~~~……!! イ……イルンジュ……!! 凄まじくッァ……!! 痛む……のだがッ!? その軟膏は何だッ!?」
「傷が膿まないようにする為のものです。加えて、テミス様の場合はこれまでの事を鑑みても、ゆっくりとご静養なされる事は無いでしょうから、傷の治りを速める効能と共に、傷口に留まって覆い、再び傷が開くのを防ぐ役割もあります」
「グクッ……ゥァッ……!! とはいえ……だなぁッ……!! というか! 待て! 一旦手を止めんかッ……!! ァッ……!!」
「どうかご辛抱ください。今回は傷も大きく、深いものの、内臓の類までは寸前の所で届いておりませんでしたので、この程度で済んでいるのだとご理解いただきたく」
「淡々と新しい薬を掬いながら言うんじゃないッ!! 知っているぞ!! イルンジュお前、何を言っても手を止める気が無いだろうッ!!」
「流石のご慧眼であります」
「ふ、ふざけッ――ウァァァァアアアアアアッッ……!!」
目尻に涙を浮かべながら問うテミスに、イルンジュは静かな声で答えを返しながらもその手は動き続け、傷口に軟膏が塗りこめられるたびにテミスは悲鳴をあげる。
椅子に腰かけたまま治療を受けている所為か、テミスはかつての生で受けた歯の治療を思い出しながらも、足をばたつかせて藻掻きながら、新たに薬が傷口へ触れる度に広がっていく痛みを堪えた。
「……イルンジュ先生。ひとまず至急の報告は終えました故、私は人払いも兼ねて部屋の前で待機しております。処置が終わり次第お声掛け願えますか」
「わかりました。さ、テミス様。マグヌス殿が気を利かせて下さったのです。もう一息頑張りましょう」
「ま……待てマグヌスッ……!! お前からもイルンジュに止めるように……ッ~~~~!!!!」
そんなテミスへ背を向けると、マグヌスは懇願するかのように呼び止めるテミスに一礼をしてから廊下へ出て、良く響くテミスの悲鳴を封じ込めるかの如く、執務室の戸をピシャリと閉ざしたのだった。




