1720話 本物の軍人
シズクの叫んだ声と共に、テミスの耳が捕らえていたのは、刃が空を切る甲高い鳴き声だった。
しかし、思考が行動を決めるよりも前にテミスの身体は動き出し、後方へと大きく体を逸らす。
その眼前を、研ぎ澄まされた片刃の剣が通り過ぎていく。
「ッ……!!」
「ホゥ……躱す……か」
奏でられた剣閃の後、僅かな沈黙を破ったのは、残心を終えた亮だった。
その手に構えていたのは、ボロボロの外套に似合わないほど、綺麗な刀身を鈍色に輝かせた僅かに湾曲した片刃の剣で。
「……サーベル、いや、軍刀か」
「よもやその名を知る者が居ようとは。異人の癖に博識な奴よ」
「ハン。頭の固い奴め。だが、まぁ良い。不本意ではあるが、斬りかかってきたのだ。お前は私の敵という事で相違ないな?」
「然り」
「やれやれ、二枚舌とは恐れ入る。女子と剣を交える趣味は無いのではなかったか?」
ゆらりと軍刀を構える亮を前に、テミスは不敵な笑みを湛えて言葉を紡ぎながら、静かに大剣を握る手に力を籠める。
……洒落にならんぞ。相手は本物じゃないか!!
しかし、表面上こそは余裕を保つことができてはいたものの、テミスは胸の内で絶望の叫びをあげていた。
先ほどの一閃は、さほど早いものでは無かったし、テミスの動体視力ならば捉えることは容易かった。
だが、見えた所で躱すことができるとは限らず、恐らくは数千……否、数万と積み重ねられた鍛練を窺わせる、流れるような動きで放たれた初撃を躱す事ができたのは、完全に運が良かっただけだ。
「我が大願の為には止む無し。とうに誇りなど捨てた身だ。私に残されたのはただ、故郷へ帰らんとするこの意志のみッ!! その為ならば、例え汚辱に塗れ、鬼畜と罵られようと一向に構わんッ!!」
「……大した覚悟だ。だが、私とて問答無用で命を狙われる覚えは無い。せめてもの礼儀だ。私の命を狙う理由を答えろ」
テミスは必死で言葉を紡いで時間を稼ぎつつ、じわり、じわりとシズク達の乗る馬車から距離を取る。
恐らくではあるが、相手はかつて魔法の存在ない彼の世界で、実際に殺し合いに身を投じていた本物の軍人だ。
ともすれば、旧式ではあろうが銃の類を持っていても不思議ではないし、何より対人戦闘においてはこの世界の騎士達をも越えるプロフェッショナルと言うべきだろう。
「礼儀……懐かしい言葉だ。何処で知り得たかは知らんが、意味も知らずに死に逝くは確かに哀れ。ならばそのまま聞くが良い。長い話ではない」
「…………」
「テミス……と言ったな。お前を斬るのはただ、あの町を守護する軍の長と名乗ったが故である。精強にして統率の取れた良い部隊だ。かつての我が隊を思い出す程にな」
「ッ……! その口ぶり、貴様、ファントで何をした?」
全力で思考を巡らせたテミスの悪足掻きが功を奏したのか、亮は構えていた軍刀の切っ先を静かに下ろすと、鋭い眼光で前を見据えて堂々と語り始める。
しかし、亮が語り始めてすぐ、眼前の男がファントの敵でもあることを認識したテミスの雰囲気が、鬼気迫るものへと一変した。
「まだ何もできていないが故にここに居る。如何に私といえど、あれ程の精鋭達を一人で相手できるなどと自惚れてはおらん。だが、それが綻ぶのも時間の問題だろうな」
「…………」
カリリ……。と。
テミスの問いに答える亮の眼前で、テミスは強く握り締めた所為で爪と大剣が擦れる音を聞きながら、怒りのあまり逸りそうになる身体を必死で押し留めていた。
怒りに任せて叩き潰せるような相手ではない。
今でも、切っ先こそ下ろしてはいるものの、その身体は真半身を保っており、欠片ほどの隙も見当たらなかった。
「あの町は贄だ。人と魔の命が溜まるかの地にて、我が手にて更に命を捧げれば、御国へと至る扉が開くのだッ!!」
「出鱈目だ。何を根拠にそのような事を……」
「私は呪の類は不得手でな。ご教示賜わったのだ」
「ッ……ふざけるなよ。誰だ!! お前にそのような戯れ言を吹き込んだのは!!?」
「……恩人を売るは不義理。お前にそこまで語り聞かせる道理もなし。さて、これにて礼儀は果たした。構えろ」
怒りに吠えるテミスに、亮は淡々と言葉を返すと、下ろしていた軍刀の切っ先をゆらりと持ち上げて再び構えを取る。
その言葉は、最早対立は不可避であることを声高に物語っていて。
「そうか。ならばお前を叩き潰して聞き出すとしよう」
燃え滾るような怒りを胸に滾らせながら、テミスは殺気に満ちた瞳で亮を睨み付けると、ゆらりと切っ先を天へ向け、大剣を構えたのだった。




