1713話 影の試練
カッ……! コッ……! と、固い足音を響かせながらテミスの前へと歩み出たリョースに、その場に漂っていた緊張感が極限まで張り詰める。
テミスとしては、事情を知っているであろう軍団長の職にあり、かつ顔見知りでもあるリョースとここで出会う事ができたのは幸運以外の何物でもなかったのだが。
何も知らない衛兵たちにとって、テミスとリョースの邂逅は真逆の意味を持っていた。
……何故なら。
以前、テミスが魔王軍の軍団長を辞した際、リョースと交えた一戦は、今も尚魔王城に務める者達の間で密かに語り継がれるほどの逸話となっており、それを知る者達にとってこの邂逅は、因縁が再び相対しているに他ならないのだ。
「ほぅ? これは有り難い。まさかお前が出迎えに来るとは予想外だったぞ。リョース」
「……昨夜、衛兵長からの報告を耳にした時は眩暈を覚えたわ。貴様の事だ、よもや何かをしでかした訳ではあるまいな?」
「ククッ……! 人聞きの悪い事を言うな。大人しく宿を取って休んでいたとも。だからこうして出直してきた訳じゃないか。当然。支払いは魔王城に回してあるが問題はあるまい?」
「フムゥ……。その程度ならば……まぁ良いだろう。それで……成果は?」
「……つつがなく。ただ、文句は山ほどあるがな」
周囲を包む空気が、個体となってしまったのではないかと感じられるほどの緊張感の中。
威圧感を放つリョースを相手に、テミスは不敵な微笑みを崩さぬままつらつらと言葉を返した。
門前払いを喰らった程度で、意趣返しに何か問題を起こすような者だと認識されているらしい点は甚だ不本意ではあったものの、リョース自身やはりテミスの密命は聞かされているようで、話は予想以上にスムーズに進んでいった。
「貴様の文句とやらに思い当たる報告は受けている。品はこの場で私が引き受け、報酬は後程宿に直接届けさせるとしよう。何処に宿を取った?」
「っ……。ポリテリアパレスだ」
「なッ……!!?」
揺れない静かな声で問いかけたリョースの言葉に、テミスはピクリと眉を跳ねさせた後、クスリと口元を歪めて答えを返した。
最高級を誇る宿の名は、リョースや周囲の衛兵たちに衝撃を与えるには十分だったようで、リョースを含む衛兵たちの間に動揺が走った。
刹那。
「即応しろッ!!」
「ッ……!!!」
その隙を逃す事無くテミスは鋭く怒鳴ると、目にも留まらぬ速さで大剣を抜刀し、そのままの勢いでリョースへと斬撃を叩き込む。
だが、出し抜けに放たれたテミスの一撃は強烈な金属音を響かせただけに留まり、大剣を振り下ろしたテミスの前には、傍らを通り過ぎた斬撃に遅れて表情を青ざめさせたコーヌと、いつの間にか抜き放った太刀を構えて防御の姿勢を取るリョースの姿があった。
「テミスさんッ!」
突如として響いた剣戟の音に遅れること数瞬。
シズクは躊躇う事無く腰の刀を抜き放つと、身を翻して切っ先を周囲の衛兵達へと向けて構える。
同時に、エルリアの傍らに立っていたアドレスも、シズクに遅れて一対の短剣を抜き放ち、その場で腰を落として臨戦態勢を取った。
「ちょッ――」
「――リョース貴様。何のつもりだ? いや……何者だと問うべきか?」
「…………」
さらに遅れて魔王城の衛兵たちが武器を構え始める中。
テミスは油断なく大剣を構え直して鋭い視線でリョースを睨み付けると、低い声で問いかける。
しかし、その視線の先でリョースが動く事は無く、防御の姿勢を取ったまま静かにテミスを見返していた。
「答える気が無いのならば構わん。コーヌ。死にたくなければ退いていろ」
「ッ……! し、しかしッ……!!」
「誰かは知らんが、お粗末だったな。リョースならば、確かに私を疑い問う事はあろう。だが、慎重な奴が裏取りを怠るなどあり得んし、疑いをかけたのならばさらに深く追求してくるはずだ」
「…………」
「加えて! まかり間違ってもこのような場で、品を自分で引き受ける……などと口にする奴ではないッ!! あまり愚弄するなよ? 偽物が」
「えぇッ……!!?」
怒声と共に高らかに理由を告げたテミスに、二人の実力者に挟まれる形となったコーヌが、驚きと恐怖の声を漏らしながらじりじりと後ずさる。
ここは魔王城。本人も詰めているであろうこの場所で、軍団長の姿を騙るなど暴挙に等しい。
だからこそ、周囲の衛兵たちも戸惑いこそ見せたものの武器を下す事は無く、テミスとリョースを見据えていたのだが……。
「フッ……フフフ……。だから言っただろう? その程度の仕掛けでは、試すにも至らんと」
「っ……!」
しかし、テミスの眼前のリョースが黙したままでいるにも関わらず、その背後から響いたリョース自身の笑い声が場の空気を一変させた。
そこには、口元を拳で押さえて笑うリョースが姿を現しており、ゆっくりとした足取りでテミス達の方へと歩みはじめる。
「案ずるなテミス。こいつは敵ではない。ただ、お前を信ずるに足らんと言って譲らなくてな」
「……当然の事だ。魔王軍を出奔した裏切り者に、再び魔王城に足を踏み入れさせるなどどうかしているとしか思えん」
「口が過ぎるぞ。これは魔王様の命でもある。魔王様が御許しになったが故にこのような場を設けはしたが、これ以上続けるというのならば私にも考えがある」
「ッ……!! チッ……!!」
本物と思しきリョースの声色に剣呑な色が混じると、リョースの姿をした偽物はテミスを睨み付けた後、舌打ちと共に身を翻す。
そして、テミス達に背を向けて歩きはじめた偽物と入れ替わるようにして、本物と思しきリョースはテミスたちに肩をすくめて口を開いた。
「すまないな。ここからは私が案内しよう」
だが……。
「ハッ……おい偽物。随分と好き勝手言ってくれたが言い逃げか? それはそれで負け犬らしくてお似合いだが……敗北の代償だ。名を名乗り、素顔くらい晒して行け」
「ッ……!!! そのような野蛮な挑発には乗らん。貴様こそ忘れるな。今回は資質を試したに過ぎない。本来ならば貴様など――」
「――口だけは達者だなァ? 丁度証人となる連中も居るんだ。私などどうにでもできると言うのならば、今やってみせたらどうだ? んん?」
「ハァ……。気持ちは察するがそう煽るなテミス。……お前もだ。私は、確かに忠告したはずだぞ?」
「…………」
立ち去らんとする偽物の背にテミスが挑発をぶつけると、偽物は口調こそ冷静なものの鋭い殺気を纏ってそれに応じる。
しかし、二人の間にさり気なく身体を割り込ませたリョースが静かな声で両者を宥めた。
すると……。
「覚えておくと良い。我ら第十二軍団は裏切り者の始末も担っている。お前が魔王様にとって有害であると判じた暁には……軍団長たる私の手で排除してやろう」
偽物はゆらりと姿を揺らめかせたかと思うと、不気味な声だけを残してその場から忽然と姿を消したのだった。




