1711話 名の持つ威力
響き渡った一喝と共に、テミス達を取り囲んでいた衛兵が退いて道を作る。
そこには、怒りに表情を歪めた初老の男が、近寄りがたさすら覚える悋気を纏っていた。
「何事かと聞いているッ! あと、そこの小娘。妙な動きを見せてみろ、後悔する事になるぞ」
「ホゥ……? そう言われると試したくなってしまうのだがな」
「試したくば好きにするがいい。尤も……その必要も無さそうではあるが……」
「クク……。ならば、戦闘訓練まで供する宿とは珍しい……とでも思っておくとしよう」
初老の男は地面を踏みしめる足音を響かせながらテミス達の前まで歩み寄ると、係員らしき魔族へ問いを浴びせた後、ジロリとテミスを睨み付けて言葉を付け足した。
テミスとしては、謂れのない難癖を付けられた上に、取り囲まれて武器まで向けられたのだから応戦するべく剣を抜いたまでなのだが。
すぐに初老の男の視線が、自身の傍らに立つキールへと向けられたが故に、テミスはひとまず矛を収めて皮肉を叩き付けるに留める。
「キール。珍しく顔を出したと思えばこの騒ぎか。傍らの連中は何だ? よもや、儂の宿が如何なる場所か忘れた訳ではあるまい?」
「そう責められるのは心外ですね。私はただ……ヒルトン。貴方の宿に相応しいお客人をお連れしただけだというのに」
「なっ……!! ふざけ――」
「――黙って居れッ!!」
「ッ……!!」
静かに問いかけられたキールが肩をすくめてそう応ずると、怒りが覚めやらぬといった様子で立ち尽くしていた係員らしき魔族が怒声をあげる。
しかし、皆まで言葉を紡ぐ前に、キールがヒルトンと呼んだ初老の男が一喝し、場に重苦しい雰囲気が立ち込めた。
「貴方の宿は、魔族領の発展の為に尽力するお客人に、至高のもてなしと極上の癒しを提供する場であったと記憶しておりますが」
「然り。故に、浅ましくも我等の同胞たちが血と汗を以て作り上げた現在を貪らんと入り込んだ鼠はお断りしておる」
「で……!! ですよねッ!! 我々ポリテリアパレスは、高貴にして大役を担う魔人族の方々のための癒しの場所……!! 馬車に乗っているエルフは兎も角、獣人風情に果ては人間だと? 分を弁えろッ!!」
「……二度は言わぬぞ? 次は無い」
「ッ~~~!!!」
キールとヒルトンのやり取りに、係員らしき魔族は己の正しさを見出したのか、力を籠めて言葉を紡ぐと、テミス達に指を突き付けて口汚く罵った。
しかし、ヒルトンはそんな係員らしき魔族を諫めるでもなく、ただチラリと一瞥した後、低くドスの効いた声で警告を発した。
その警告は、係員らしき魔族にはとても利いたようで、傍目から見ているだけでも分かるほど震えあがって黙り込む。
「フゥム……。ッ……!! 驚いた……ブラックアダマンタイトの大剣に白銀の髪は、元・十三軍団長であらせられましたテミス様でございますかな? 察するに、お隣の猫人族の御方は先日の大会で腕を振るわれていたギルファーの剣士……シズク様とお見受けいたします」
「なッ……!!? はッ……!!? そん……なッ……!?」
「えぇ。その通りですよヒルトン。つまるところ、そこの男はテミス様ご一行を害せよと命じた訳でして」
「ガッ……! カッ……!! ァァッ……!!! この……大馬鹿者がッ!!」
「ヒッ……!! そのッ! 俺ぇッ!! 知らなくて……!!」
「たわけッ!! 言い訳など許さん!! 覚悟しておけよ貴様ッ!! そら、誠心誠意謝らぬかッ!! この度の無礼、申し訳御座いませんッ!!」
改めてじっくりとテミス達を見据えたヒルトンは、大きく目を見開いて驚きを露にすると、微かに震える声でテミス達へと問いかける。
その問いには、呆れたような声色を滲ませたキールが言葉を返す。途端に、ヒルトンは首を絞められたような声を漏らした後、涙目で震える係員らしき魔族を叱り飛ばした。
そこからは一転、ヒルトンに揃って周囲の衛兵たちまでもが武器を置き、深々と頭を下げはじめる。
「どうぞ……」
「ン……。ヒルトン……だったな?」
「は……ハハッ……!!」
「その男、断じて処分などと称して放逐するなよ? 迷惑だ。キッチリと責任を持って再教育を施して貰いたい。……と、『小娘』たる私は考えている」
「っ~~~~~!!!! か、か、畏まりましたッ! 必ずやそのようにッ!!」
そんなヒルトンたちを前に、テミスは視線でキールに確認を取ると、キールはコクリと頷きを返してテミスに場を譲った。
だからこそ、テミスは意地の悪い笑みを浮かべて、ヒルトンに釘を刺したのだが……。
どうやら、皮肉が過ぎたらしく、すっかりと畏まってしまったヒルトンは、テミスへ頭を下げたまま、傍らに引き寄せた係員らしき魔族の頭を掴んで上下に振り回していた。
「ハァ……それで水に流そう。それで? 我々はここで休んでも構わんのか?」
「勿論でございますッ!! 只今、最高級のお部屋をご準備いたします故ッ!! ささ皆様、こちらへどうぞ!! 馬車はそのままで結構です!」
「五人分だ。キール、ここまで来たんだ。悪いがお前も付き合ってくれ」
「フッ……承知いたしました」
すっかりと態度が変わってしまったヒルトンにテミスはため息を吐くと、肩をすくめて話を先へと進めた。
すると、ヒルトンは係員らしき魔族の頭を掴んだまま、目を見張るほどの速さで身を翻し歩きはじめる。
そんなヒルトンに、テミスは胸中の複雑な感情に顔を顰めると、チラリとキールを一瞥して言葉を付け加えてから、その背に続いたのだった。




