160話 テミスの愉悦
「テミス様ッ!! よろしかったのですかっ!?」
数刻の後。臨戦態勢の兵をファントに配置した後、各部隊の長たちは執務室に集まっていた。
「そもそも、何故前方に友軍が現れるとわかったの? そこの軍団長さんのお陰なのかしら?」
フリーディアは不機嫌そうにリョースへ視線を送ると、小さく鼻を鳴らしてテミスに詰め寄り言葉を続ける。
「友軍であるならば猶更、挟撃して叩くべきだと思うけれど?」
「フッ……」
どこか拗ねたように睨み付けてくるフリーディアに、テミスは密かに頬を緩めた。おおかた、義理堅い彼女の事だ……あのような別れ方をしたものだから、存分に張り切っていたに違いない。故に、肩透かしのような形になって、臍を曲げているのだろう。
「私は、『敵が何者かと戦闘を開始したら』と言っただけだぞ? 友軍などとは一言も口にしていない」
「えっ……けど、その『何者か』はライゼル達と戦っているのでしょう?」
「ああ。そうだな。まるで湧いて出たかのように、突如敵軍の前方に現れた何者かは、ライゼル達と戦闘を開始したな」
「っ……」
フリーディアの問いに、テミスが意味深に笑みを深めて答えると、ルギウスとサキュドが何かを察したかのように苦笑いを浮かべると、密かに息を吐いた。
「損耗が激しいとはいえ、ライゼル達は既に懐に潜り込んでいる。だがドロシーも馬鹿では無い筈だ……その辺りは踏まえて襲撃を仕掛けるだろう」
「えっ……? ドロシー……って……」
ただ一人。状況を呑み込めていないフリーディアが驚きの声を上げた。彼女のような聖人にとって、共闘している部隊が突如牙を剥く等という状況は理解しがたいのだろう。
「互いに喰い合って果てれば良し。残ったとしてもその損耗は計り知れんだろうなぁ……?」
言葉と共にテミスの唇がめくれ上がり、愉悦に満ちた悪魔のような笑みが顔を覗かせた。
完璧な漁夫の利だ。我々にとっての敵同士が互いに潰し合い、残りが疲弊しきった瞬間を見計らって叩き潰す。その瞬間までは、こうして連中の戦いを眺めながらその行く末を愉しんでいればいい。
「勝手に喰らい合ってくれるのだ。ならば我等はそれに甘んじて、介錯だけを務めようではないか」
「テミス……貴女……」
呟いたフリーディアが力なく後ずさると、テミスは壮絶な笑みを浮かべたまま、机に用意していたティーカップを摘まみ上げて紅茶を啜る。一応、各々の側には湯気を上げるカップが置かれているが、誰一人として手を付けている者は居なかった。
「……一つだけ」
不穏な沈黙が部屋の中に漂い始めると、それまで沈黙を貫いていたリョースが進み出て口を開く。
「一つだけ、問わせて貰おう」
「何だ? 別に遠慮せず、二つでも三つでも私は構わないが……」
「フッ……白翼の娘やラズールを任されている筈の第五軍団が何故このファントに居るかは敢えて問うまい」
「っ……」
リョースが真一文字に結んだ唇を僅かに緩めてそう告げると、テミスの眉がピクリと跳ねる。そして、それを見たリョースはどこか満足気に息を吐き、テミスに問いを投げかけた。
「第二軍団が勝利した場合、貴様はどうするつもりだ?」
「っ…………フフッ……なるほど。リョース殿もなかなかどうして意地が悪い」
「方法は分からぬが、追撃していた貴様等十三軍団……いや、ファント連合とでも言うべきか……。ともかく、それが退いた時点で、今の私ができる事は無いからな」
問いを聞いたテミスは、一瞬だけぽかんとした表情を浮かべると、すぐに得心したように頷いて唇を歪めた。
リョースは既に、ドロシー達に損害が出る事を承服しているのだ。その上で、ドロシーが自らの手でその尻拭いをしたのならばどう動くのか……。この問いは、それを確かめるための物だろう。
「連中がこの町を攻めない限り、見逃しますよ……今はね」
「……そうか」
テミスの返答を聞いた途端、リョースは眉間に深い皺を寄せて深い溜息を吐くと、自らに配られたティーカップを呷ってその中身を一気に飲み干した。そして、一同の視線を受けながら戸口へ進むと、立ち止まって口を開く。
「ならば私は、特等席とやらで見物させて貰うとしよう」
そして歩みを再開すると、硬い足音を響かせながら廊下へと消えていった。
「やれやれ……相も変わらずキザな男だ……。話が終わりならば、我々も行くとしよう」
その足音が消え去ると、皮肉気な笑みを浮かべたテミスはぽつりと零した後、部屋に残った面子を見回して問いかけた。
そもそもこの軍議は、帰還して早々食いついてきたフリーディアの為に開いたようなものだ。まぁそれだけではなく、若干の不満を浮かべていたルギウスや、行動の読めなかったリョースの動きを確認する為でもあったが……。
「っ~~~……言いたい事は沢山あるけれど、後にしてあげるわっ!」
数秒の沈黙を経て、肩を震わせたフリーディアが堪り兼ねたように声を上げる。そして、それを聞いたテミスが席を立つと、部屋に漂っていた空気が一気に弛緩した。
「それはどうも。全く、可愛い奴め」
「何よそれっ!? 聞き捨てならないんだけど?」
「何も。ただ思った事を言ったまでさ」
それを知ってか知らずか、テミスとフリーディアは自然に肩を並べると、言葉を交わしながら戸口へと向かって歩いていく。
その背中を、執務室に残った者達の生暖かい視線が見送っていたのだった。
2020/11/23 誤字修正しました