1699話 問い診る瞳
夜。
とっぷりと陽も暮れ、ゲルベットの夜空を満天の星々が彩り始めた頃。
縦横無尽に跳ねた髪の毛と、酷く眠たそうな眼差しを携えたニコルが、覚束ない足取りでテミス達の前へと姿を現した。
その時のテミス達は夕食も終え、ちょうど穏やかで緩やかな時間を過ごしていて。
けれど、扉の隙間からずるりと這い寄るかの如く食堂へと現れたニコルの姿に、気ままに過ごしていた面々の顔に緊張が走った。
「……ニコル」
「んぁ……。そう静まり返らないでくれ。見ての通り、今のワタシは死ぬほど眠たい。そう黙り込まれてしまっては、うっかりまた眠ってしまいそうだ」
「それは困るな。それ程の眠気に抗ってまで上がってきたんだ、何かしら用があるのだろう? 眠るのならば、それを伝えてからにして貰いたい」
その場の者達を代表して、テミスがゆっくりとした口調で口火を切ると、ニコルは疲弊の色濃い顔で笑顔を形作って言葉を返した。
無論。それがただの空元気であることは、この部屋の中にいる誰もが察していて。
だからこそ、テミスは皮肉気な微笑みを浮かべてみせると、ニコルの空元気に応えて軽口を叩く。
「ハハ……相変わらず、変わりないようだね。テミスちゃんは。何よりだ」
けれど、ニコルはまるで急に老け込んでしまったかのようにゆったりと笑うと、傍らの椅子を引いて、身を投げ出すかの如く腰を下ろした。
「さて……聞かせて貰おうかな? テミスちゃん。ワタシが地下に籠ってからの数日、何をしていたんだい?」
「……? 特段何かをしていた覚えはないが……依頼を請けて出る訳にもいかないし、街をぶらぶらと散歩したり、シズクと剣の稽古をしたり……くらいか」
フラフラよぼよぼとした動きがなお拍車をかけてそう連想させるのか、ニコルはまるで老婆のような問いを口にする。
しかし、テミスは僅かに首を傾げたものの、瞬時にこの問いが言葉通りの意味でない事を察すると、直近の記憶を掘り起こして慎重に答えた。
「んむ、んむ。では、その稽古で魔法を使った事は? まさかとは思うけれど、あの月光斬という技を使ったりなんてしていないだろうね?」
「魔法の類は使ってはいない。月光斬など以ての外なのだろう? 忠告を違えては居ないさ」
「……そうだね。あと気になるのは、フム……その剣だけれど……」
「っ……!!」
テミスの答えに頷きながら問いを重ねるニコルの視線が、テミスの傍らに立てかけられている漆黒の大剣へゆっくりと向けられる。
そういえば、ブラックアダマンタイトの性質は所有者の魔力に因るものだ。つまり、この剣を振るう事は……否、身に着けて歩いている事すら、ともすれば魔法を使ってはならないという制限に反しているのではないか?
漆黒の大剣で視線を留め、身じろぎ一つしないニコルに、テミスはそう内心で冷や汗を流した。
だが、流石に町が安全を取り戻したとはいえ、ルードが帰還するまでの警戒もあったし、この大剣を手放す訳にはいかなかった。
だからこそ、それを咎められてしまったら、テミスはどう申し開きをする事も出来なかったのだが……。
「……まぁ、それくらいなら大丈夫だろう。驚くほど魔力がよく馴染んでいる事だしね」
無造作に立て掛けられた大剣とテミスの間で視線を往復させた後、ニコルはクククッと喉を鳴らして笑い、肩をすくめてみせた。
その振る舞いは、何処か普段のニコルを思い出させるかのようで。
テミス達の間に満ちていた緊張した空気が僅かに緩んだ。
「さてと。問診はこれくらいかな。じゃあ……ルードはまぁ良いとして、彼女たちはどうする?」
「……!」
「えっ……っと……?」
「…………」
そんな僅かな緩みを穿つかのように、ニコルは一度部屋の中にいた全員の顔を見渡してから、不敵な微笑みを浮かべてテミスを見据え問いかけた。
その問いが意味するところはただ一つ。籠められた『確認』の意を汲み取ることの出来ないテミスではなかった。
当然、テミスの依頼主であるギルティアの薬の件や、テミス自身の現状などは、本来部外者である二人には絶対に明かすべきではない事柄だ。
しかし、ここまで側に居て、最後の最後だけ蚊帳の外へ放り出すというのも酷な話で。
「フゥ……本当は、もう少し時期を見て切り出そうと思ったんだがな……。まぁいい。エルリア、アドレス。私この町で役目を終えたら、共にファントへ来ないか?」
「なっ……!?」
「へぇっ……!?」
「ククッ……。そう驚くな。お前達には見込みがある。流石に特別待遇はできんが、我等黒銀騎団の一員として迎え入れたい。私は今、お前達を勧誘している」
ニコルの『確認』に背を押された形となったテミスは、悠然とした笑みを浮かべて水を向けられた二人へと視線を移して口を開く。
勧誘の口上は、二人が驚きのあまり素っ頓狂な叫びを漏らしても止まる事は無く、ゆらりと持ち上げられた掌がエルリアとアドレスへ向けられる。
その勧誘はともすれば、一度は双月商会に属していた彼女たちに裏切りを唆し、戦友が眠るこの町から引き離さんとするものにも見えかねないだろう。
けれど、テミスとしても捕虜としての立場があったとはいえ、ここまで深く自分達の事情に立ち入ってしまった二人を野放しにする訳にも行かず、ならばいっそのこと黒銀騎団に納めてしまおうという苦肉の策だったのだが。
「えぇと……その……私は――」
「――行きたいです!! 是非連れて行って下さい!! 私、お役に立ってみせます!」
「……だ、そうだが?」
「あ~……よろしく、お願いします」
傍らのエルリアに視線を泳がせ、言葉を濁したアドレスに対して、当のエルリアは飛びつかんばかりの勢いで身を乗り出し、力強く決意表明をする。
そんなエルリアの答えにクスリと微笑みを浮かべて、テミスが穏やかに問いを重ねると、アドレスは少しばつが悪そうに苦笑いを零した後、機敏な動きで頭を下げたのだった。




