159話 板挟みの苦悩
ギャリィンッ! ガギィンッ! と。激しい剣戟の音がファントの門前に響き渡った。
大剣を大きく振りかぶったテミスが、剣を背負い投げでもするかのように振り下ろすと、すんでの所で身を翻したリョースの眼前を通り過ぎて地面を抉り抜く。
「どうしても邪魔をするというのならばッ!」
「ムゥッ――!?」
「リョース様ッ!」
檄と共に力任せに切り上げられた大剣は共に土を巻き上げ、その一部がリョースの顔に直撃する。途端に近衛から悲鳴のような叫びが上がり、主の命で収めた剣に手がかかる。
「押し通るしかあるまい?」
「……笑止。これしきの攻撃で私を斃せる等と思っては居まい」
上段から叩きつけられるように放たれたテミスの剣圧が土埃を巻き上げ、周囲へと散らせる。しかし、それを自らの剣で受け止めたリョースは、余裕すら感じさえる笑みを浮かべていた。
「リョース様ッ! やはり我等も援護をッ!」
ジャリィンッ! と。火花を散らせながら剣を滑らせ、テミスが数歩後ろへと跳び下がる。同時に、若干離れた位置で戦いを見守っていた近衛たちが、口々に叫ぶとその掌をテミスへと向ける。
「止せお前達」
「ですがっ!!」
「彼女を本気にさせるんじゃあない」
「――っ!!」
リョースが近衛たちをそうなだめると、彼等は目を見開いて凍り付いた。
今の打ち合いが本気ではない……? 同時に、恐怖すら通り越した何かが彼らの脳裏に去来する。
たかが数合。リョースと打ち合っているのを見ただけの彼等でもわかるほど、テミスの剣は苛烈に満ち溢れていた。
「……解らんな」
「何がだ?」
数メートルの距離を置いて、テミスとリョースが言葉を交わす。
「何故貴様は攻撃をしてこない? 上意に背いた私は、今やお前の敵だろう?」
「フッ……」
怪訝な顔をしたテミスが問いかけると、リョースは静かな笑みを漏らした。彼女もやはり優れた武人……怒りに呑まれようとも、その本質は変わらないと言う訳か。
「勘違いをしているな。テミスよ」
「勘違い……だと?」
「そうだ。確かにこうして剣を交えてこそいるが、我等は敵ではない」
「私の敵でないのならば、素直に行かせて欲しいものだがね」
数メートルという距離は、互いにとって必殺の一撃を叩き込める間合いの内側だ。しかし、それを理解して尚、テミスは緩やかに構えを解いた。
「それはできん。故にこうして、我等は剣を交えているのだ」
「…………」
それに応じたリョースが同じく構えを解くと、その違和感にテミスは目を細めた。
リョースの狙いは何だ? 先に剣を抜いたのは奴だ。しかし、ギルティアの意に背いた私を殺しに来るのかと思えば防戦一方。守りを固めるばかりで、一向に攻撃の気すら見せない。
「……いい加減にしないか。お前はファントが陥ちても構わんというのか? この町は仮にも魔王領だろう?」
テミスは僅かな苛立ちと共に地面に剣を突き立てると、その柄の上に両手を置いて問いかける。奴等がどういう判断を下しているのかは知らんが、私は実際にドロシーとあの戦場で相見えている。その際にあの女ははっきりと敵意を示していたし、事実として窮地にあったライゼルを救い出して行った。
故に、第二軍団が連中の前方に現れる事などあり得ず、結果として私が不在の混成軍団とルギウスの第五軍団が正面衝突するだけなのだ。
「フフッ……ならば明かしてしまうとしようか。貴様と剣を交えているのも一興ではあったが、私もこれ以上やると昂ぶりを抑え切れんかもしれん」
リョースはそう告げると自らの剣を傍らに突き立て、表情を緩めると言葉を続けた。
「私の役目は貴様をここに押し留めておくことだ。あとは時が事を進める」
「…………」
相も変わらず、持って回った言い方をする奴だ。テミスは脱力を隠さずに表情に出すと、視線でリョースに続きを促す。
「ドロシーがファントを攻撃している事など、我らとて先刻承知済みと言う訳だ」
「なっ……に……? ならば何故ッ――」
「――逸るな。お前にはお前の考えがあるように、奴には奴の想いがある」
テミスの言葉を制するようにリョースが軽く手を振ると、軽いため息を一つ吐いてから口を開いた。
「正直、お前への不義理は私もどうかとは思う。だがな。間に挟まれた我等からしてみれば、どちらが欠けても損失でしかないのだ」
「なる……ほど……」
くたびれたように首を振るリョースを眺めながら、テミスは得心を覚えて頷いた。
要するにギルティア達は、勝手に動いたドロシーは退かせるから後始末を手伝え。という事なのだろう。
「やれやれ……無用な戦を仕掛けられたばかりか、その尻拭いまでさせられるとはな」
「……同情はしよう」
テミスは大きなため息と共に数歩リョースから離れると、大げさに頭を振ってその手を額に当てる。それを見たリョースは瞑目し、重々しく呟いた。
その刹那。
「要らんよ」
「――!?」
言葉と共にテミスの唇が大きく吊り上がり、額に当てられていた手が耳へとスライドする。そして、テミスは通信術式を起動すると、声高に指令を下した。
「サキュドッ! 塵共は適度に追い回しながら監視、何者かと戦闘を開始したのを見届けてから即時撤退しろっ!」
「――っ!? 了解。白翼騎士団長に伝えます」
頭の中でサキュドの声が響くのを確認してから、テミスはニィィィッ……。と口角を吊り上げて、目を白黒させているリョース達に目を向ける。
「……何をしている? 貴様の首を見れば通信機を付けていない事など解るが?」
まるで子供の悪戯を諭すように、優し気な笑みを口元に浮かべたリョースがテミスに声をかける。その様子を、後ろに控えた近衛たちが温かな目で見守っていた。
「ハッ……ならばリョース。特等席をくれてやる。我等がしっかりと連中の尻拭いをする様を見届けると良い」
テミスはその生暖かい視線を嘲笑すると、リョースに向けて言い放つと剣を収めて町の中へと歩き出した。
腹立たしいが、当然の反応だ。
我々十三軍団が用いている通信は、そもそも私が連中に施した外来品。この世界で広く普及している、鉱物の魔力共振波を利用した通信機ではない。故に、私が悔し紛れに通信の真似事をしたのだと連中は考えたのだろう。
「テミス……貴様ッ……!!」
テミスの態度から何かを察したのか、一歩踏み出したリョースの言葉に力が籠る。だが、そんな妄言にも等しい程の存在すら危ういモノの為に、奴は動くことはできない。
「私の勝ちだ。リョース。悪いが私は、『敵』は滅ぼす主義なんだよ」
テミスは言葉と共に壮絶な笑みを浮かべると、リョース達を待つこと無くそのまま町の中へと消えて行った。
2020/11/23 誤字修正しました