1695話 緩く騒がしき者達
「ったく……一体、なァにがあったんだよ……」
ゲルベットへと帰還を果たしたルードが、まるで肺の中に溜め込んだ空気をすべて吐き出したかのような深い溜息と共に、呆れかえった声色でそう告げたのは、その日の夕方の事だった。
ルードの帰還に伴い金の鉄鍋亭へと集った面子は、テミスにシズク、そしてハクトの計四名。
しかし、アルブヘイムの報告を兼ねた集まりであるはずのこの場には、既に刺々しい不穏な空気が流れている。
「あ~……何の事は無い、少しばかり稽古に熱が入り過ぎただけだ」
「少しばかり……ですか。そうですか」
「ッ……! だから何度も謝っただろう? 心配をかけてすまないと!!」
「知りません。えぇ、知りませんとも。私の心配なんてテミスさんにとってはその程度の些末な事なのでしょうから」
「っ~~~!! そういう意味ではなくてだなぁ……」
「…………」
苦笑いと共にテミスが口を開くと、その隣に腰を落ち着けたシズクがボソリと静かに呟き、冷ややかな怒りの籠った視線を傍らへと向ける。
その視線に、テミスはビクリと肩を跳ねさせて目を泳がせた後、弁明を重ねるが効果は無いようで、へそを曲げたシズクは小さく鼻を鳴らしてテミスにそっぽを向いた。
「ハァ……何があったかは知らんが、とりあえずテミスの嬢ちゃんが悪ぃ事は理解した。ったくよぉ、俺が言えたコトでもねぇが、あんまシズクの嬢ちゃんに苦労をかけてんじゃねえぜ?」
「まさにお前が言えたことではないな。そういう事を宣うのならばルード、我々がファントへ帰る折には、首に縄をかけてでも連れ帰ってやろうか?」
肩を竦めたルードが、半眼でテミスを眺めながらそう告げると、ビキリと額に青筋を浮かべたテミスが、鋭い眼光でルードを睨み付けながら抗弁する。
確かに恩はあれど、ルードとてサキュドやマグヌスといった旗下の忠臣達を放り出して、自由気ままに冒険者などをやっている身だ。
今回の一件はシズクを怒らせてしまう引き金になってしまったとはいえど、テミスとてそんなルードに苦言を呈される筋合いは無かった。
「止せやい。悪かった。失言だったよ。けんど、その道の先輩からの忠告って事にしておいてくれや。……それで? 何をやらかしたんでぃ?」
「下ない事です。暇潰しの手合わせの折に、テミス殿が防壁の上から落ちたふりをしての奇襲を仕掛けただけの事。……私個人の意見としてはどっちもどっち、というヤツです」
「は……なるほどね……」
自らに言葉を返した後、すかさず拗ねたシズクを宥めに架かるテミスを眺めながら、ルードは声を潜めて傍らで沈黙を貫いてたハクトへと訪ねた。
すると返って来たのは、辛辣にも思える私見の添えられた、至極簡潔にまとめられた状況の説明で。
ルードは全てを理解した上で苦笑いを浮かべ、姦しく言葉を交わすテミスとシズクへ穏やかな視線を向ける。
一時はどうなる事かと危惧したものだが、再びこうして下らない言い争いを眺める事が出来るようになったのは、僥倖という他無いだろう。
「ははっ……なんつーか、癒されるわ。仕方のねぇ事だが、アッチはどうしようもなくピリピリしてたからよ」
「……それ程までにですか?」
「おうさ。フリーディアの嬢ちゃんとはちっとばかし毛色は違うが、こういうのも悪くはねぇ」
「いえ……そちらの事ではなくてですね……。……いち商人としては、大変興味のあるお話ではありますが。というかルード殿、まるで頻繁に彼女を見ているかのような物言いですが……」
「おっと。コイツは嬢ちゃんたちには内緒な。変装は冒険者の嗜みなんでね」
「フフ……さて……どうしましょうかね。私は商人ですので」
「ケッ。その前に企み仲間だろォが。そういう事を言うってんなら、恩を着せてやっても良いんだぜ?」
「冗談ですよ。この町の恩人であるルード殿に、この私が楯突くわけがないじゃあないですか」
そんなテミス達の緩み切った雰囲気に絆されてか、ルードは酒杯を傾けながら僅かに話の軌道を修正しかけるも、自らの手で再び盛大に脱線させる。
ハクトもまた、一度は真面目な表情をその顔に浮かべたものの、ルードが敢えて調子を外した意図を察すると、ニヤリと表情を変えて調子を合わせた。
その所為で、席は拗ねたシズクを必死で宥めて賺すテミスと、その微笑ましい様子を肴に酒を傾けながら軽口を叩き合うルードとハクトという、奇妙な騒がしさを帯びはじめる。
だが、今この場に限っては四人の脱線を止める者は居らず、テミス達の騒がしさもまた、金の鉄鍋亭の賑わいの中へと溶け込んでいったのだった。




