1694話 暇潰しに潜む危機
カツン! カシィンッ! と。
良く晴れ渡ったゲルベットの蒼空に、鮮やかな剣戟の音が響き渡る。
尤も、剣戟の音とはいっても、火花の散るような甲高い金属音ではなく、木剣同士を打ち合わせる破裂音に似た乾いた打撃音なのだが。
「ッ……! 行きます!」
「あぁ……!! 来いッ!」
剣戟の音が響く元は、ゲルベットを囲う防壁の上。
そこにはいつの間にやら、剣戟の音を聞きつけた衛兵や冒険者たちがまばらに集まり、繰り広げられるテミスとシズクの攻防を遠巻きに眺めていた。
とはいえ、テミスとシズクにとってはあくまでも暇つぶしの手合わせで。
互いに全力を出す事は無く、凝り固まった体をほぐすための運動程度の剣戟だった。
「おっと! 危ない危ない」
「ッ……!! またそんな躱し方を……! 本当に危ないですよ!」
「ククッ……! こうして観客も居るんだ。単調な攻防だけでは面白味もあるまい」
テミスは繰り出されたシズクの一撃をヒラリと跳び上がって躱すと、そのまま防壁に設えられた石造りの塀の上へと飛び乗る。
しかし、その塀はそもそも高い防壁からの落下を防止するための物で。それなりの幅があるとはいえど、高さを考えれば足場としては非常に拙いものだった。
だが、テミスは構わず塀の上で更に跳び上がると、長い白銀の髪を宙へ漂わせながらシズクへ木剣を振るう。
「くッ……!!」
咄嗟に防御の姿勢を取り、頭上から浴びせられたテミスの斬撃を防ぐシズク。けれど、シズクが反撃を繰り出す事は無く、剣戟の衝撃を利用して空中で身を翻したテミスへと身体を向けて構えるだけに留まった。
一方でテミスは、そのままクルリと身を翻した逆側の塀の上に飛び移ると、再び跳躍してシズクへ追撃を仕掛ける。
身軽に繰り出されるテミスの連撃は、さながら曲芸のようで。しかし、打ち合わされる木剣の奏でる強烈な音が、眼前の光景が演武ではなく手合わせだと物語っていた。
故に。観戦する者達は皆、揃ってぽかんと口を開け、繰り広げられつテミスとシズクの華のある試合に見惚れていたのだが……。
「…………」
我ながら、酷い試合だな。と。
ひらり、ひらりと跳び回りつつ斬撃を加えながら、テミスは胸の内でひとりごちる。
こんなものは最早、手合わせでも何でもない。
実戦であれば、攻撃を受けたシズクは返す刀で斬り付けるなり、突くなりして如何様にも状況を好転させる事が出来る。
もしくは、受けるふりをして斬撃を受け流し、少しでも体勢を崩してやれば、こうも一方的に攻撃を受け続ける羽目にはならないはずだ。
本来、この手の奇策は一度か二度、頭上からの攻め手が存在すると意識させるために用いるものだ。
つまるところ、決めの一撃へとつなげるための布石の一つで、シズクがこうして素直に攻撃を受け続けているのは、ただひとえに反撃を受けたテミスが足を踏み外して、塀の外へと落下しないように気遣っての事なのだろう。
「テミスさんッ!! いい加減にして下さい!! 本当に危ないです!!」
「…………。フム……」
当然シズクもそれを理解しているからこそ、剣戟には余裕が生まれ、眉を顰めながら苦言を呈する事もできるようになる。
だがこれでは、肝心の手合わせたる意義が抜け落ちてしまい、ただ台本や殺陣の型が定められていないだけの、観客の為に演じられる演劇と同じだ。それでは、何の面白みも無い。
そう感じたテミスは、幾度目かになる跳躍と共に小さく息をつくと、ふと思いついた閃きに小さく頬を歪めた。
「ッ……!! ぅおっ!!?」
「――テミスさんッ!!!」
次の瞬間。塀から塀へと飛び移り続けていたテミスは、着地と同時にまるで足を踏み外したかの如く姿勢を崩すと、そのまま勢いを殺す事無く塀の外へと己が身を投げ出した。
刹那。シズクは悲鳴のような声でテミスの名を叫びながら木剣を投げ捨てると、必死の形相で落下していくテミスへ向けて手を伸ばす。
続けて、暢気に観戦していた者達も、一様に顔を青ざめさせた。
しかし当然、その手が届くはずも無く。テミスの姿は塀の向こう側へと消え、数瞬遅れて際まで駆け寄ったシズクが塀から身を乗り出して防壁の下を覗き込む。
「テミ――っ!? ……えっ?」
「ククッ……」
だが。
絶望に染まった表情で防壁の下を覗き込んだシズクの視界には、塀に片手で掴まってぶら下がるテミスの不敵な笑顔で一杯に満たされており、同時に覗き込んだ頭をコツンと軽い衝撃が襲う。
それは、塀の外へと身を投げ出したテミスが、未だ手に握り続けていた木剣でシズクの頭を小突いた衝撃だったのだが……。
テミスに一杯を食わされたのだと理解したシズクが、それを気に留める余裕があるはずも無く。
「……ハハッ!! 一本だ」
「っ~~~~~!!!!!」
得意気にそう言い放ったテミスに対して、シズクは声にならない怒りの叫びをあげながら腕を伸ばすと、眼前にもたげられていたテミスの頭をがしりと掴む。
そして、溜まり切った怒りを吐き出すように叫びながら、激しく前後に揺さぶり始める。
「テミスさんッ!! 貴女って人はッ!! 本当にッ!! 何を考えているんですかッ!! 私言いましたよねッ!! 何回も危ないってッ!!」
「ッ……!! ま、待てッ……!! 落ち着けッ!! 揺するなッ!! 落ちッ……! 本当に落ちるからッ!!」
そんなシズクを間近にして、腕一本で防壁にぶら下がっていたテミスは、渾身の力を腕に込めてしがみ付きながら、必死で叫びをあげる事しかできなかったのだった。




