幕間 飄々たる表裏
「邪魔するぜ」
設えられた大釜が、グツグツと煮込まれている薬品の匂いを発しているニコルの研究室に、ルードの静かな声が響く。
しかし、部屋の主は大釜の中身を見据えたまま大釜の前から動く事は無く、ただひたすらに手にした棒を動かし続けている。
「……忙しそうなところ悪りぃが、こっちも重要な用件でね。別に茶を出してくれなくても構わねぇ、そのままでも良いから話せるようになるまで待たせて貰うぜ」
研究室の中へと足を踏み入れたにもかかわらず、ニコルは侵入者であるルードへ一瞥すらくれる事は無かったが、ルードは特段気にした様子もなく、物言わぬ背に声を投げかけながら、静かに部屋の隅へと腰を下ろした。
「っ……! へぇ……」
床の上に腰を下ろしたルードは、ふと薬品の香りが薄らいだのを感じると、クスリと静かに微笑みを漏らす。
どうやら、今ニコルが手がけている薬品は、相当に希少な代物らしい。
というのも、毒や薬と言った類の代物の香りは、基本的に地面に近い位置を漂う性質がある。
故に。窪地に骨が多くみられる際は毒を警戒するなどの知恵が生まれた訳だが、今ニコルの窯から立ち昇っているのは真逆の性質を持っていると見える。
つまり、一般的な毒や薬とは効能が異なるか、若しくは素材そのものが希少であるのだろう。
「………………ここだ。…………。よし。すまない。待たせたようだね」
しばらくの間、漂う沈黙の中を窯の煮える音だけが木霊する時間が過ぎた後。
ボソリと呟いたニコルが大釜の中に小瓶から薬品を追加すると、大きく息を吐きながらクルリとルードを振り返って口を開く。
「構わねぇよ。それで……? 大丈夫なのかい?」
「ウム。こうして馴染むまでかき混ぜ続けてやる必要があるから、残念ながらお茶を淹れてはあげられないけれどね」
「へっ……良いっての。俺はただ、一個だけ聞きてえことがあるだけだからよ」
「クス……聞こうか」
二人は意味深に微笑みを交わすと、窯の側で手を休める事なく佇むニコルに、ルードは床に腰を落ち着けたまま本題へと踏み込んでいく。
「……アイツの事だ。どうせ戦いに出るって言って聞かねぇんだろうが……本当に大丈夫なのか?」
「キミの云うアイツっていうのは、テミスちゃんの事だね? 彼女の体調の事だけを指しての質問ならば、問題は無いよ。けれど、戦況を見越しての問いならば『否』だ。黒い騎士は生半可な実力で蹂躙できるほど甘い相手じゃあない」
「ッ……!! だったら後方に下がらせるべきかッ? いや……そもそも俺の言う事を素直に聞くタマじゃねぇし、そんな余裕もねぇッ……!!」
「フフ……キミの憂慮は尤もだ。だからこそ、ワタシもこうして悪あがきをしているワケだが」
「悪あがき……!! 正直に言うのなら、アンタの足掻きに縋りたい気持ちで一杯だぜ」
「止しておくれ。気味が悪い。大急ぎで作業しちゃいるが、それでも間に合うかは五分と五分なんだ。別口で策があるのなら用意しておくに越した事は無いよ」
「…………。そうか。わかった。アテはねぇができるだけ考えてはみる。せいぜいアンタの薬が間に合う事を祈っておくぜ」
重たい口調で切られた口火は傍らで煮込まれる薬と共に煮詰められていき、ルードは話が進めば進む程にその表情を暗くしていく。
だが、伝えるべき事は全て答えたと言わんばかりにニコルが背を向けると、ルードはガリガリと頭を掻きながら立ち上がり、ニコルの研究室を後にしたのだった。




