幕間 今ここでは無い地獄
妖精郷アルブヘイム。
時は少し遡り、テミスたちがゲルベットへと訪れる前の事。
怒声と爆音が響き渡る戦場の中、一人の男が荒々しい息を吐きながら自陣へと駆け込むと、駆ける勢いを殺さぬまま、ドサリと地面へ身を投げ出した。
美しい装飾の施された軽霊銀の軽鎧は泥にまみれて見る影もなく、至る所に走る傷が彼の潜り抜けた激戦を物語っていた。
しかし、同胞たちは地面に倒れ伏した彼の身を案ずる事は無く、まるで道端に転がっている小石が如く無視をするか、そうでない者はただ蔑みの目を向けるだけだった。
「っ~~~!!! はぁぁぁぁぁッッ!!! よっしッ!! 生きてるッ!! 偉いぞ俺ッ!! 凄いぞ俺!! 今日も生きてるッ!!」
だが、地面に転がる男は周囲の反応を気にも留めていないようで、地面に寝転がったまま腕を高々と突き上げると、達成感に満ち溢れた歓声をあげた。
「……忌々しい。何だアレは。品性の欠片も無い」
「また生き残ったのか。しぶとい奴め。戦功一つあげない癖によくもまぁああものうのうとしていられるな」
「全くだ。奴には我等エルフ族としての誇りが欠如している。戦場を逃げ回るだけの狗ならば、まだ盾に使えるだけ下賤な獣人族の方が役に立つ」
陰鬱な戦場の只中で、一人陽気な声を上げ続ける男を侮蔑する眼差しは次第に増え、その場にいた兵達は、直接文句を叩き付けこそしないものの、口汚く男を罵り始める。
「なんだ。今日も生きていたのか」
「あったりまえだい! こんな所で死んでたまるかよ!」
「フン……お前ほどの腕があれば幾らでも戦功をあげられるだろうに……」
「……そう苛立つなって。眉間の皺、まぁた深くなったんじゃないか?」
「そう見えるのならば、間違い無くお前の所為だ」
「えぇ? そうかぁ?」
「あぁそうだとも。お前が真面目に働けば、俺も少しは気が休まるのだがな。いい加減その態度を改めろ。いつまでも父上から庇い続けられんぞ」
そこへ、一際難しい表情をした男が歩み寄ると、地面に転がったままの男を見下ろして声を掛ける。
見たところ二人の年の頃は同じくらいで、しかしおちゃらけた態度を取る男とは到底相いれないようにも見えた。
「べっつに良いって。お前も大変だろ。こんな極東の地とはいえ、総指揮官殿のご子息様なんだから」
「ほぉ? 驚いたな。お前に立場という概念があったとは。ならば、遊んでいないで少しは働け」
「働いてるって」
「面白い。ならば今日は奴等を何体屠った?」
「そりゃぁ……。一体も倒しちゃいないけどさ」
「ハァ……お前というヤツは……」
終始軽い調子で朗らかに応ずる男に対して、鉄面皮の男は呆れたような溜息を連発しながら言葉を紡ぐも、そこには不思議と周囲の者達のような蔑みは無く、むしろ気心が知れている雰囲気すら感じられた。
そうして幾度か言葉を交わした後、地面に寝転がっていた男は軽い掛け声と共に体を起こすと、いつの間にか緩んだ笑顔を浮かべていたはずの表情が真面目なものへと変化していた。
同時に、男の側に立っていた鉄面皮の男も、自然な動きで腰を落として傍らにしゃがみ込んで肩の高さを並べる。
「……今日はかなり奥まで見に行ってきたけど、かなりヤバいよ。今とは比べ物にならない大軍勢だ」
「……!」
「今の倍は兵を増員しないと厳しいだろうね。間違い無く、今のままじゃここは抜かれるよ」
「具体的な数は?」
「数えきれない。凄かったよ。壁がこう……ザッ! ザッ! って押し寄せて来るみたいでさ。上から見通した感じ、真っ黒な大地って感じだった。唯一の救いは、兵士しか見当たらなかった事かな」
「ッ……!!!」
軽い口調ながらも深刻な雰囲気を醸し出す男の言葉に、鉄面皮の男は眉間に刻まれた皺をさらに深く寄せると、ギシリと固く拳を握り締めた。
「……わかった。至急、俺の方から父上に掛け合ってみる」
「頼むよ。流石の俺でも、アレを崩すのは無理そうだからね」
「フッ……良く言う。じゃあ俺は行くぞ。父上への報告を考えなくては。せいぜい無理をしろ。我が親友」
「はいはい。またね俺の親友。偶には息抜きしなよ」
身を寄せて言葉を交わした後、鉄面皮の男が静かに立ち上がると、僅かに緊迫した空気が元の緩んだものへと変わる。
そして、二人は互いに微笑み合うと、鉄面皮の男は泥にまみれた男をその場に残して踵を返していったのだった。




