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158話 掌の上

 ジャリィッ。と。テミスは地面を踏みしめながら、ファントの町の広場に足を踏み入れた。

 その瞬間。ざわざわとしたざわめきがピタリと止まり、異様なまでの緊張感が漂いはじめる。

 普段は日常を謳歌する人々でにぎわう広場は静まり返り、誰もが不安気にその光景を見守っている。その視線の集まる先……広場の中心で、テミスは目の前に立つ壮年の男を睨みつけて口を開いた。


「これはこれはリョース殿。軍団長閣下がわざわざ何用ですかな? 我等が戦にお力添えをいただけるのであれば……少々数に違和感を覚えますが……」


 そう言い放ったテミスが唇の端を吊り上げると、リョースが従える数名の兵達に緊張が走る。大した数ではないがその中の一人など、既に腰の剣の鯉口を切っている。


「…………」

「……フム。場所を……変えましょうか」

「ウム。それが賢明であろう」


 テミスの瞳がぎょろりと動いてそれを捉えると、表情を厳しいものに変える。リョースは沈黙を貫いてはいるが、なるほど……そういう要件(・・・・・・)か。


「ご配慮。感謝しますよ」


 リョースが頷いたのを確認すると、テミスは身を翻して一直線に来た道を引き返し始める。テミス達が近付くと、遠巻きにそれを眺める町の人々は、逃げる様に道を開けた。


「……難儀なものだな」

「あなた方が余計な事をしなければ、その難儀な事は起こり得なかったのですがね」

「それは素直に謝罪しよう。だが、こちらにも事情と言うものがある」

「……どいつもこいつも、他人が腐心して作り上げた平穏を壊すのがお好きなようで」

「っ……!」


 背を追うリョースを振り返りもせず、テミスは言葉を交わし続ける。何やら近衛がいきり立っているようだが、町の人々の不安を煽ったのだ。この程度の嫌味を叩き付ける権利はあるだろう。


「……それで? 何用ですか? 我等は今、魔王領であるファントを襲撃した輩を鋭意追撃中でしてね……手短に願いたいものです」


 ザリッ……と。テミスは街の外に出た瞬間に立ち止まると、その後ろを歩いてきたリョース達を振り返って唇を吊り上げる。皮肉を吐いただけで近衛が剣を手に取り、わざわざ町中から場所を移させる時点で碌な話ではないだろうが。


「なに。そう大した時間は取らせん。我々は通達に来ただけだ」

「……通達?」


 リョースが小さくため息を吐くと、腕を組んでテミスを見据えて口を開いた。だがその陰では、相も変わらず近衛たちがテミスの様子を伺っている。


「そうだ。お前にとっては、ある意味で朗報だろうな」

「……?」


 首を傾げるテミスを眺めながら、リョースは深いため息と共にその怪訝な顔を眺めた。

 あの御方に間違いは無い。そう信じながらも、今回ばかりは気が滅入る。リョースは自らの心がざわつくのを感じると、一度目を瞑って呼吸を整えた。あの御方の考えを聞かされた今でさえ、武人としての私は目の前の少女を応援していた。だが……。


 ――全てはギルティア様の御心のままに。


 リョースは湧き出る感情を圧倒的な忠誠心で押し殺すと、静かに目を開いて用意していた言葉を告げる。


「敗走する敵の頭を、ドロシー軍団長率いる第二軍団が抑える。第十三独立遊撃軍団は第二軍団と連携し、敵軍の包囲殲滅に当たれ」

「なっ――」


 リョースの言葉を聞いた刹那。テミスは自らの耳を疑った。

 こいつらはいったい、何を言っているんだ?


「…………仰っている意味が良くわかりませんが?」


 長い沈黙の後、ひそかに拳を握りしめたテミスは静かに問いかけた。第二軍団はそもそもこの町に攻め入ってきた敵だ。それと連携など、取れる筈が無い。


「言葉通りの意味だ。第二軍団と共に、人間とはぐれ魔族を撃滅しろというだけだ」

「…………聞き間違いでは……無いのですね?」

「……ああ」

「っ……!!」


 テミスの問いにリョースが頷いた瞬間。背筋を凍らせるほどに濃密な殺意が、目を見開いたテミスから放たれた。その冷徹な波動はリョースの近衛たちに迷わず武器を抜かせ、リョースでさえも背負った剣に手が跳ねかけるほどだった。


「承服できませんな」


 ゆらり……。と。笑顔すら消え失せたテミスの手が、背負った大剣へと音もなく伸びる。

 そんな選択肢など、元より存在しない。烈火のごとく押し寄せる激情に無理やり蓋をしながら、テミスは怒りで震える手が今にも剣を抜こうとするのを必死で押し留めていた。

 なるほど、確かに第三者であるギルティア達にとっては最善の策だろう。

 敵であるライゼルのみを滅ぼし、彼等にとっての味方であるドロシーと私のどちらも手元に残る。だがそこには、全くと言っていい程筋が通っていない。


「っ……っ……か……回答はしました。話が以上であるならば、私は戦場に戻ります」


 怒りで明滅する視界を堪えながら、テミスはそれだけ告げてリョース達に背を向けた。怒りはある。だがそれは、この場で連絡係であるリョースへぶちまけて良いものではない。


「……残念ながら。その回答ではお前を戦場へ戻すわけにはいかん」

「っ――!」


 平坦なリョースの声と共に、テミスの背後から金属が擦れる音が響いてくる。

 間違いない。リョースが剣を抜いたのだ。


「……本気ですか、リョース殿。あなたは生粋の武人だと思っていたのですがね」


 言葉と共に、テミスは背後を振り向かぬまま、先程必死で引き剥がした手を再び大剣へと番える。戦況はこちらが圧倒的に不利。ドロシーがどう動くかはわからないが、また碌でもない事を企むのは間違いないだろう。故に、一刻も早く戦場に戻る必要がある。


「武人ならば、主人の命令は絶対だ」

「主の間違いを正すのも、部下の役目だと思いますがね」


 眉を顰めたリョースが答えると、テミスは彼らの目前でゆっくりと大剣が抜き放ちながら体を反転させる。


「っ――!!」

「お前達。手を出すなよ」


 それを見たリョースが鋭く命じ、自らの手にした剣を固く握り締める。


 大剣を抜き放ち、彼らの方を向き直ったテミスの顔には、まるで溶けた蝋燭のように歪み切った笑みが張り付いていた。

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