1686話 煌月の一閃
傷が癒えたテミスは、己の両足でしかと地面を踏みしめると、眼前で暴れ回る巨大な黒い騎士を仰ぎ見た。
今でこそニコルの障壁に阻まれてはいるが、あの一撃が途方も無い威力を持っている事実は変わらない。たとえ全力を出せるようになった今でも、あれをまともに喰らえばひとたまりもない。
「さて……どうするか……」
しかし、テミスは落ち着き払った様子で周囲を見渡すと、思考を巡らせながら言葉を漏らした。
先ほどまでとは違い、戦う手段は幾らでもある。とはいえ、大剣は落としてしまったからこちらは素手だ。武器を錬成する事はできるが、それではどうにも収まりが悪い。
ならば魔法か? 否。背後に控えるニコルは古の魔導士だ。彼女の観察眼と膨大な魔法の知識にかかれば、私の扱う魔法が理外の代物である事など容易く暴かれるだろう。
かといって、付け焼き刃に倣った程度のこの世界の魔法では、この巨きな黒い騎士はとても倒し切れない。
「……どうしたんだい? まだ身体が何処か痛むのかい?」
「ン……いや……。どう攻めたものかと思ってな。やり方を考えていた所だ」
「そうか。ならば早めに決めてくれたまえ。そろそろワタシの魔力も尽きる。無論、同時にあの障壁も消滅するよ」
「了解だ」
佇むテミスを訝しんだニコルが声を掛けると、テミスは自らの思考を隠す事無く言葉を返し、胸を決める。
やはり、まず最初にするべき事は大剣の回収だろう。
せっかく全力で戦う事ができるのだ。好き放題やってくれた借りを返すには、あの剣が必要だ。
「よし……」
「っ……! ちょっ……! 待て待てッ! まさかとは思うが、無策で突っ込む気じゃないだろうねっ? キミに戦う力が戻ったとはいえ、ヤツが弱くなった訳じゃないんだぞ!?」
方針を決めたテミスはコクリと一つ頷くと、まるで散歩にでも赴くかのような気軽さで前へと歩み始める。
それにはさすがのニコルも焦りを覚えたのか、杖を手にしたままフラリと一歩後を追い、テミスの背に向けて叫びをあげた。
「クク……なぁに。少し落とし物を拾いに行くだけさ」
しかし、テミスは悠然とした笑みを漂わせながらニコルを振り返って言葉を返すと、ニコルが応じる間もなく前へと駆け出した。
その迅さは、常人の目で捉え切れるような速度ではなく、テミスはニコルの眼前に残像を残して障壁の外へ出る。
「お。あれだな」
ニコルの障壁の外へと駆け出してすぐに、テミスは地面に突き立つ己が剣を見止めると、一足飛びに駆け寄って勢いのまま地面から引き抜いた。
漆黒の大剣は涼やかな音を奏でながら地面を離れ、テミスへ僅かな重さを伝えながら肩へと収まる。
これで準備は整った。
そうテミスが胸の中で呟くと同時に、荒れ狂う巨大な黒い騎士の猛撃を受け続けていた障壁が、淡い光の粒子となって消えていく。
「っと。悠長にはしていられんな」
ニコルの魔力が尽きたのだ。
即座にそう察したテミスは、己に背を向けて剣を振りかぶる巨大な黒い騎士の背を目がけて、脚に力を込めて跳び上がる。
このまま攻撃を許せば、魔力の尽きたニコルに斬撃を逃れる術は無い。
「ならばッ……!!!」
テミスは自身の能力を以て宙に足場を作り出し、それを蹴ってさらに加速すると、高々と剣を振り上げた巨大な黒い騎士の襟首に当たる部分を掴んだ。
そして、テミスの存在を感知した黒い騎士が反応する隙すら与えず、力を以て強引に姿勢を崩し、投げるようにして背中から地面へと叩き付けた。
「ハッ……!! 調子に乗るなよ。木偶の坊が」
直後。
空中に留まったまま、テミスは嘲笑と共にそう吐き捨てると、肩に担いだ大剣を両手で掴み、高々と構える。
そして、能力を以て大剣へと力を注ぎ込むと、瞬く間に大剣の刀身が眩い光を纏った。
「木偶ごときには過ぎた一撃だが、こちらもさっさとケリをつけたいのでな。全力以上の一撃をくれてやるッ!!」
テミスは地面に仰向けに倒れた巨大な黒い騎士を見下ろしながら吠えると、天を衝くが如く掲げた大剣にさらに力を注ぎ込んだ。
所詮はあの女神擬きに与えられた能力。この月光斬とて模倣したに過ぎず、自ら編み出した訳でも、創り上げた訳でも無い。
だが、力など所詮は道具に過ぎず、能力自体に良し悪しなど存在しない。ならば、今この瞬間だけは。たとえ忌々しくとも、町を蹂躙せんとする巨悪を討つ事の出来るこの力に、感謝するッ!!
「喰らって消え散れ……ッ!! 月光斬ッ!!!」
更に力を注ぎ込まれた刀身は輝きを増し、今やテミスの大剣は太陽の如き強い輝きを放っていた。
しかし、剣を掲げたテミスがそれを鑑みる事は無く、猛々しく吠えて剣を振るい、眼下の巨大な黒い騎士を両断すべく、巨大な月光斬を放ったのだった。




