1675話 時の対価
中空へと跳び上がったテミスは、未だ不定形に蠢く黒い騎士の肩口へと狙いを定め、振りかざした大剣に力を込める。
今は不定形に留まっている欠片たちだが、時折見え隠れする姿からして恐らく、元の黒い騎士を模ろうとしているのだろう。
現状の大きさですら、テミスの身長の二倍以上。万に一つ形と成った際には、五メートル近い巨体へと変貌を遂げる可能性もある。
ならば、まだ変化を続けている今のうちに機先を制し、討ち取ってしまうのが定石だ。
「悪いが……私はわざわざ敵が変身するのを待ってやるほど気が長くは無くてな……!」
凶悪な微笑みを顔に張り付けて、テミスは自らの身体が落下する勢いに乗せて大剣を振るい、巨体と化した黒い騎士を袈裟懸けに両断すべく斬り下ろした。
だが、黒い騎士を切り裂いた切っ先から伝わってきたのは、まるで巨大な砂袋へと斬り込んだかのような、鈍く軽い感覚だけで。
ばっさりと開いたはずの傷も、テミスが地上へと着地する頃には、蠢く欠片たちの波に呑まれて跡形もなく消え去っていた。
「チィッ……!! 駄目かッ……!!」
自らの手に剣を通して伝わった感触と、瞬く間に消え去った傷痕に、テミスは歯噛みをしながら吐き捨てるように舌打ちをすると、巨大な黒い騎士の間近から数歩跳び退がる。
変身中に与えられる無敵時間。そんなものは、物語の中でだけ存在する都合のいい空想だとばかり考えていたが、どうやらそうではないらしい。
今の黒い騎士はいわば欠片の集合体。こうして一同に集まっている所を鑑みれば、個としての戦闘力は低いのだろう。それ故の防御性能。
だからこそ、一体の巨大な黒い騎士と化し戦闘力を向上させる。つまるところ倒すには、黒い騎士が準備を整え、こちらへ攻撃を仕掛けてくる瞬間を待つ必要がある。
「やっぱり駄目だったかッ!!」
「やっぱりって……どういうことですか!?」
「あの手の連中は魔獣でもたまに居るんだよ。土人形系の奴等に多いんだが、ああやって形を変えている間は、こっちの攻撃が効かねぇんだ!」
「フン……忌々しいッ……!!」
退いたテミスに合流したシズクとルードの声を聞きながら、テミスは鼻を鳴らすと、再び現れんとしている黒い騎士に右往左往している背後の冒険者たちへチラリと視線を向けた。
恐らくは今、あの状態の黒い騎士に何度斬撃を加えても有効打にはならないだろう。
だが、斬る事ができなかった訳では無い。
強烈な斬撃を以てすればあの巨体を抉る事はできたし、幸いな事に反撃も無かった。
そう思考を巡らせるテミスの背後では、ハクトや冷静さを取り戻した一部の冒険者たちが撤退を叫ぶ声が響いていた。
今のまま戦いが始まってしまえば、冒険者たちに途方もない被害が出るのは間違いないだろう。
「悪いが……効果は無くともこちらは時間が欲しいからな!! 足掻かせて貰うぞッ!!」
「――ッ!?」
「ちょ……テミスさんッ!?」
状況を確認するや否や、テミスはクスリと不敵な微笑みを浮かべて眼前の巨大な黒い騎士へ向けて吠えると、大剣を肩に背負って再び前へと飛び出した。
しかし、攻撃が有効打とならない今、テミスの行動はただでさえ消耗している己の体力を削るだけの愚行に過ぎず、ルードとシズクは驚きに目を見張って息を呑んだ。
「ッァ……!!!」
だが、そんなルードたちの驚きを背に受け、テミスは巨大な黒い騎士の足元へと駆け込むと、一本の柱のようだった黒い塊が枝分かれした、眼前にそびえ立つ太い脚と思しき部位を目がけて大剣を薙ぎ払った。
直後。
テミスの斬撃を受けた大木の幹ほど太い黒い騎士の脚は、ドジャァッ!! と小気味のいい音を立てて飛散し、僅かの間ではあったが断ち切れる。
「ハハッ!! まだまだァッ!!」
一太刀切り裂いた後もテミスの繰る大剣が止まる事は無く、薙ぎ払った大剣の勢いをそのままに身体を傾がせて回転させると、再び巨大な黒い騎士の脚へ向けて連続で斬撃を浴びせた。
一方的に浴びせられ続ける嵐のような斬撃は、寄せては返す波のように修復を続ける黒い騎士の脚をひたすらに刻み続けた。
結果。巨大な黒い騎士の体躯はぐらりと大きく傾ぎ、円柱状に聳え立っていた欠片の群れが天辺から僅かに崩れる。
尤も、崩れ落ちた欠片は再び地上を這いずって足へと戻り、再び群体の中へと混じり消えていくのだが。
「テミスさん……なんであんな事を……ッ!!」
「ッ……!! アイツ……時間を稼いでやがるんだ。冒険者たちが逃げる為の時間をッ……!! 見な……切り崩しているお陰で、ちいっとだけだが形が揺らぐ時間が長くなってやがる!!」
攻撃を続けるテミスの背を見守りながら、シズクが苦し気に呟きを漏らすと、黙したまま沈痛な表情で状況を見守っていたルードが、再び息を呑んで声を上げた。
それはまさに、テミスの狙いを正確に言い当てていて。
「……っ!! なら私達もッ!!」
「……いいや。俺達も加われば確かに、時間は稼げるかもしれねぇ。だが、俺もシズクの嬢ちゃんも、これ以上体力を削っちまったら、奴が『完成』した時に戦える力が残らねぇ」
「なら……!! 見ているしか無いとッ……!? もう限界なのはテミスさんだって同じなのにッ……!!」
「だから……さ。一回戻った癖に、俺達に何も言わず斬り込んでいったんだろ。馬鹿野郎が……! 自分ばっか無茶しやがって……!!」
「ッ……!!」
そんなテミスの背を見守りながら、シズクとルードは言葉を交わした後、揃って固く拳を握り締めたのだった。




