1673話 危機感の正体
一番最初に覚えたのは、ほんの僅かな違和感だった。
まるで踏み出した先に在った地面が、微かに揺れ動いたかのような。
ともすれば、気の所為や勘違いだと一笑に伏して、気にも留める事は無かったであろう僅かな違和感。
しかし、戦場で鋭敏に研ぎ澄まされていたテミスの感覚の残滓がこれを逃す事は無く、脳裏でけたたましく警報を発する。
戦場での違和感とは掴み取った危機の尻尾だ。無碍に扱えば痛い目を見るし、突如として現れた違和感に焦り、誤った判断を下せば死に直結するやもしれない。
だからこそ。
「っ……!!!」
ピタリ。と。
テミスは踏み出した足を止めて僅かに腰を落とし、何が起きようとも即応できるように身構え、周囲へと警戒に満ちた視線を走らせる。
迂闊だった。間抜けか私はッ!! 荷車の傍らに自ら立てかけた大剣で一瞬だけ視線を留めると、テミスは胸の内でそう歯噛みした。
大剣まではまだあと数歩の距離。一足飛びに飛び付けば、一呼吸の内に手中へと納める事はできる。
だが、未だ危険を叫び続ける直感の正体が判らない今、そこで生まれるであろう僅かな隙を晒す事をテミスに許さなかった。
「テミス……さん?」
「……んん?」
突如立ち止まったテミスの異変に真っ先に気付いたのは、荷車に腰を掛けて休んでいるシズクだった。
目に見えて緊張感を迸らせたテミスに呼応して、自らも荷車から腰をあげ、首を傾げながらも周辺へ視線を巡らせて警戒する。
それに一拍遅れて、荷車に寝そべっていたルードも上半身を起こし、酷く眠たげな視線をテミスへと向けた。
瞬間。
「うわぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!! 動いてるッ!! やっぱコレ!!! 動いてるぞッ!!」
「ッ……!!?」
冒険者の一人が恐怖に満ちた叫び声を上げると、必死の形相で素材を拾い集めていた籠を宙へと放り捨てる。
同時に零れ出る黒い破片を見るに、どうやら叫び声をあげた彼は黒い騎士の遺した素材を中心に拾い集めていたらしい。
「オイッ!! 動いているとはどういうことだ!? 報告しろ!! 何があったッ!?」
「おわッ……!? テ……テミスさんッ!? あ~……申し訳ありません。コイツ、どうにも臆病でして。皆さんが倒したあの化け物の欠片が、まだ動いているだなんて言うんです。お前さぁ……怖がるのは良いけれど、周りの迷惑を考えろよな?」
「あっ……ぅ……ぁ……で、でもッ!!!」
「怖い怖いと思ってるからそんな勘違いするんだよ。よく考えろ。こぉんな破片が動く訳ねぇだろ! ったく、盛大にブチ撒けやがって。良いからお前もテミスさんに謝れって!」
「…………」
腰を抜かして叫び声をあげた冒険者へと駆け寄ったテミスが、肩を掴んで怒鳴り付けるかのように激しく問いかけた。
だが恐怖に震える本人が答えを返すその前に、傍らで共に仕事に励んでいたらしき仲間が驚きの表情を浮かべながら口を開くと、未だテミスの眼前で恐怖に顔を青ざめさせる男を嗜める。
「っ……あの……その……すいません。俺っ……!」
「謝るな。私は報告をしろと言ったんだ。判断はこちらでする。お前の感じた事を教えろ」
「えっ……あ……」
「あ~……テミスさん? コイツの与太話に付き合う事は無いですって。そんな事より、もしよかったらお話を聞かせて貰えま――」
「――少し黙れ。なぁ……お前の感じた恐怖は、何かの先触れかもしれない。間違いであったとしても構わないんだ」
「っ……!!! は……はい……」
「…………」
テミスは調子の良い言葉を並べる男を鋭い声と視線で黙らせると、己が眼前で狼狽する冒険者へと視線を戻し、努めて穏やかな声で語り掛けた。
すると、叫び声をあげた冒険者は一瞬だけテミスの背後で不貞腐れたように吐息を漏らす仲間をチラリと一瞥した後、おずおずと語り始める。
「俺……俺達、あの黒い化け物の素材を集めていたんです。そうすれば、テミスさん達と少しでも話せるかもって。でも、籠に集めれば集めるほど、なんだか引っ張られているような気がして……。最初は気の所為だって思っていたんですけれど、引っ張られるみたいな感覚はどんどん強くなっていったんです」
「フム……?」
「それで、欠片を一個だけ掌の上に乗せて見てたら……」
「なるほど。動いたのを見た……と」
「……はい」
叫びをあげた冒険者の話を聞いたテミスは、少しだけ腰を浮かせて辺りで素材を集める冒険者たちを一瞥する。
見たところ、彼等ははじめから黒い騎士の素材を狙って拾い集めていただけあって、誰よりも多く欠片を集めているらしい。
他の者達は、黒い騎士の欠片だけではなく、魔獣の死体も区別なく片端から収集している。
つまり。この場に居る誰よりも、彼等が一番黒い騎士の破片を有していたと言える。
「……一か所に集めるとマズい系統の代物か……? いや、違う。ならば時間と共に力が強くなる事に説明が……。ッ――!!!!」
尻もちをついた冒険者の傍らから腰を上げたテミスは、ブツブツと呟きを漏らしながら考えを巡らせ、一つの可能性に辿り着く。
瞬間。
「シズクッ!!!」
テミスはゾクリと背筋を駆け抜けた悪寒に、叫ぶようにシズクの名を呼ぶと、脚に全力を込めて地面を蹴って一瞬で荷車まで駆け戻った。
そんなテミスの緊迫した叫びに即応したシズクが、腰の刀へと手を閃かせて構えを取った時。
カチャカチャカチャ……と。
周囲の地面の至る所に散らばっていた黒い騎士の破片が、まるで共鳴するかの如く一斉に震えはじめたのだった。




