1671話 戦勝の熱狂
大気の裂ける音を響かせながら漆黒の大剣が轟然と振るわれ、一撃で黒い騎士を屠り去る。
背を断たれた黒い騎士がガシャリと音を立てて崩れ落ちる傍らで、テミスは周囲を見渡しながら振るった大剣を傍らの地面へと突き立てて息を吐いた。
「フゥ……これで終わり……か……」
どうやら、今テミスが打ち倒した黒い騎士が最後に残った一体だったらしく、周囲では既に戦いを終えた冒険者たちが、笑顔に達成感を漲らせて言葉を交わしている。
「っ……」
戦いが終わった。
そう理解しながらも、昂った血が、興奮で沸き立った脳がすぐに普段通りの平静を取り戻す事は難しく、テミスは浅く早い呼吸を繰り返しつつ、額に浮かぶ汗を拭って空を見上げた。
そこには、清々しく晴れ渡った青空が広がっており、柔らかそうな白い雲が緩やかに漂っていた。
そこいらじゅうに剣が突き立ち、魔物たちから流れ出た血で地面がぬかるんだ地上とはかけ離れた、天上の穏やかな光景は張り詰めたゆっくりと心を癒し、同時に鉛のように重たい倦怠感が迫ってくる。
それでも。
絶望的な戦いに勝利を収めた事実が変わる事は無く、テミスは胸の奥からじんわりと湧き上がってくる歓喜に身を任せた。
「ッ……オオオオォォォォォォォォォッッッッ!!!」
「勝った……! 俺たちの勝ちだッ!! 町を護り切ったぞォォォッッ!!!」
「ウォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!」
万感の思いが籠ったテミスの雄叫びに呼応したルードが叫びを重ねると、冒険者たちは口々に雄叫びをあげ、万雷の如き勝鬨が戦場に響き渡った。
中には、己が身に着けた防具を脱ぎ捨て、喜びに猛り狂う者や、腕を組んで仲間達との健闘を称え合う者なんかも居て、この場に集った誰もが、勝利の喜びに胸を躍らせていた。
「お疲れさまです。テミスさん」
「あぁ。お前も良くやってくれた。シズク。感謝する」
「そんな……私は私の役目を果たしたまでです」
「ククッ……そう謙遜するな。我々が武功を誇らねば、他の者達も喜び辛いだろう」
「……! そういう……ものですか……」
「んむ。そういうものさ」
歓喜に沸き立つ冒険者たちの間を縫って、戦勝の余韻に浸るテミスの元へ歩み寄ったシズクが穏やかな調子で声を掛けると、テミスもまた上機嫌に言葉を返す。
事実。テミスの気分はこれ以上ない程に晴れ晴れとしており、それがこの絶望的な戦いに打ち勝ったお陰であることは火を見るよりも明らかだった。
「オウ。二人は一緒だったか。お疲れさん」
「っ……」
「探しましたよ。此方でしたか」
そこへ、セレナを連れたルードと、エルリアとアドレスを連れたハクトが同時に加わり、戦後の静けさが僅かに揺蕩っていたテミスの周囲が、一気に賑やかになる。
「いやぁ……それにしても、厳しい戦いだったなぁ……。まさか、あれ程とは……」
「えぇ。完全に想定外の数でした。情報では、戦線に空いた穴はごく小さなものだったはずなのですが……」
「存外、アルブヘイムの連中も見栄っ張りなんだな。私の知り合いのエルフ連中は皆、クソが付くほど真面目な奴等ばかりだから少し意外にも思える」
「おいおい、お前サンの周りのエルフっつったら、ルギウスの奴かシャーロットとルカの嬢ちゃんくれぇだろ? あんな連中と比べてやる方が……あ~……っと……」
「み、皆さん、有名な方々ばかりですからね!! テミスさん繋がりで思い浮かぶとしたら、誰でもまずはあの方々かと!」
ワイワイと言葉を交わす中で、軽い調子で口を滑らせたルードが曖昧に言葉尻を濁すと、ビクリと肩を跳ねさせたセレナが顔を引き攣らせながら懸命にフォローを入れる。
尤も。そのフォローがあったとて、いち冒険者でしかないルードが、魔王軍の軍団長であるルギウスやルカの名をまるで知己であるかの如く呼び捨てにした事実が変わる事は無いのだが……。
「…………。やれやれ。これほど英雄的な戦勝とはいえ、少しばかり騒がし過ぎますね。ゆっくりとねぎらいの言葉をかけようにも、まるで聞こえやしないではないですか」
「…………」
「っ……!」
「……!!」
どう転んでもルードの失態を取り返す事は厳しいだろう。
そう考えたテミスが頭を抱えかけた時。長い耳をパタパタと動かしたハクトが、露骨にルードから目を逸らしながら、白々しい口調で口を開いた。
その言葉が示す意味はつまり、ルードが口を滑らせてしまったとんでもない失言を、聞かなかった事にしてやろうという慈悲だった。
それは、生粋の商人であるハクトにとって、千金にすら値する情報でもあるのだが……。
「……なんです?」
「イヤ……お前サンにも人の心ってモンがあるんだなぁ……と」
「なッ……!?」
「少し見直したわ。正直、氷漬けにするか焼き兎にするかで迷っていたので」
「あぁ、意外だ。てっきり、金や損得に魂を売り渡しているものだとばかり思っていた」
「あなた達ねぇ……ヒトの善意を一体何だと思っているんですか? というか、あまりにも扱いが酷すぎません!? 私もそれなりに頑張ったと思うのですが!?」
目を丸くして驚きを露わにするテミス達に、首を傾げたハクトが怪訝そうな表情を浮かべて問いかけると、ここぞとばかりに一斉口撃が加えられた。
そして響く悲痛な問いに続き、明るい笑い声が蒼空へと立ち昇っていく。
そんなテミス達の足元で。
砕け散った黒い騎士たちの甲冑の欠片が、音も無く微かに揺れ動いたのだった。




