1660話 勇が故の義憤
並み居る魔獣たちの間を駆け抜けた先でルードたちを待ち受けていたのは、まるで地獄のような光景だった。
否。これまでの戦場も、地獄と呼ぶには十分過ぎるほどに凄惨なものであったのは間違い無い。
だが、そんな地獄の中に在って尚、そこに広がっていた景色は更に地獄と呼ぶに相応しいほど悍ましいものだと言えるだろう。
「ッ……!!!!」
「なに……あ……れ……」
魔物たちを片端から斬り殺す血濡れた黒い騎士の軍団を前に、セレナは言葉を失い、ルードは自らの喉が一瞬で干上がっていくのを感じていた。
黒い騎士が生ある者を殺すという事は理解しているし、そういう『モノ』であると受け入れる事は容易だった。
だが、話を伝え聞いていたとはいえ、実際に眼前でその光景を目の当たりにするのは別問題で。
必死の形相を浮かべて逃げ回る者、最早逃れる事は叶わないと悟り反攻に転ずる者、先行く仲間を護らんと己が身を盾に立ち向かう者。鏖殺されているのは須らくヒトではなく魔獣であるというのに、気付けばルードの胸の内には耐え難い怒りが沸き上がっていた。
「クソッ……!! 畜生……酷ぇ気分だ……」
ぎしり固く歯を食いしばりながら、ルードは魔獣たちの返り血に染まった黒い騎士たちを睨み付ける。
いくらこちらが哀れみを覚えようとも彼等は魔獣。護ってやったところで背中を刺されるのが関の山だし、町の中へ招き入れなどすれば甚大な被害が出るのは目に見えている。たとえ共通の敵が居たとしても、共闘をするなど以ての外だ。
そもそも、そういった知能を持つか否かが『魔獣』と『ヒト』との境であり、たとえば先の戦いでルードが斬り伏せた地竜は竜種の魔獣だが、竜種の中でも高い知能を持つ者は竜族と呼ばれヒトとして扱われる。
つまり、眼前で今も尚繰り広げられている凄惨な殺戮行為は、ルードたち『ヒト』にとっても益のある駆除とも言えるだろう。
だが……。
「……悪ぃな。嬢ちゃん。多分、アンタの予想通りだぜ」
「……?」
腰の太刀へと手を伸ばしたルードは小さな声で呟きを漏らすと、深いため息をついて空を仰ぎ見た。
今回の防衛戦に際して、ルードはテミスから一つの指示を受けていた。
その内容は、黒い騎士が確認されたら即座に冒険者たちをまとめて撤退し、決して交戦しない事。
ルードは今の今まで、この指示には冒険者たちに被害を出さないためにまとめろという意味が込められているとばかり思っていたのだが、どうやらそれは間違いだったらしい。
「すまねぇ。ここまで連れてきちまって今更だが、セレナ。キミは戻って撤退する冒険者たちの指揮を執っちゃくれねぇか?」
「っ……!! 何故ですか!? 魔力も体力もまだあります! 足手まといにはなりません!!」
皮肉気な笑みを零して静かに告げるルードに、セレナはピクリと肩を跳ねさせて鋭く息を呑むと、視線に力を込めて抗弁した。
だが、それでもルードの表情が変わる事は無く、ルードはゆっくりと持ち上げた左手でガリガリと後頭部を掻き毟ると、セレナから目を逸らして口を開く。
「そうじゃねぇ。……そうじゃねぇんだ。俺は今から、あの黒騎士共の群れに突貫する」
「な……ッ!? 幾らなんでも無茶ですよ! 自殺行為です!! それにッ――」
「――あぁ。連中との境目はこっから見てもわかるくらいひでぇ混戦だ。たとえ俺が斬り込んだとしても、魔獣たちが味方になってくれる訳じゃねぇ」
「そうですよ!! あれだけの数の魔獣の攻撃を躱しながら戦うなんて無理です!! しかもあの化け物たち……一体一体がとんでもない強さですッ!!」
「ククッ……!! だなぁ……」
恐らく、この胸の内に滾る義憤こそ、テミスが撤退を指示した理由なのだろう。
そう理解しながらも、ルードは自らを止めるべく言葉を重ねるセレナに応えつつ、ゆったりとした視線で、魔獣たちと黒い騎士たちが入り乱れる最前線へと視線を向けた。
するとそこでは丁度、サラマンダーと呼ばれる竜種の一頭が、炎のブレスを吐きながら一体の黒い騎士へと襲い掛かるも、無造作に振るわれた剣の一薙ぎにて返り討ちに遭っていた。
「だったら尚の事!! 退きましょう!! 一度体勢を立て直して、それでッ……!!」
「それはできねぇ。確かに俺がここで斬り込んでも、逃れた魔獣たちはきっとゲルベットの町を襲って、冒険者たちに狩られるんだろうさ。でもよ……!! こんな光景見せられちゃあ、俺は黙ってられねぇッ!!!」
「あッ……!! 駄目ッ!! ッ~~~!!!」
固く食いしばった歯の隙間から絞り出すかのように、ルードは震えた声でセレナへと言い残すと、弾かれたように身を翻して、雷光の如き迅さで黒い騎士の群れに向けて突貫する。
そんなルードの背に、セレナは悲痛な声を投げかけた後、途方もない恐怖によってまるで生まれたての小鹿のようにブルブルと震える脚に力を籠め、短杖を手にルードの背を追いかけたのだった。




