1653話 たった一つの共感
簡潔に結論だけを伝えてテミスが言葉を切ると、絶句したハクトとの間の空気を沈黙が支配する。
この世の全てに見捨てられたような顔。ハクトの表情はまさにそれを体現しているかのようで。
だが、事実は事実だ。サキュドたち黒銀騎団の手勢がこの場に居れば幾らでもやりようはあるし、せめてテミス自身が万全の状態であれば、例えこちら側の戦力が僅かであろうと勝ち切る事はできるだろう。
けれど今はそのどちらも無いのだ。そんな状態で打って出れば、間違いなく冒険者たちの間に多数の死傷者が出る。その指揮官ともなれば、たとえ双月商会が庇い立てをしたとしても、テミスの指揮で死者が出たことに変わりはなく、どう足掻いた所で指揮を受ける者達が居る以上その責任は付き纏ってくる。
――悪いが、できもしない事をできると言い切る事ができるほど蛮勇ではないんだ。
胸の内でそう嘯くと、テミスは僅かに良心が疼くのを感じながらも、密かに拳を握り締め、ハクトの反応を待った。
「…………。っ……! ッ……!! ッ~~~~!!!! そう……で……すか……」
絶望。憎悪。悔恨。そして、諦観。
ハクトは短い時間の間に様々な表情を見せた後、絞り出すような声でテミスの出した結論を受け入れる。
そこに、途方もない苦しみがあった事は、眼前で眺めていただけのテミスにも伝わってくる程度には想像に難くない。
しかし、いくら想いの丈が強かろうと、眼前にそびえ立つ現実に変わりはなく、現状の戦力でせいぜいできる事といえば、町の住人を一か所に集めての籠城戦が関の山だ。
「わかっています……。貴女が負け戦に付き合う義理も義務も無い事は。むしろ、こうして話を聞いていただけているだけでも感謝すべきだ……。でも……何故でしょう……諦めたくない……!! 諦められないッ……!!」
「…………」
現状から冷静に次の手を思案するテミスの前で、ハクトはドサリとその場に崩れ落ちるようにして尻もちをつくと、震える声で思いを零しはじめる。
「私はね……このゲルベットが鄙びた田舎町だった頃。この町で商会を立ち上げたんですよ。流れ者だった私たちを拾ってくれた鍛冶屋の親父……。腕はあまり良くなかったけれど気の良いオヤジで……その恩に報いたくて……」
「っ……!」
「あの時に比べて、ずっとこの町は豊かになった! 私の商会だって大きくなった! ずっとこの町で頑張ってきたんだ!! だっていうのに……なんでッ……なんでこんな終わり方ッ!!!」
その血を吐くかのような独白は、決して救いを求めたり、同情を買う為のものでは無かったのだろう。
もうどうにもならないという現実。それがどうしようもなく悔しくて。
地面の土を固く握り締め、絶望に歯を悔い縛っても耐えられず、言葉となって零れ出ただけなのかもしれない。
今の話に出てきた鍛冶屋の親父とやらが、今どうなっているのかなどテミスには知る由もない。
けれど。テミスが命を懸けてファントの町を護るように、ハクトにはハクトの何を犠牲にしてでもゲルベットを護らんとする過去と想いが在るのだ。
その一点だけは。過去を知らずとも、反りが合わずとも、テミスには良く理解できた。
「……おい、ハクト。もしも、後続の事を考えないのならば。アルブヘイムから押し寄せて来るであろう化け物共の事を考えないのだとしたら。お前達だけで、魔獣暴走を片付ける事はできるか?」
「ぇ……?」
「呆けていないで答えろ。ルードもそちらの戦力に数えて構わん」
「っ……!! それなら……いや……だが……」
項垂れ打ちひしがれるハクトにテミスが静かに問いかけると、ハクトは一瞬泣き腫らした目で呆然とテミスを見上げてから、突如我に返ったらしくブツブツと早口で呟き始める。
その瞳には、つい先ほどまで染まっていた絶望は無く、商人としての燃えるような光があった。
「……雷光のルードをこちらに回して頂けるのであれば……恐らくは。ですが、こちらには指揮を取れる者が居ません。凌ぎ切れたとしても部隊の殆どは壊滅……甚大な被害は免れないかと……」
「フン……冒険者の指揮は冒険者に任せて、お前は雇用主としての責任だけ果たしていれば良い。ルードの奴なら……ある程度は上手くやるだろうさ」
「っ……!! では……!! ッ……ですが……」
しばらくブツブツと呟いた後、すっかりと立ち直ったハクトが芯のある声で答えると、テミスは皮肉気な笑みを浮かべながら肩を竦めて言葉を返した。
それはハクトにとって、何よりも望み渇望していた言葉で。
しかし直後。前提に無理があると気付いたハクトの表情が曇る。
「ククッ……一つに交わるのは無理だが、共同戦線といこうじゃないか。そこで……だ、双月商会が誇る商会長殿? 親愛なる友軍として、ご用意願いたいものがあるのだが?」
そんなハクトに、テミスは不敵に喉を鳴らして笑ってみせると、ゆらりと腰を曲げて顔を近付けながら、問いかけたのだった。




