1649話 笑顔無き交渉
赤く錆び付き古びた門扉を挟んで、テミスとハクトが対峙する。
まるで出迎えるかの如くテミスが待ち構えていたことに、僅かながら驚きを見せたハクトも、テミスと向かい合う頃には唇を真一文字に結んだ鉄面皮に戻っていて。
一方でテミスは、そんなハクトを愉しむかのように、悠然と微笑みを浮かべていた。
「久しいなハクト。悪いが、ここの家主は少々偏屈でね。訪問販売はお断りなんだ」
「ッ……」
沈黙と共に自らを睨み付けるハクトに、テミスはクスリと笑みを歪めると、涼し気な口調で機先を制する。
この邂逅は偶然ではない。
無論。そんな事はテミスもハクトも百も承知のうえで。
故に、相手の腹の中を探るべく、深謀遠慮を巡らせているのだ。
「ククッ……お得意の笑顔はどうした? 顔が強張っているじゃないか」
「えぇ……強張りもしますとも。貴女などに関わったお陰でこちらは大損害です。とても笑顔など浮かべては居られません」
「自業自得だ。私は売られた喧嘩を買ったに過ぎん。あぁ……あと……変態を飼うのは勝手だが、しっかりと首輪を絞めておいて貰わねば困る」
「っ……!! チッ……!! 馬鹿がッ……!! はぁ……。肝に銘じておきますよ。腕は確かな男なんですがね」
機先を制したテミスが言葉を重ね、ハクトを挑発するかのように笑い声を零すと、引き攣った笑みを浮かべたハクトは嫌味を込めてテミスへ言葉を返した。
だが。軽打程度の嫌味や皮肉など今更テミスに効くはずも無く、テミスは斬って捨てるかのようにぴしゃりと言い放った後、倍する皮肉を以て斬り返す。
それは、ハクトにとって旗色を悪くするには十分過ぎる発言で。ハクトもクロウの困った趣味を把握していはいたものの、未だ意識の戻らないクロウから報告を受けられなかったが故に、まさかテミス達を相手に自身の趣味に走るとは予想していなかった。
「フッ……肝心の腕も大した男ではなかったがな。それで……? 双月商会が誇る商会長様とあろうお方が、お供も連れずにこんな場所まで世間話でもしに来たのか?」
「グッ……!! ッ……。いえ……少しばかり交渉をさせて頂きたく思いまして。護衛を共にしていないのは、私の誠意の証と受け取っていただければ」
テミスがそう本題へと斬り込むと、ハクトは僅かに鼻白んだ後、小さく笑みを浮かべて僅かに頭を下げる。
こういった交渉事や問答において、はじまりの挨拶は後の趨勢を左右する前座とも言うべき重要な戦場だ。
だが、その前哨戦は余裕をもって幕を引いたテミスの圧勝に終わり、問われる形となったハクトは会話の主導権を失って不利な状況のまま話は本題へともつれ込んだ。
「交渉……ね……。てっきり、重ね重ね面倒事を差し向けてくれた詫びを入れにでも来たのかと思ったのだがな」
「面倒事を差し向けたなどとんでもない!! 確かに、我々の間には不幸なすれ違いがあったのは間違いありません」
「ハハハッ!! 命を狙って刺客を差し向けるのが不幸なすれ違いだと? それは流石に言い訳にしても苦しいだろう」
「誤解なさらないでいただきたい。彼等は刺客ではなく、使者だったのです。少なくとも、私としてはそのつもりでした。ですが、私の指示を彼等は曲解してしまったようでして」
「つまりは、全て独断で暴走した奴等の責任だ……と?」
「勿論!! 私共の者がご無礼を働いてしまった事は事実!! そこはキッチリとお詫びさせて頂きます! ですが彼等とて、その代償は既に身を以て支払う事となっているかと存じますが……」
「ッ……!!!! フム……」
ぎしり。と。
ハクトと会話を交わしつつ、テミスは噛み締めた自らの奥歯が軋みをあげる音を聞きながら、努めて冷静さを保つべく静かに息を吐いた。
ハクトの主張をまとめると、要は今回の一件は全てクロウたちの部隊が勝手に引き起こした事であり、双月商会に敵対の意志は無く、全ての責任は彼等のあるのだと言いたいのだろう。
要は蜥蜴の尻尾切り。都合の悪い事は全て失敗を犯した者達に押し付け、自分達も彼等を叩く事で一定の共感と同調を得る手法だ。
確かに、完全に敵対していた現状を鑑みるならば、最も手早く関係を修復する一手としては効果的に思えるのも無理はない。
だが、テミスを相手にするにあたっては、最悪の一手と言っても過言ではなく、既にテミスのハクトを見る視線には、冷ややかなものが混じり始めていた。
「……どうやら、敵であるはずの彼等の事も、貴女は丁重に扱っていただいたご様子。ありがとうございます。このお話が如何なる形に落ち着こうとも、どうか私も彼等に祈りを捧げさせていただきたく」
「…………」
そんなテミスの意志を感じたのか、ハクトは短い沈黙の間に周囲へと視線を走らせると、遠くに並び立つ墓に視線を留め、礼を口にするとともに深々と頭を下げてみせた。
当然。彼等の死すら盾に取るハクトのやり口はテミスの癇に障るものであったが、テミスが彼等の命を手にかけた事実に変わりはなく、その事実はテミスからこの場でハクトに悋気を示し、話を打ち切ってしまうという選択肢を奪い去っていた。
「チッ……どこまでも不快な奴め。このまま言葉を交わしていては、堪え切れずお前を斬ってしまいそうだ。良いだろう。交渉だと言ったな? 言ってみろ。お前はこの期に及んで私に何を望み、その対価に何を差し出すんだ?」
本来ならば、涙ながらに許しを請う以外の言葉以外聞く価値など無い。こうして対話を続ける事こそハクトの策なのだ。
それを理解しながらも、テミスは怒りに逸らんと今にも腰の刀へと閃きそうになる手に力を籠めて抑えつつ、ハクトの目を見据えて問いかけたのだった。




