15話 漆黒の勇者
「恩人を、家族を守りたいのであれば。我々が到着するまで、現地の兵と協力して食い止めて見せろ。案じなくとも、お前が冒険将校を食い止めさえすれば、一般兵は奴等に任せておけばいい」
「了解」
テミスは短く答えると、リョースから目線を逸らす。つい先ほどまで、互いの命を狙って殺し合いをしていた相手なのに、何故ここまで早く切り替えることができるのか。
「……私は、お前の事を少し勘違いしていたようだ」
「何っ?」
ゆっくりと横の通路に歩を進めながら、リョースが口を開いた。
「奇策を用いて頭を取りに来た卑劣な猪武者かと思えば、義を以て我らが町の住人を慮ったり……少なくとも、私が今まで見てきた、下らん人間とは異なるようだ」
「……過分な評価に感謝する」
「フン……だが、良いのか?」
廊下に一定間隔に置かれた灯が、立ち止まったリョースの顔を怪しげに照らし出す。そこに浮かんでいる表情は、まるで子を心配する親のようなものだった。
「何のことだ?」
「このまま戦地に赴けば、お前は人間を……同族を殺す事になる」
「はっ……何を今更」
テミスは吐き捨てるようにそう言うと、歪に口角を上げて嘲笑を作った。
あまりにも的外れな心配だ。よもやこの男は、同族という希薄な絆で私がアリーシャ達を裏切るとでも思っているのだろうか。
「私はお前達とは違う。目先の下らん情に流されなどしない。私は常に、己が正義を貫くだけだ。その為ならば、たとえ同族だろうと死体の山へと変えてくれよう」
ゆらり……。と揺れる灯りが、テラテラとお互いの横顔を照らし出し、若干の沈黙が暗く長い廊下を支配する。
「…………そうか」
沈黙を破ったのは、再び歩き始めたリョースだった。
「ならば、十分注意すると良い」
「何っ?」
「お前の配下に付けられた二人は、先の戦いで壊滅した第十三軍団の生き残り。人間への恨みは心頭だろう」
廊下の突き当りに出現した、木製の扉をリョースが開けると、強い日の光が闇に慣れた目を強烈に刺激した。
「っ……、どういう事だ?」
テミスはリョースに促され、同じような扉がいくつか見られる庭園のような場所へ出ながら訪ねる。何故か、人間の王都で見た半壊部隊が頭をよぎった。
「軍団とは言っても、我々の部隊は人間のソレとは異なる」
再び俺の前を歩きながら、苦々しげな表情でリョースが語り続けた。
「人間でいう所の師団規模は、数の上だけで見れば我が魔王軍の倍……いや、それ以上に上るだろう」
「具体的な人数は?」
「フム……約五千と言った所か。忌々しい事に冒険者将校は、単騎でそれに迫る戦力だがな」
リョースの言葉に思わず乾いた笑みがこぼれる。あの神は一体どこに目を付けているのだろう。
まさかとは思うが、数的に劣る魔王軍が、人間軍に勝っているからと言って判断したのではないだろうな。
「対する我々の1つの軍団が擁する数は約五百。かの十三軍団長は自らの命と引き換えに十倍の兵力差に対して善戦し、奴等を退却せしめたのだ」
「……馬鹿な」
流石に言葉が出ない。元の世界の軍人だかが、戦争に一騎当千の猛者など必要ない理由として、いくら稀代の猛者であっても、圧倒的な物量差の前には無力であると豪語していたが、まさか地でそんな事をしてのける人間がいるとは……。
「聞いた話では、ロクな装備も持っていない雑兵の群れで削り、疲弊したところをそこに紛れた強者が止めを刺す。そんな戦法だったそうだ」
「捨てがまり……」
やはり、この世界の人間の軍隊はどこかおかしい。かの軍人も、持論は机上の空論であり、猛者一人に対して犠牲となる兵士が多すぎると笑っていたのだ。
つまり、そんな事を可能とするのは、狂気にも等しい愛国心か、理性を失うほどの恐怖しかない。
「さて、ここだ」
テミスが言いしれぬおぞましさに歯噛みしていると、庭園の壁に設えられた店のような者が並ぶ区画が目の前にあった。
「これは、凄いな……」
設えられた店の建物全てがその店なのだろう。その中では、多くの店員らしき魔族が忙しなく動き回っている。
「あらかた必要な物はここで揃うだろう。準備を整えたら、裏手の階段を使って正門横の厩舎へ行け。マグヌスたちが早馬を用意して待っているはずだ」
「……解った」
城壁に隠れるようにある階段を指して、足早に立ち去るリョースの背に返事を投げかけると、彼の足が止まる。
「私はまだ、お前を信用していない。だが同時に、期待もしている」
「期待?」
こちらを振り向かないまま、語るリョースの背が微かに揺れているのが見えた。
「人魔統一を謳う我らが、魔族の者だけでは示しが付くまい。もっとも、そのような理想も、忘れられ始めているようだがな……。では、武運を祈る」
「意外と、キザな奴なんだな……」
テミスは、自分の言いたい事を言うだけ言って立ち去っていくリョースの背を眺めながら呟いた。案外いい奴なのかもしれない。
「と、そんな事よりも……すまない」
店舗区画に視線を戻して、一番近い店先の魔族に声をかける。槍や剣を持っている所を見ると、武器屋と言った所か。
「武器を見たい、大剣はあるだろうか?」
「ヘイ――って、に、人間っ⁉」
威勢のいい返事の後に続いたのは、驚愕の表情と奇異の視線だった。
「済まないが急いでいる。ギルティア……様の命で、急ぎ出撃しなければならんのだ。連戦になるだろうから一等頑丈なものを頼みたい」
「ギルティア様の勅命っ……ヘイ、直ぐに!」
流石魔王城と言うべきか、魔王の名は絶大な効果を見せ、顔を青くした店員がバタバタと店の奥へ消えていった。
「こ、これなんていかがでしょう! ブラックアダマンタイト製なので、軽くてとても頑丈です!」
「ぅおあっ! お、お前……今、店の奥に行ったのでは……」
それを眺めていたテミスは、急にカウンターの横合いから声を掛けられて飛び上がる。これまた流石魔王城の店員と言うべきか、接客も常識外れだ。
「へぇ、お急ぎとの事でしたので……」
黒く輝く大きな剣を持った魔族が、笑いながら上を指さす。その先を視線で辿ると、石壁に設えられた窓が一か所開いている。
「と……飛び降りたのか……」
「大剣は運び出すのにちと時間がかかりますもんで、これが一番早いのです」
テミスは軽いカルチャーギャップに眩暈を覚えながら、彼の持つ剣を見る。そのブラックアダマンタイトとやらが何かは解らないが、深々と地面に突き刺さった肉厚の大剣は酷く重そうに見えた。
「持ってみても?」
「ええ、勿論でございます」
「これはっ……」
テミスはスッと店員が身を引いたのを見てから剣を抜き、驚いた。私の身の丈程の大剣なのに、まるで重さを感じないが、軽く振ってみるとしっくりとする手ごたえを返してくる。
「ブラックアダマンタイトの性質でして、所有者の意思を読み取って重さを変えるのでございます。強度も、かの竜魔人の鉤爪くらいでしたら刃こぼれひとつしません」
まるで高級店のセールスマンのように横に控えた魔族が、大剣の良さをアピールしてくる。
「だが、そんな逸品だ。相当値が張るのではないか?」
「へぇ、黒貨5枚でございます。」
「フム……っ!」
防具を買う金も必要だから、ある程度は残さないと……などと考えながら、テミスがギルティアから投げ渡された革袋を開くと、そこには人間の貨幣に似た黒光りするコインがぎっしりと詰まっていた。
「おいおい、大丈夫なのかこれ……」
魔王の財政意識に、再び乾いた笑いが漏れる。一時保留の怪しい人員の支度金にこんな大金であろう額を渡すなど、どこぞのRPGゲームの王様も見習ってほしいものだ。
「では、戴こう」
頷いて、革の巾着から貨幣を5枚つまんで店員に渡し、ふと思ったことを訪ねてみる。
「この黒貨って、人間の貨幣に換算するとどれくらいになるんだ?」
「へぇ……? 人貨ですかい? 確か金貨と同じくらいの価値だと聞きやしたが……すいやせん、なにせここじゃあ人貨なんてとっくり見ないもので」
「金ッ……」
ある程度予測はしていたものの、手渡されたあまりの金額に言葉に詰まる。どうやら魔王の金銭感覚はどこぞのセレブ並みに壊れているようだ。ちなみに、金貨が5枚あればこの世界なら半年は遊んで暮らせる額だ。それを支払っても、革の巾着の中には唸る程の黒貨が残っている。
「ウチがいただくのは加工費だけですし、かなりお安いかと思います。市場であれば、材料の希少性も鑑みて十倍はするかと……」
「もういい、頭が痛くなって来た。とりあえず、魔王……ギルティア様の金持ちっぷりは理解した」
「何を仰います!」
テミスが頭を抑えながら剣を受け取ろうとすると、大剣を引っ込めて店員が声を荒げた。
「ギルティア様は聡明なお方、その財政において一番の強さは、その無駄の無さです。まるで、未来でも見据えているのかと思うほど的確に割り振られる。故に、その革袋の大きさはギルティア様のあなた様への期待かと。ですので、この剣を紹介させていただいたのです」
剣を引っ込めた魔族は、いかにギルティアが聡明であるかを口角を飛ばしながら熱弁しはじめる。
「よ、良くわかった。先ほどの発言は取り消す、なので剣を貰えないだろうか。せ
めてあと甲冑を買わねば……」
長くなりそうな話に割って入り、魔族の店員に手を差し出す。こうしている間にも、刻一刻とマーサ達に危険が近付いているのだ。
「はっ……失礼しました。お急ぎとの事でしたね。ご武運をお祈りいたします!」
店員は我に返ると、背中に背負うタイプの剣帯を付けた大剣を、今にも膝まづきそうな勢いで頭を下げながら差し出してくる。
「ありがとう」
ひとまずそれを背負い、礼を言うと隣の店舗へ移動して中を覗く。
「へい、コレなんていかがでしょう!」
途端に、待ち構えていたかのように、別の魔族が闇のように鈍く輝く黒い甲冑を差し出してきた。
「えっと……?」
「失礼ながら、お話が聞こえてきまして。その大剣と同じ、ブラックアダマンタイトの甲冑です」
「あ、ああ……」
テミスは防具屋の店員の熱気に気圧されて、一歩下がる。それに、あの甲冑はどう見ても大きすぎるだろう……。
「気持ちはありがたいが……サイズがな……」
「では、合わせてパーツを選びましょう。ヘルムはこのままで良いとして、レギンスを取っ払って脚甲のみに……」
テミスは既に購入が決まっているかのように、甲冑をガチャガチャと弄り始める店員を見て嘆息する。買えない事はないだろうが、漆黒の大剣に黒鎧なんてまるで悪役じゃないか。
「あ~……その……」
気まずそうな声と共に、鎧のパーツを取り外している店員の手が止まり、申し訳なさそうにこちらを振り返った。
「なんだ?」
「あ~……えっと、打ち直しの時間は無いのですよね?」
「ああ、生憎すぐに出撃だが……何か問題でもあったのならば、別の物でも構わないが?」
「いえ、問題と言うか、そのですね……」
さっきまでの勢いは何処へ行ったのか、店員はごにょごにょと歯切れの悪い台詞を並べながら、甲冑と私とを見比べている。いや、これは私を見ていると言うよりその目線は……。
「もどかしいな、はっきりと言え」
内容を何となく察しながら、テミスは店員を促した。今はともかく時間が惜しいのだ。
「へぇ、そのチェストアーマーが、ちょ~っとだけ合わないかなぁ~……なんて」
「はぁ……。戻ったら打ち直しに寄こす、ひとまずそれでいいから仕立ててくれ」
テミスは気まずそうな店員の視線を追って、脇に置かれたチェストアーマ―を見る。そこには、これを作ったやつをぶん殴りたくなる程、立派な流線形が2つそそり立っていた。
「……胸にでも攻撃を受ければ、さぞいい音が響くのだろうな」
「へぇ、そりゃもう鐘のような――って、何でもありやせん!」
テミスは、顔を引きつらせながら、自分の軽口に応える店員を睨みつけると、身振りで急ぐように指示する。要は守れればいいのだ。中身が詰まっていなくても何の問題も無い。
「……絶対胸にだけは受けないようにしよう」
「っ、へぇ……。お戻りになられましたら、しっっっかりと仕立て直させていただきますので……」
「ああ。頼むよ」
テミスは青い顔をした店員に手伝ってもらいながら、実に戦闘に不向きなフォルムのチェストアーマーを身に付けていく。しかし、さすがはブラックアダマンタイトと言った所か、重厚な甲冑を身に付けたというのに、その重さを全く感じない。
「で、ではヘルムとチェストアーマー、グーリヴにガントレットで黒貨8枚になります」
「ああ、仕立て直しはここに持ってくればいいのか?」
テミスは店員に確認しながら革袋を取り出すと、黒貨をつまもうと苦戦する。だが、摘まんだと思った端から零れ、効果は袋の中へ戻っていく。
甲冑を着て細かい作業をするのは、今の私にはどうやら無理そうだな……。
「え、えぇ勿論。取りましょうか?」
「頼む」
見かねた店員に革袋を渡し、早々にギブアップする。魔王の配下だ、その魔王から賜った金を盗むなんて事はしないだろう。
「確かに8枚いただきやした。ご、ご武運を祈りやす」
店員は手のひらの上に見えやすいように黒貨を8枚並べて見せると、若干軽くなった革袋を返してくる。
「あ、少々お待ちを。注意事項だけ伝えさせてくだせぇ」
テミスはフルフェイスヘルムのせいで狭い視界に苦労しながら、店に背を向けると店員に呼び止められた。
「その、しっかりとサイズが合っていない為、この肩口の一部と、腿の一部は接合材だけになっています。なので、そこに攻撃を受けないようにご注意を」
「フム、この革の部分か?」
「ええ、多少の魔法攻撃や打撃は防げますが、丁度良い大きさのプレートが無くてですね……申し訳ない限りです」
テミスが示された位置をつついて確認すると、防具屋は申し訳なさそうに頭を下げる。
「いや、急に頼んだのは私だ。残りの部品も、チェストアーマーと一緒に私に合うようにしっかりと仕立ててもらうよ」
「そのように」
あるかもわからない次の約束を交わし、今度こそ店の軒を出る。空を見ると、若干陽が陰り始めていた。
8/1 誤字修正しました
2020/11/23 誤字修正しました