1638話 言い値の恩義
クロウ達の襲撃から数日。
テミスは、クロウ達を撃退した事に対する双月商会からの報復攻撃があるだろうと予測していたのだが、いざ蓋を開けてみれば斥候の兵一つ寄越す事は無く、欠伸が出るほど平穏な時間が流れていた。
捕虜として捕らえたエルリアとアドレスは、使用していなかった客間を掃除すると共に改造を施し、屋敷の一室に拘禁している。
言うなれば、洋風造りの座敷牢といった所なのだろうが、ニコルの手によって魔改造された部屋の機能はテミスすら閉口する程で。
燦然と輝く太陽の光を室内へと招き入れ、開けばたちまち心地の良い風を運んでくる大窓は、特定の物質が通り抜けることの出来ない不可視の壁によって阻まれており、彼女たちは気分転換に窓を開ける事はできても、窓から逃げ出す事は勿論の事、窓の外へ声を届ける事も、部屋の中の物を外へ放り出す事もできないのだ。
このようなレベルの逃亡対策が幾つも施された特製の牢は、中で過ごす者の快適さを損なう事は無く、かつ絶対に逃げ出す事ができないという、奇妙な両立を果たしていた。
「私だ。入るぞ」
「…………」
「食事の時間だ。食堂へ移送する」
そんな二人の世話役を主に担っているのはテミスで。
ぶっきらぼうな言葉と共にアドレスが拘禁されている部屋の戸を開くと、後ろにエルリアを従えて返事を待つことなく足を踏み入れる。
「どうした? 返事が無いが。体調でも崩したか?」
「…………。いえ」
「ならばさっさと支度をしろ。せっかく作った食事が冷めるだろう」
「っ……! …………」
だが、ベッドに腰掛けたまま動かないアドレスに、テミスは眉を顰めて問いかけるが、返答こそ返って来たものの彼女はテミスを見上げたまま一向に動く気配を見せなかった。
一瞬、テミスは遂に反抗心でも芽生えたかと身構えかけるが、自らへと向けられた視線に込められた困惑を感じ取ると、僅かに肩を竦めるに留めて口を開く。
「……戸惑う気持ちは理解できるが、諦めて慣れる事をお勧めする。既に骨身に染みて理解しているだろうが、如何なる抵抗も無駄だ。これでも、相当マシな待遇にしているつもりだが?」
彼女からしてみれば、仲間を殺されてすぐに一室の内に閉じ込められ、唯一生き残った仲間とも食事の時を除いて面会する事ができない現状に置かれているのだ。相応に心を蝕むであろうことは想像に難くない。
しかし、一室の内に閉じ込めこそしてはいるものの、室内での自由は奪っておらず、部屋には柔らかなベッドに加えて各種調度品も備え付けられている。
魔王軍やロンヴァルディア、そして双月商会が捕虜に対してどのような扱いをしているかなどテミスの知るところでは無いが、ヤマトの地でテミスが自らの身に受けた扱いを考えれば、捕虜の待遇としては破格も良い所と言えるはずだ。
「……だ」
「ん……?」
「どうすれば良いんだ……私達は……。喋れるような情報なんてもう無い。こんな厚遇を受けたとしても、返す事ができるようなものなんて……無い……」
しばらくの沈黙の後。
絞り出すようにして告げられたアドレスの言葉に、テミスは薄い笑みを浮かべて得心を得た。
何のことはない。彼女の心を満たしていたのは、常識という幻想がもたらした実体のない不安だ。
確かに、敵としてテミス達の命を狙った彼女たちは捕虜となった今、客人のような厚遇を受ける謂れは無い。
尤も、自分達の身柄や待遇を保証する代わりに、差し出すことの出来る価値ある情報なんかがあれば話は別なのだろうが。
それを持たない彼女たちは、本来ならば冷たく固い地下牢にでも押し込められるはずの所を、望外の厚遇を施されているのだ。
普通の思考を持つ者であれば、何か狙いがあるのではないかと勘繰るのは当然だろう。
「ククッ……!! 心配性だな。別にお前達から何かを得ようだなんて思ってなどいないさ。食卓を共にするのも、いちいちこの部屋まで運んでくるのが面倒だからだし、わざわざお前達の為だけに不味い飯を作る手間をかけるほど私達は馬鹿でもない。それに、この部屋を宛がっているのだって使っていなかったからに過ぎん。特別な意味など無いさ」
「だがッ……!! っ……」
「……それでも納得できないというのなら、せいぜい恩を感じた分素直に動いてくれ。貸しにした所で取り立てる気など毛頭無いが、お前の気が済むのなら無碍に捨て置く事はすまい」
苦笑を浮かべたテミスは、アドレスを安心させるべくつらつらと理由を述べるが、それが慰めにすらならないである事を知っていた。
だからこそ。勝手に恩を感じたならば、勝手にその分返してくれればそれでいい。
テミスはそんな意味を込めて告げてやったのだが……。
「ッ……! わかり……ました……。斬り捨てられたとしても文句の言えないこの身、救っていただくばかりか、このような厚遇まで……。つきましては、この身命を賭して貴女にお仕えさせていただきます」
「んんっ……!? あ~……あぁ……。ま、程々にな。では、行くぞ。皆が待っている」
「はい……!!」
何をどう取り違えたのか、ベッドから立ち上がったアドレスはその場に跪いて頭を垂れ、恭しく口上を述べ始める。
だがテミスとしても、無碍に捨て置く事はしないと言ってしまった以上、舌の根も乾かぬうちに言葉を翻す事はできなかった。
結果。
テミスは眉を歪めて首を傾げた後。曖昧に言葉を濁すと、ひとまず食卓へ向かうべくアドレスへと告げる。
そんなテミスに、アドレスはビシリと姿勢を正して返事を返すと、テミスの後に着いて食堂へと向かったのだった。




