1634話 不可侵たる想い
「……終わった……か……。全く……心臓に悪い……」
静寂が訪れた庭の真ん中で、テミスは天を裂く剣閃を眺めながらぽつりと呟きを漏らした。
鼓動は今もドクドクと早鐘を打ち、腰の刀を握り締めた手は汗でじっとりと濡れている。
シズクが組み伏せられた瞬間。テミスは即座にクロウの首を背から刎ね飛ばすべく、前へと飛び込みかけていた。
だが脳から放たれた指令が脚へと伝達される刹那の間。組み伏せられて尚、欠片たりとも自らの勝利を諦めていないシズクの目に気が付き、すんでの所で踏み止まったのだ。
その結果、シズクは見事敵であるクロウも、傍らで戦いを見守っていたテミスをも出し抜いて勝利をもぎ取ってみせたのだが。
「クス……。これは私も、みっともない姿は見せられないな」
テミスは互いを庇い合うように身を寄せ合うエルリアとアドレルを一瞥した後、静やかな笑みを浮かべて嘯きながら、冷や汗に濡れた手を密かに拭った。
そして、数度深呼吸をしてからざわめく心を収め、立ち上がらんと奮戦するシズクの元へ足を向けた。
「見事な勝利だ。シズク。よくやってくれた」
「っ……!! テミスさん……見ていてくれたのですね……」
「あぁ。確とな。あの逼迫した状況下でよくぞ集中を切らさず、月光斬を放つに足る魔力と闘気を練り上げた。そして収束の時間を稼ぐためのあの演技もなかなかだった」
「あはは……ありがとうございます……。あの時はただ必死で……テミスさんみたいに戦えたらって思ったのですけれど、やっぱり私ではまだまだ上手くできませんね」
歩み寄ったテミスが差し出した手を借りて立ち上がったシズクは、色濃い疲労を滲ませながら言葉を交わすと、向けられた手放しの称賛に照れくさそうにはにかんでみせる。
事実。シズクの放った月光斬は完璧なものではなく、闘気と魔力の奔流をただぶつけただけに過ぎない。
技の本質としては、斬撃を放つ月光斬というよりも、どちらかと言えば刃を持たない月光斬である新月斬に近しいと言えるだろう。
それでも。
至近距離で直撃を受けたクロウを、姿が見えないほど彼方まで吹き飛ばす程度の威力は有しているのだから、シズクの秘めたる実力の高さを窺わせた。
「ともあれ、戦いは終わった。後は後片付けだが……」
言葉と共に、テミスが改めて周囲へと視線を向けると、そこにはさながら地獄のような惨状が広がっていた。
そこいらじゅうに転がる惨殺死体と血だまり、そんな亡骸の傍らには持ち主を失った武器が突き立っていて。
たった今、白刃を潜り抜けたばかりのテミス達としては、眼前に広がる光景を見なかったことにして、即座に屋敷へ戻り身体を休めたい気分なのだが……。
「ま……そんな訳にもいかないか……」
テミスは肩を竦めて頭の後ろを掻くと、未だに呆然と身を寄せ合っている二人の襲撃者へ視線を留めて溜息を漏らした。
それに、外れに位置しているとはいえ、仮にもここはゲルベットの町の中なのだ。
このまま死体を打ち棄てて朽ちるに任せれば、瞬く間に要らぬ噂が駆け巡るだろう。加えて、腐臭や伝染病のリスクも無視する事はできない。
尤もそれ以前に、自分達が起居する拠点の前が、惨殺死体の展示場と化すのは流石に看過できないものがある。
「シズク。戦闘で疲れているところすまないが、最後にもう一仕事だ」
「……はい。心得ています。敵として刃を交えたとはいえ、彼等も立派な戦士でした。丁重に弔ってあげましょう」
「…………。ふ……優しいな。シズクは」
気怠さを隠そうともせず告げたテミスに対して、シズクは沈痛な表情を浮かべると、ひどく真面目な声色で言葉を返した。
恨みに呑まれてしまえば、たとえ死体だろうと赦すに能わず、怒りに任せて切り刻んでしまうような輩も居るというのに。
どうやらシズクの精神性はそんな連中とは一線を画している様で、引き締まった横顔には何処か高潔な雰囲気が漂っていた。
「フム……。ならば一つ、私もシズクに倣うとするか」
テミスは、己が指示を出すまでもなく動き出したシズクの背に向けてそう嘯くと、ゆっくりとした足取りでエルリアとアドレスの元へと踵を返した。
降伏を宣言した彼女達の立場は捕虜。本来ならば即座に軟禁するか、武装を取り上げて牢にでも繋ぐのが正しい処遇だ。それにこの余分な優しさは、ともすればいっそう残酷で非道な行いに映るのかもしれない。
それでも。善き仲間であったであろう者達との最後の別れは、選択肢すら与えずに奪い去って良いものでは無い筈だ。
「……私たちはこれから、この場に在る遺体の弔いをする。お前達はどうする? 手伝うか? 強制はしない。お前達は降伏したのだ。辛ければ休んでいても構わない」
「…………」
「っ……!!」
そんな信念を胸に、テミスはエルリアとアドレスの間近まで歩み寄ると、努めて優しい声色を出す事ができるよう努力しながら、静かにそう告げたのだった。




