1633話 真なる一刀
ゴィンッ……!! と。
金属が叩き付けられる鈍い音が辺りへと響き渡る。
クロウが振り下ろした短剣は、咄嗟に掲げたのであろうシズクの刀によって阻まれ、刃を柄に食い込ませていた。
幸運だったのは、傷を負ったクロウの剣速が落ちていた事だろう。故に、考える間も無く、身を守らんと引き寄せたシズクの刀がすんでの所で間に合ったのだ。
だが、受け止める事ができたとはいえ、刃が食い込んだのは刀の柄。即ち持ち手の部分であり、下手をすれば指が数本飛んでいても不思議では無かった。
尤も、身体に致命傷を受けるよりははるかにマシなのだろうが……。これもシズク自身が持つ天運の為せる業なのか、クロウの刃はちょうどシズクが両手で握った柄の僅かな隙間を捉えており、今の一閃でシズクが傷を受ける事は無かった。
「くふッ……ひひッ……!! ハァァァァッッッ!!」
「ッ……!! くッ……!! グッ……!!!」
しかし、シズクには己の幸運に浸っている暇など無い。
辛うじて斬撃を防ぐ事ができたとはいえ、シズクはクロウの突進をまともに受け、斬撃を受け止めながら背中から地面に倒れ込んでしまっている。
無論。眼前には目を血走らせたクロウが、シズクに覆い被さるかの如く馬乗りになっており、不気味な笑い声をあげながら自身の体重すら乗せて刃をシズクへと押し付けた。
「さぁ……! 終わりだ! 終わりです!! 貴女の負けだ!!! 降参しなさい。諦めろ! 今、素直に私に傅くならば、責め苦も優しいものからにしてあげましょう!! さぁ……! さぁッ……!!」
「ッ……!!! 誰……がッ……!!」
シズクは自らを圧し切らんと迫ってくる刃を全霊の力で支えながら、闘志の光が宿った眼でクロウを睨み上げる。
そんなシズクの頬に、醜く捲れ上がったクロウの口角の端から滴った涎がポタリと落ち。瞬間。そのあまりの悍ましさに全身を駆け巡った悪寒のせいで、シズクの腕に込めていた力が僅かに緩むと、一気に圧し込まれた短剣の刃がシズクの肌に触れる。
「っ~~~~!!!!」
シズクはぷつりと胸元を裂いた刃の痛みに顔を顰めると、ミシミシと歯を食いしばって全力で短剣を圧し返した。
だがそれでも、胸元へと潜り込まんとする刃を留める程度で。荒々しい息を吐きながら覆い被さってくるクロウの身体を弾き飛ばすには至らない。
――どうする? もしもテミスさんなら、この状況ッ……!!
最早シズクには、この窮地を切り抜ける事ができるだけの技は無かった。
故に、自らの血に濡れた刃の切っ先を睨み付けながら、必死で考えを巡らせる。
そしてわずか数秒という短い時間の間に、シズクの脳裏を様々なイメージが浮いては消え、一つの閃きを導き出した。
そうだ。テミスさんの戦い方は剣だけに頼ったものではない。むしろその逆。轟然たる威力を誇る剣の裏側には、磨き上げられた体術が隠されている。
その体術が相手を翻弄し、あの型に嵌らない自在の剣技を生み出しているのだ。
でも私にその心得は無い……けれどッ……!!!
「ッァァ……!! セェッ……!!」
「っ……!? ウッ……!!」
脳裏に輝いた閃きに従い、シズクは下半身を跳ね上げて地面を蹴りつけると、自らの上に馬乗りになっているクロウの背に膝蹴りを叩き込む。
しかし、一撃。また一撃と蹴りを叩き込んでも、クロウは僅かに息を漏らすだけで体勢を崩す事は無く、肉を蹴りつけるドズンドムンという音だけが空しく奏でられた。
「ごッ……!! ハハ……最後の抵抗ですかね? ン゛ッ……!! 構いませんよ。全てを出し尽くしてのッ……救い無き敗北の方がお好みとあらばッ……!」
「っ……!! くっ……!! このッ……!!! 何故ッ……!!!」
「足掻き藻掻くその必死な表情も中々に唆る……。んふッ……フフフフッ……!!」
いくら蹴りを叩き込もうと動かないクロウの身体に、シズクは悔し気に歯噛みをしながら蹴りを放ち続ける。
だが、どれ程力を込めようとも、クロウは体勢を崩すどころか痛みに顔を顰める事も無く、ぞろりと舌なめずりをしながら楽し気な微笑みすら浮かべていた。
そんな時間が、数分ほど続いた後。
「……そろそろ構いませんかねぇ? そうして抗う姿も良いですが、やはり苦しみに歪んだ顔が一番良い」
「――ッ!!! 嫌だッ!! まだ負けてないッ!! 負けるものかッ!! ッアアアアァァァァッッ!!!」
シズクの放つ蹴りをその背で受けながら、にちゃりと歪んだ笑みを浮かべたクロウが満を持して口を開く。
そんなクロウを見上げながら、シズクは目を剥いて絶叫すると、一生激しくクロウの背中を蹴りつけた。
もはや決着は明白。ここからシズクが勝ち得る方法など無い。
この場に居るテミスとシズクを除く誰もが、胸の内でそう確信を強めた時だった。
「――なぁんてな。……って、テミスさんなら言うのでしょうね」
「ッ……!!!?」
突如。
必死で足掻くかのようにクロウの背中を蹴りつけていたシズクの脚が止まり、一転して不敵な声色が空気を震わせる。
同時に、クロウの短剣を受け止め続けていたシズクの刀が光を纏い、ギシギシと音を立ててその刃を圧し返し始めた。
「本当なら、刃と研ぎ上げてから叩き込んでやりたいですが……!! 致仕方がありません……今はこの一撃でェッ!!!」
その異変に、クロウが咄嗟に防御の姿勢を取った瞬間。
声高な叫びと共に間近から放たれたシズクの月光斬が、クロウの身体を呑み込んで吹き飛ばしたのだった。




