1631話 乾坤一擲
猛然と駆け出したシズクが、一呼吸の内にクロウとの距離を一気に詰める。
構えは中段。刃を引いて己が身を盾に身体の後ろに隠しているのは、クロウに直前まで剣筋を読ませないためだろう。
対してクロウは、武器こそ手放してはいないものの、未だ身体を不気味にくねらせて身悶えをしていた。
これが隙なのか、それともシズクの守りを崩すための誘いなのか……。
テミスは腕組みをして戦いを見据えながら、頭の中で二人の動きを同時に予測する。
「フム……」
一手目。斬りかかったシズクの中段薙ぎ払い。狙いは胴。ただしこれは一撃での決着を狙ってのものではなく、軽いジャブのようなものだ。そしてそれを、クロウは逆手に持っている右手の短剣で受け止め、同時に彼の身体に巻き付けられた左手の短剣が、シズクの胸か胴を貫きにかかるだろう。
当然、シズクもこの反撃は織り込み済みの筈で。
故にここで軽く当てた一撃目が生き、一歩退いて短剣の射程の外へと逃れる事ができる。
もしも私が相対していたのなら、別の手を以て応ずるが、シズクの堅実な剣筋を軸に考えると、無理に攻め切らずに退くはずだ。これが二手目。
だが、結果としてここが勝負の境目。
退いたシズクに対し、クロウはほぼ万全な体制を保っている。
体勢を立て直す必要のないクロウがこの隙を逃す筈もなく、当然追い縋って追撃を加える筈だ。
あとは先程までの攻防と同じ。
短剣の射程まで詰め寄られたシズクは十全に力を発揮する事ができず、抗いはするものの十三……否、十四手目ほどで不可避の一太刀を浴びる羽目になる。
「…………」
「ハァッ……!!!」
テミスは自らの導き出した予測に僅かに目を細めると、その時に備えてゆらりと右手を持ち上げ、腰に収めた刀の柄へ音も無く番えた。
全力を出す事を禁じられている以上、重要なのはタイミングだ。
僅かでも遅れればシズクが斬られ、逸ればテミス自身が応撃を受ける事になるだろう。
そんなテミスが見守る先で、クロウへと肉薄したシズクが構えた刀を鋭く振るう。
一手目にシズクが放った斬撃は、テミスの予測の通り胴を狙った中段の薙ぎ払い。
これに対してクロウは右手の短剣を以て応じ、ぶつかり合った二つの刃が甲高い金属音を奏でた。
ここまでは寸分違わずテミスの予測通り。
願わくば、シズクが一手を以て決める気で斬りかかり、クロウが両の剣で受けざるを得ない状況となれば或いは……。などと可能性を模索してはみたものの、テミスの願いが叶う事は無く、クロウの自由な左手が肉薄したシズクを穿つべく閃いた。
だが。
「ッ……!!」
「ッ~~~!!?」
バシリ。と。
クロウの左手が動き出すよりもわずかに早く、シズクの左手がクロウの左腕を掴み取る。
恐らくは斬撃を放つ直前、シズクは両手で構えていた筈の刀を片手に持ち替え、この一手に備えていたのだろう。
だからこその、自らの身体を前面へと出したあの構え。
これまでのシズクとは確かに異なる剣筋に、切り結んでいたクロウは勿論の事、傍らで見ていたテミスをも心が震えるような衝撃が襲う。
「ぐっ……ウッ……!?」
「くふっ……!」
「ごッ……ァッ……!!」
だが、それだけで終わるシズクでは無かった。
片手で持った刀をギシギシと短剣へと押し付けながら、捉えたクロウの左腕を力付くで身体の左側へと動かしていく。
そして、穏やかなシズクには似合わない笑い声を漏らすと、シズクは突如として身体を捻り、強烈な回し蹴りをがら空きとなったクロウの腹へと叩き込んだ。
「っ……! っ……!!」
想定外を超えた想定外。
クロウの反撃を凌ぐだけではなく、まさかあんな型破りな動きで追撃を通してみせるとは……!!
テミスは自らの背をゾクゾクとした興奮が駆け抜けていくのを感じながら、自らが右手を刀に番えていた事すらも忘れて、食い入るようにシズクの戦いに視線を注ぐ。
「ゴホッ……! グフッ……!! よ……よもや蹴り――ッ!!」
「――ハハっ!!」
シズクの放った蹴りを受けたクロウがよろめきながら数歩退き、再び剣を構えようとした時だった。
狂笑にも思えるような吐息を吐き出しながら、追い縋ったシズクが追撃を放つ。
今度もまた、胴を狙った中段横薙ぎの一閃。
しかし、万全の状態で受けに回った先程とは異なり、今のクロウは蹴りとはいえ一撃を喰らい、著しく体勢を崩している。
故に今度は、確実に受け止めて傾き始めた流れを覆すべく、交叉させた二刀を以てシズクの斬撃を受けたのだが……。
「なっ……に……ィッ!!?」
放たれた一閃を受け止めた瞬間。
クロウの両腕に伝わってきたのは、先程の一撃とは比べ物にならない程に重い衝撃だった。
この時、シズクが放ったのは深く踏み込んでの渾身の一撃。
たとえ守られようとも、その守りの上から叩き切ると言わんばかりの気迫の籠った斬撃で。
クロウは両手の刀で受け止めはしたものの、シズクの一撃を受け切る事はできず、ガッギィンッ……! と重鈍な音を響かせながら、身体ごと横薙ぎに吹き飛ばされたのだった。




