1630話 聳え立つ汚辱
一対の白刃が鋭く閃き、シズクを狙う。
繰り出される一撃一撃は、威力も迅さもテミスには及ばず、シズクの目にははっきりとその軌跡まで捉えられていて、応ずる事は容易だった。
だが……。
「っ……!!」
ガギン! バギンッ!! と。
流れるような動きで重ねられた連撃を捌きながら、シズクは固く歯を食いしばる。
一対の短剣からは確かに、テミスやフリーディアのような目を見張るような強さは感じられない。
けれど、クロウはシズクの隙を的確に突き、戦いのペースを完全に掌握していた。
「おやおや……あのテミスのお供を務めている方だ……。どれ程の猛者なのかと思っていましたが……」
「セェッ……!!!」
嘲るような言葉と共に、縦横無尽に周囲を跳び回りながら襲い来るクロウの攻撃に対し、シズクは己が刀に怒りすら乗せて猛然と振るうと、クロウを数歩退かせることに成功する。
これでひとまずは仕切り直し。
さっきの苦戦は、短剣が得意とする距離まで近付けてしまったのが良くなかった。
なら、今度は近付かせない。例え嫌な戦い方をしてくるとしても、そもそも刃が届かなければ短剣などさして恐れるような相手ではない。
シズクは刀を構え直しながら胸の中でそう零すと、相対するクロウを鋭く睨み付けた。
「フゥゥゥッ……!!」
「おっと。怖い怖い。ですが、心を乱しましたね?」
「っ……!!」
しかし、嘲笑にも見える笑顔を浮かべたクロウがそう嘯いた途端。シズクは自らの脇腹に走る熱さを自覚した。
――斬られた。
視線を向けずとも解る確かな痛み。恐らくは刃がかすった程度の浅い傷ではあるが、一撃を貰ってしまったのは事実。
それに、もしもクロウの短剣に毒が塗られていれば、この一撃で決着が付いてしまったと言える。
「安心してください。この剣の刃に毒なんて仕込んじゃいません。それは無粋というものだ。貴女はちゃんと私の剣で殺して差し上げますとも。ですが……もしも我々と共に来る決心をされたのなら、いつでも申し出て下さい」
「…………。周りを見ても、まだそんな事が言えますか? 貴方のお仲間はもう、テミスさんに倒されていますよ」
「構いませんとも。本来は貴女を足止めする為に連れて来た者達だ。私のような凡夫では、お二人をまとめて相手にするのは不可能ですからね。ですが……黙って見ていて戴けるようで助かりました」
互いに構えて向かい合った二人は、言葉を交わしながらじわじわと動きつつ、慎重に相手の出方を窺っていた。
傍らから戦いを眺めるテミスから見ても、一撃を受けたシズクの構えに隙は無く、いくら身のこなしが軽いクロウと言えども、射程の短い短剣では真正面から切り崩すのは難しいだろう。
対するシズクも、守勢に重きを置いた構えを選んだが故に、クロウに攻め込む切っ掛けを失っている。
一見すれば拮抗しているように思えるこの戦いだが、両者の差は歴然。
攻勢に出ているクロウと守勢に追い込まれたシズクでは、どちらが優勢かなど語るまでもないだろう。
「すぅ……ふぅ……すぅっ……っ……!!」
「ですが……どうするんでしょうねぇ? 貴女が私に倒された時、あの方はどんな顔をするのでしょうか? 怒る? それとも悲しむ? 意外と、その場で泣き崩れたりして」
「悪趣味な……!」
「そうでしょうか? 意外と可愛くて良いものですよ? ああやって気高く気を張っている方の心は、存外脆いものです。傲慢にも加勢しなかった後悔に咽び泣きながら、息絶えた貴女の名を呼び縋り付く。あぁ……!! 何と甘美な光景かッ!!!」
「ッ……!!!」
全身を緊張させて構えるシズクとは裏腹に、クロウは笑顔の奥に秘めた怪しさを漂わせながら言葉を続けた。
しかし、シズクが会話に応じないにも関わらず、クロウは笑顔に恍惚とした色を交えると、両腕を広げて興奮した口調で自らの妄想を高らかに叫んでみせる。
この男……最低だッ……!!
胸の奥からこみ上げる嫌悪感に、シズクは再び強く歯を食いしばると、構えた刀を固く握り締めた。
今のテミスさんは万全ではない。恐らくは今も、あまり余力は残っていないはず。
だからこそ、ああして自分は露払いに徹し、戦いを私に託してくれている。
なら……負けるわけにはいかないッ!! 何より、テミスさんを守ると宣った私が、無様な戦いを晒してなるものかッ!!
「たった今、あなたを斬るべきだと確信しました。絶望を啜り、悲しみを振りまくお前をテミスさんが許すとは思えないッ!! お覚悟を」
「フフ……あはぁっ……!! 良い……良いですね……!! お二人共……本当に気高く在られる……!! 本当なら……我慢しなくてはいけないのですがッ……!! 困りましたね、欲しくて欲しくて堪らないッ!!」
「……正直、斬りたくないくらい気持ち悪いです。ですがッ……!!」
遂には荒い息を吐きながら身悶えし始めたクロウに、シズクの背をゾクゾクとした悪寒が駆け抜けていく。
心の底から軽蔑する程の狂気を前に、シズクは胸を満たす吐き気に似た嫌悪感を振り払うと、眼前に立ちはだかる汚辱を斬り払うべく、脚に力を込めて斬り込んだのだった。




