1629話 命を求む者
「――待てッ!!! 殺すなッ!! 降参するからッ!!!」
必死で逃れようと地面を這う魔法使いらしき少女を前に、テミスが刀を振り抜いた体勢からゆっくりと姿勢を正そうとした時だった。
テミスが動き出すよりも早く、背後から焦りに満ちた女の声が響く。
しかし、この場に居る者でテミスの味方と呼べる者はシズクしか居らず、声がシズクのものとは異なる以上、テミスが従う必要など無く、赤く汚れた刀で空を薙いで刀身に付いた血を払った。
「っ~~~!!! 頼むッ!! 私はどうなっても構わない!! だからこの子だけはどうかッ……!! お願いだッ!!!」
「…………」
そんなテミスのすぐ背後から、制止した声と同じ声で奏でられる叫びが、地面を滑る音と共に再び響き渡る。
血払いを終えた刀をその手に携えたまま、テミスが声のした方へと視線を向けると、そこでは襲撃者達と同じ装備を身に纏った一人の女が足元に跪き、地面に頭を擦り付けていた。
「ッ……!」
「アイツ……!!」
「クソッ……!!」
明らかな独断専行に加えて、敵に命を乞うという暴挙。
当然。彼女と共に戦ってきたであろう、仲間の襲撃者達がそれを快く思うはずも無く、遠くから舌打ちや歯噛みをする声がテミスの元まで届いてくる。
しかし、テミスは武器を手に自分達の元へと駆け寄ってくる残り三人の襲撃者達には一瞥もくれず、眼前で頭を下げ続ける女を見続けた。
見たところ、獣人族だろうか。尖った耳に跳ねた赤色の癖毛が特徴的な女は、先程生き残った魔法使いの少女よりも、一回り程年を重ねているように思える。
だが、先程の少女に獣の耳は付いてはいなかった。種族が異なるが故に肉親で無いのは間違い無いのだが、どうやら自らの命を引き換えに差し出す程には深い仲らしい。
加えて、携えているはずの武器を有していない所を見る限り、恐らくダガーを投げ付けたのは彼女なのだろう。
「フム……」
「仕方なかったんだ!! 双月商会に拾われた私達は、命令に逆らう事なんてできなかった!! っ……! それに彼女は……エルリアは戦える子じゃない!! 貴女にも敵意を向けていなかったはず……!!」
赤毛の女はテミスの前で頭を下げたまま、吐き出すように次々と理由を並べ立てていく。
尤も、テミスとしては彼女たちの事情など知った事ではないし、命を狙って前に立ちはだかった敵である以上、身勝手な命乞いに耳を貸す理由など無い訳だが。
けれど同時に、どうしても殺したいほどの怒りや憎しみを抱いている訳でも無く、自らに課せられた任を棄て、テミス達に牙を剥かないというのならば、ひとまずは斬り捨てる理由も消失する。
戦意を失った今、後顧の憂いを断つために殺してしまうよりも、生かしておけば情報を得られるかもしれない。
テミスは己の内で揺らいでいた天秤がそう判を下すと、足元に跪いた女の腕をおもむろに掴んだ。
「フッ……ならば一旦、置いておくか」
「ッ~~~!!!」
そして、クスリと笑みを浮かべて呟きを漏らし、ビクリと恐怖に身を竦ませた女の身体を自らの方へと引き寄せる。
直後。
テミスは携えていた刀を傍らの地面へと突き立て、僅かに姿勢の浮いた女を担ぎ上げるようにするりと体を下へ潜り込ませると、そのまま尻もちをついて怯えるエルリアと呼ばれた少女の方へと女を投げ飛ばした。
「っ……!? がっ……は……ぁッ……!!」
「アドレルッ!!」
だが赤毛の女は、特に抵抗するそぶりを見せる事も無くテミスの為すがままに放り投げられると、受け身すら取らずにエルリアの傍らの地面に強かに背を打ち付け、苦し気に息を漏らした。
するとエルリアは、赤毛の女のものであると思しき名を今にも泣きだしてしまいそうな程に悲痛な声で叫び、痛みに悶える女の傍らへと這い寄った。
しかし、テミスの目的はアドレルとかいう女を痛め付ける事ではなく、むしろその逆。
殺気を迸らせて突進してくる、最後に残った三人の襲撃者との戦いに巻き込まないための配慮だった。
「フン……向かって来るからには当然、死ぬ覚悟はできているのだろうなッ!!」
テミスは各々に武器を振りかざし、自らへと向かって来る襲撃者達へ吐き捨てるように叫ぶと、地面に突き立てた刀を引き抜き、すれ違いざまに三度斬り払う。
その斬撃は、正確無比に襲撃者達の首を刎ね、一瞬のうちに絶命した襲撃者達の骸が地面へと崩れ落ちた。
「ふぅ……さてと……」
「っ……!! あ……あの……!!」
「話は後だ。今はただ、あの戦いを黙って見ていろ」
自らの戦いを終えたテミスがエルリア達の元へと踵を返すと、それを出迎えるようにか細く震える声があがる。
しかし、テミスは刀を収めながらエルリアを制すると、悠然とした微笑みを浮かべて今も尚クロウと切り結んでいるシズクへと視線を向けたのだった。




