1628話 死線の先
至近距離から放たれた魔法がチリチリと肌を灼き、舞い上がった髪を灰へと変える。
本来魔法とはその性質上、避ける事は容易ではない。
魔力を用いて引き起こされるさまざまな現象は、おおよそ現実というものから乖離した超常現象で。
それ故に、術者と相対した者は術式そのものではなく、術者の狙いや心理を読み解き、自らへと向けられた魔法という名の殺意を躱すのだ。
「ハッ……!!!」
だからこそ。
躱す事などできようはずもない必殺の距離から放たれた三つの魔法が、鋭い吐息のような笑い声を漏らしたテミスの頭を打ち抜く事無く空を切った事も、至難の業でこそあれ不可能という訳では無い。
「なッ……!!?」
「嘘っ……!!」
「そん……な……」
仲間の懸命な一撃が生み出した刹那の隙。
それを逃すこと無く見事に掴み取り、魔法を発動させた三人の胸中には、恐らく揺るぎのない勝利が輝いていた事だろう。
だが、確たるものであったはずの勝利は脆くも崩れ去り、いちど安堵と幸福の頂へと導かれた魔法使いたちの心は、恐怖と絶望の底へと叩き落とされた。
もはや口から漏れ出る悲鳴すら、絞り出すような吐息程度の弱々しさしか無く、見開かれた瞳は爛々と輝く鬼のような笑顔を見つめている事しかできなかった。
「今のは危なかった。素直に賞賛するぞ。誇りを抱いて死んでいけ」
魔法が放たれる刹那。
股割りが如くぺたりと大きく脚を開いて体勢を落としたテミスは、そのまま地面を挟み込むように蹴りつけて跳び上がると、身体の捻りすらも利用して一閃を放たんと刀を振りかぶる。
同時に紡がれたのは心よりの賞賛で。
全力を出す事ができない状態といえど到底覆る事の無い実力差を前に、彼等は仲間との連携を生かし、躊躇いを棄て、遥か遠くに在る筈のテミスの背へと肉薄せしめたのだ。
これを見事と言わずに何と云う。
たとえ卑劣非道を是とし、鬼畜の所業にすら平然と手を染める悪党であったとしても、戦いに生きる身の一人として、テミスは手放しに賞賛せざるを得なかった。
けれど。
称えるべき精神性や、それが導いた英雄的快挙は兎も角として、眼前に立ちはだかる敵であり、憎むべき悪である彼等を斬らない理由は無い。
否。
全霊を以て挑まれたのだからこそ、こちらも相応の技を……今の私にできる全力を以て応ずるべきなのだろう。
「……ッァ!!!」
そう心を決めたテミスは一閃。
地面を蹴り上げて生み出した勢いや、全身のばねを用いて生み出した力を全て込めて、眼前で凍り付いていた四人の魔法使いをまとめて斬り払うべく、全力の斬撃を放った。
一糸乱れぬ斬撃の軌跡は半月を描き、瞬き以下の刹那で空間を裂いた。
テミスの圧倒的な剣速と、恐ろしい程の鋭さを誇る白銀雪月花の切れ味と、一筋の糸が如き正確無比な剣閃は、斬られた者に痛みどころか、刃が己が体を通り抜けた感覚さえも覚えさせる事は無かった。
「逃……げろ……!!」
「走れ……ッ……!!」
「生……き……て……」
それはまさに奇跡の時間。
テミスに一番間近で杖を突き付け、魔法を放った三人の魔法使いは、揃って己が身を盾とし、一番背後にいた彼等の仲間の身体をテミスの放った斬撃の外へと押しやっていた。
否、それだけではない。一瞬で首を落とされ、絶命したはずの三人は、切り離された自らの身体が地面へと崩れ落ち、肉体の圧力から解放された血液が吹き上がらんとする僅かな時間の間、掠れた声で言葉を紡いでみせたのだ。
当然。既に肉体を断たれている彼等が死に逝く事に変わりはなく、その現実が揺らぐ事は無い。
だが。
命を燃やして限界を超えた彼等の手は、確かに一人の仲間の命を死に呑み込まれるはずであった運命から突き飛ばしていた。
「ぁ……ぁ……ぁぁぁ……っ……!!!」
しかし、いくら命を燃やして奇跡を勝ち取り、振るわれた刃の軌跡から仲間を救い出した所で、眼前から敵の存在が消え去る訳では無い。
たった一人、テミスの眼前に残される事になった襲撃者の魔法使いは、その事実を嫌というほど知っていながらも、仲間達の遺した懸命な言葉に応えるべく、テミスに背を向けて地面を蹴った。
無論、背を向けて逃げ出したところでテミスから逃れる事ができる筈も無いのだが、不運にも度重なる緊張によって弛緩した肉体と、身体を濡らす程に吹き上がった仲間の血によって濡れた地面によって、残った襲撃者の魔法使いは、跳ねるように一歩を進みだした途端、身を投げ出すかのように転倒する。
「っ~~~~~!!! ……ゥあッ!! ッ……!! ハッ……ハッ……。ぁぁ……ぁぁぁ……ッ……!!」
「…………」
テミスの眼前で頭から派手に転んだ襲撃者の魔法使いは、顔面を中心に全身を襲ったあまりの痛みと衝撃に、苦悶の悲鳴と共に全身から色々な液体を漏らしながらも、ずりずりと尻もちをついたままテミスから後ずさった。
驚く事に、転んだ衝撃のよって露になった唯一生き残った襲撃者は、年端も行かない少女で。
驚きにピクリと眉を跳ねさせたテミスの視界の先では、可愛らしい顔を恐怖に歪め、止めどなく溢れる涙と鼻水、血と涎でグチャグチャに濡らして、テミスを見上げていたのだった。




