1625話 黒き盟約
刹那の間にピシリとした緊張感が膨らみ、空間を支配する。
ルードを挟む形でテミスたちと相対したクロウの背後には、更に十一人の手勢が、それぞれに武器を構えていた。
「……こいつはどういう事だ? ルード。お友達も一緒に訪ねてくるなど聞いていないぞ?」
「どうやら尾行けられていたらしいな……。まさか気配を消した俺に付いてくる事ができる奴が居るとは……悪い。俺の失態だ」
「ククッ……お友達が呼んでいるようだが、お前はどうするんだ? 早く決めてくれないと、こちらも動き辛くてね」
皮肉気に頬を歪めたテミスが、クロウへ向けて刀を構えたまま、視界の端に捕らえ続けているルードへ水を向ける。
ルードがどちらに付くかによって、戦況は大きく変わるだろう。どちらにしても、テミス達にとっては非常に苦しい状況に変わりはないが、ルードの手を借りる事ができればこの場を凌ぐ事はできる筈だ。
逆に、ルードがクロウ達の側についた場合、テミス達には一部の勝ち目すらなく、僅かな望みに賭けて館へと逃げ込むくらいしかできなくなるのだが。
だからこそ、テミスは確認の意も込めてルードに問いかけたのだが、ルードからの返答は無く、しかしクロウの言葉に従って腰に佩びた太刀を抜く様子もなかった。
「どうしました? 今更、お知り合いを相手にはできないなどとは言いますまい? どちらが優勢かなど一目瞭然。損を取るか得を取るか……答えの見えている簡単な問いです」
「馬鹿野郎!! 俺ァ元々損得でなんか動いてねぇよ。一個だけ答えろ……お前さん達が出張ってきたのは、ハクトのヤツの差し金か?」
「その言……理解に苦しみます。ヒトはそもそも損得で動く生き物。だからこそ、貴方も我々に契約を持ち掛けてきた筈です」
「お前達の秤だけで物事見てんじゃねぇ。良いか? お前達が目の前にしているのは、あの元・魔王軍第十三軍団長テミスなんだぞ? 一人とはいえ、奴さんの仲間も相当腕が立つ。こいつら相手に勝てる気でいるのか?」
「クスッ……」
自らへ背を向けたまま言葉を荒げるルードに、クロウは余裕のある笑みを浮かべると、手にした短剣の切っ先を一振り、テミスへ向けて言葉を続ける。
「勝てる公算も無くここに立つ訳が無いでしょう。確かに彼女は途方もなく強いかもしれませんが、今その手にお得意の大剣は無い。加えて、我々の得た情報では、ヴァルミンツヘイムで行われた闘技大会で何やら一波乱があった様子。万全には程遠いとお察ししますが?」
「ハッ……! 舐められたものだな。お前達如き斬って捨てるのに、私が全力で挑まねばならんと? コソコソと嗅ぎ回るだけが能の兎風情が笑わせてくれる」
「ッ……!! ハハ……どうやら我々の予想以上に不調のようですね。彼我の戦力差もご理解いただけていないようで。これは嬉しい誤算です」
「面白い。囀るだけの腕はあるんだろうな? 丁度退屈していたんだ。一合や二合切り結んだだけで死んでくれるなよ……?」
テミスはクロウの挑発に乗って皮肉を返すと、構えていた刀を肩に担いでギラリと肩を並べる襲撃者達を睥睨した。
凄まじい威圧感を以て放たれたその言葉に、襲撃者達は揃って身を固くするが、唯一クロウだけはピクリと頬を跳ねさせただけで、怒りを視線から滲ませながら挑発を重ねる。
それだけで、既にこの場は戦場が如き緊迫感に包まれており、一触触発の様相を呈していた。
しかし……。
「止めろ止めろ!! 馬鹿馬鹿しい。やってられるか! どいつもこいつも人の忠告を無視して突っ走りやがって!! 俺は降りるッ!!」
前後から濃密な殺気が吹き付ける中、ルードは手を挙げてバタバタと振り回すと、苛立った口調で叫びをあげた。
どちらにも与しないという意思表明。
この叫びは、テミスたちと双月商会……その衝突を嫌うルードの、一縷の望みをかけた賭けなのだろう。
それ程までにルード個人が有する戦力は大きい。
多少なりともテミスの不調を掴んでいるとはいえ、ルードが手を貸さないとなればクロウ達とてそう簡単にテミスを屠る事などできないのは理解しているはずだ。
故に、戦いを選ばずに退く事を選ぶはず……。その一点に、ルードは賭けたのだが……。
「契約は守っていただきます。ルード殿。太刀を構えて下さい。もしも我々との契約を反故にするというのならば……仕方がありません。その代償は、貴方の可愛がっている冒険者たちに支払って貰うとしましょうか」
「ッ……!!!! テメェッ……!!!」
「おや……? 何ですか? この手は。敵対行動とお受け取りしても……?」
「グッ……!!! クッ……!!!」
ニンマリと頬を歪めたクロウは、事も無げに肩を竦めながら淡々とした口調でルードへ告げる。
残酷極まるクロウの通告に、ルードはクロウの胸元へと閃かせた手を離すと、喉から苦し気な声を漏らしながらギシギシと固く歯を食いしばった。
自らを慕う冒険者仲間か、テミス達か。そんな選択など、簡単に選べるはずが無く。
ルードはブルブルと手を震わせながら、ゆっくりと腰の太刀へと手を伸ばした。
――瞬間。
「あ…………?」
ヒャウンッ!! と。
甲高い風切り音と共に、一筋の閃光が宙を走り、拭き上がった鮮血が球となって宙を舞った。
その一閃を放ったのは、氷のように冷徹な光をその目に宿したテミスで。
テミスの一太刀をその身に受けたルードは、驚きの声を漏らした後、ドサリと音を立ててその場に倒れ伏したのだった。




