1618話 放蕩たる酒宴
ニコルの昔語りから始まったテミス達の夜会は長く続き、夜半を超えた頃にはいつの間にやら酒まで姿を現す混沌の様相を呈していた。
ニコルやテミスの語る様々な冒険譚や戦闘譚に、目を輝かせては歓声をあげていたシズクは真っ先に酒に呑まれ、今やソファーに身を埋めて安らかな寝息を立てている。
一方で、ニコルも相当な量を飲んでいるはずだが、頬を朱に染めてこそいるものの未だに正気を保っているらしく、まるで愛玩動物でも眺めるような視線で、眠りに落ちたシズクを眺めていた。
「っ……。っ……!!」
「くふふっ! いい加減テミスちゃんも回ってきたみたいだねぇ……。良いさ良いさ。構わないからそのまま寝ちまいな」
「ッ……!! 馬鹿……な……!! そんな筈は……!! 酔っていない! 私は……酔ってなど……!!」
「はいはい。酔っ払いはみんなそう言うんだよ。それとも鏡、見てみるかい? 顔真っ赤だよ? 眼だってもうとろんとしてるし。まぁ? ワタシとしては前後不覚に陥っているテミスちゃんも可愛くて良いと思うけれど……」
「ぐっ……!? クッ……くく……!!」
あり得ない。と。
テミスはぐにゃぐにゃと歪む視界の中、千々に乱れた思考が雲の上を浮かんでいるが如き懐かしい感覚に抗いながら、必死で歯を食いしばって辛うじて意識を繋ぎ止めていた。
この世界でこの身体で過ごし始めてからというもの、テミスは一晩中浴びるように酒を飲み続けようとも、酒に呑まれて潰れた事はおろか、『酔い』という感覚にとらわれた事すら一度も無かった。
故に。アルコールを体内に取り入れる事で生ずる酔いという事象は、この忌まわしき女神モドキに与えられた身体では享受する事ができない。
幾度の酒席を経て、随分前にそう結論付けていた筈だった。
なのに……。
「わら……私……が……こにょ程度の……クソッ!!!」
回らぬ呂律を無理矢理にこじ開け、テミスはニコルに酒杯を掲げて反論を試みるが、酒に侵された身体は意志の鎖を千切って暴走をはじめ、言葉すら満足に喋る事ができなかった。
終いには、心の箍も外れてしまったのか、酒に呑まれてまともに喋れなくなってしまった自分の情けなさに、涙まで込み上げてくる始末だった。
どう考えても酔っ払っている。
白く霧がかったように霞む意識の中。テミスは僅かに残った正気をかき集めてそう判ずると、理性を振り払って醜態を晒す自身を客観視ししながら、心ばかりの抵抗を試みる。
「ぐ……ぎぎぎっ……!! ぷふぅ~っ……!! はぁ~っ……!! 畜生ッ!! あたま……が……!! おかしくなりそうだ……!!」
「っ……!? おいおい!! 無理をしなさんな! わかっている!! ワタシが悪かったよ! 昔からキミのような者達が揃って蟒蛇なのは知っているとも! はじめての感覚だろうが、今はその感覚に身を委ねるんだ!」
「なに……を……慌てて……!! く……ふふ……。さては……私が酔いを……克服できないと……タカを括っていたな?」
ギリギリと歯を固く食いしばり、僅かでも気を抜けば雲の彼方へと飛び去って行かんとする意識に食らい付きながら、テミスは必死で言葉を紡いだ。
その間は、数秒ごとに泥酔と素面の間を往復するような感覚が続き、本来人間が味わうはずも無い感覚の奔流に、テミスの視界がチカチカと明滅する。
「そうじゃない! 今の自分の状態を思い出したまえ!! えぇい……まさかここまで酒癖が悪いとは……。自身の状態を心に刻ませようと飲ませたのが仇になったか……!」
「にゃにぉうっ……!? だが……らが……!!」
「あぁもうっ!! 構わないから、後の事はワタシに任せたまえ!」
「ッ……! すま……頼ん……」
「はぁ~……やれやれ。そんな状態で意識を保つのは辛いだろうに……。……って、おいおいっ!? 生意気なんだか可愛いんだか……!! いったい何上戸と言えばいいんだい? 泣き出したかと思えば今度はこれかッ……!!」
「んん~っ? らってお前が任へろって……言った!! むふぅ~っ!!」
思わず自らの席を立ち、無理やり立ち上がろうとするテミスの傍らへと駆け寄ったニコルは、脂汗を滲ませ始めたテミスの間近で叫ぶように忠告を発した。
すると、その意図は正しくテミスへと伝わったのか、テミスは途切れ途切れの言葉を残してぐんにゃりと体を傾がせる。
しかしそれも束の間。
意識を手放して崩れ落ちたはずのテミスは、突如起き上がって胸を撫で下ろしたニコルに抱き着くと、酒臭い息をまき散らしながら身体を預けて甘え始めた。
どうやら様子を見るに、テミスが手放したのは無理やり繋ぎ止めていた正気だけだったらしく、僅かに残っていた理性の残り香は完全に消え失せ、心なしか言動も幼くなっているように見えた。
「ッ……!! えぇい!! こうなったらもうヤケだ!! ワタシだけ正気だとかやっていられるか!!」
「わは~っ!!! くふふっ……!! こしょこしょこしょ~!!」
「ぶふっ……!! はははは! 止さないか……! いや……こうもくっ付いて離れないのなら丁度良いか! 悪いが付き合って貰うぞ!」
そんな、もはや収集が付きそうもない事態を前に、ニコルは机の上に佇んでいた酒瓶を掴み上げて飲み干すと、自身に抱き着いたままはなれないテミスを抱えて、部屋の隅に設えたベッドへと身を投げ出したのだった。




