1610話 堂々たる訪問者
テミス達が武器を手にしてからしばらくの間。周囲を包囲する者達の間に動きは無かった。
立ち去るでも臨戦態勢を取るでもなく、ただその場に留まって様子を窺うのみで。
流石に、こちらから何かもう少し呼び水を与えてやらねば動かないか……。と。そうテミスが考え始めた時だった。
「――っ! テミスさん!」
「あぁ……」
突如。シズクが警戒の声を上げ、テミスもまたそれに応えてコクリと頷きを返す。
何故なら驚くべき事に、それまで動きを見せなかった連中の中の一人が、自ら堂々と錆びた門の前へと姿を現したのだ。
「あの装い……ハクトと同じ兎人族のようだが……」
「……気配がまるで違います。草の擦れる音すら聞こえない足裁きに、薄っすらと希薄な存在感。とんでもない手練れですよ」
「そのようだな。ククッ……面白くなってきた……」
「っ……! もう……!! 面白がるのは良いですけれど、怪我しないでくださいね!」
テミス達が潜り抜けてきた門の前に立つ人影へと視線を向けながら、テミス達はひそひそと言葉を交わす。
当然。その手は既に抜き放たれた剣を固く握り締めており、構えこそはしていないものの、次の瞬間に即座に戦いが始まっても即応できる姿勢を保っていた。
だが……。
「…………」
「来ない……な……」
「様子を見ているだけ……? でしょうか? それにしては不気味なのですが……」
「ウム……丁度古い館だしな……出るには不足の無い場所ではある」
「こんな時にたちの悪い冗談はやめてください」
門の前に現れた人影はそのまままま微動だにせず、焦れたテミスが薄い笑みを零しながら軽口を叩く。
そんなテミスの冗談に、シズクが鋭い視線と共にピシャリと叩き切るような言葉を返した時だった。
「あのぉ~……スイマセン。お気持ちをお察ししない訳では無いのですが……こちらにも放っておかれると辛いものがありまして……」
門の前に立つ人影が遂に声を上げ、自ら手を振ってアピールを始める。
つまるところは、こちらへ来いという事なのだろうが、周囲を囲む連中の狙いが未だにわからないテミス達としては、自分達の荷物の側から離れる訳にも行かず、二人は黙ったまま視線を交わしただけに留まった。
「っ……!? あ……あれぇ……? 俺の声、聞こえています? 聞こえてますよね? あのぉ……すいませーん! 無視はしないで欲しいんですけれど!?」
「……あんな事を言ってますけれど」
「チッ……全くやり辛い……」
場にそぐわぬ緊張感のない声を上げ続ける人影に、シズクはチラリとテミスへ視線を向けて判断を仰いだ。
その視線の先では、苛立ちに顔を歪めたテミスが溜息まじりに持ち上げた片手でぼりぼりと後頭部を掻き毟っており、張り詰めていた筈の場の空気が僅かに緩みを見せていた。
「……仕方が無い。行くぞ」
「っ……! 良いんですか!?」
「万が一の時は、私が奴を抑える。お前は荷物を第一に守れ」
「……はいっ!」
そう言葉を交わした後、テミスが大剣を肩に担ぎ上げて歩き始めると、シズクは力強く頷いてから、手に刀を携えたままその後へと続いた。
一歩。また一歩と近付くにつれ、門の前に佇んでいる人影は徐々にその姿をはっきりと結び、テミス達の目に映る。
綺麗に整えられた白い体毛に、片方が途中で欠けた長い耳、年の頃は分かりにくいがまだ若い年ごろてみて間違いないだろう。
門の前に立つ兎人族の男は、ニコニコと人の良い笑みを浮かべてはいるものの、冷たく沈んだ瞳は欠片たりとも笑っておらず、そのちぐはぐな雰囲気が一層不気味さを際立たせていた。
「いやぁ……わざわざ御足労いただいちゃってスミマセン。一応、こんなでも商人の端くれとしては、人様のお家に勝手にお邪魔する訳にもいかなくて……」
テミス達が門の側まで歩み寄ると、兎人族の男は身振り手振りを交えながら、テミス達へ朗らかに言葉を投げかける。
しかし、テミスが道半ばで言葉を返す事は無く、そのまま足早に錆びた門の前まで足を運ぶと、静かに男を睨み付けながら口を開いた。
「フン……何が商人だ。それにしては、腰に随分と物騒なものを提げているように見えるがな?」
「あぁ、これはまぁ……護身用と言いますか……飾りみたいなモンですよハイ。ご気分を害してしまったようでしたらスミマセン」
「……御託は良い。用件は何だ? よくもまあああも堂々と、町から人の事をチョロチョロと付け回してくれたな?」
挨拶も交わさぬままに、テミスは男に次々と辛らつな言葉を浴びせていくが、それを受けても男の表情が揺らぐ事は無く、ペコリと頭を下げて謝罪をするに留まった。
けれど、錆びた門を間に挟んでいるとはいえ間近で相対して尚、テミスは男の身のこなしから隙を見出す事はできず、密かにごくりと生唾を飲み下す。
「ハハ……付け回すだなどとそんな人聞きの悪い……。我々はお二人の護衛を務めさせて戴いていただけですとも。お二人はまだ、我等双月商会のお客人でありますから」
「クク……『まだ』……ね……。それで……?」
「俺の名はクロウと言います。先日お二人をご案内したハクトの弟に当たります。本日はお二方に、一つだけご確認をさせて頂きたいと思いまして。こうしてお尋ねさせていただきました」
しかしテミスは内心の緊張を覆い隠し、不敵な笑みを浮かべて男に対応する。
そんなテミスに、クロウと名乗った男は静かな声で名乗りを上げると、緊張感を孕んだ声で告げながら、深々と頭を下げたのだった。




